「神戸、何でこんなに坂道ばっかなわけ」
若干キレ気味にそう発言するのはもちろん角名の方である。確かに綺麗な街並みではあるが、何も目的のない散歩となると少し気になってしまうくらいには坂道が多い。
現在二人が行っているのはほぼほぼ散歩のようなものだが、家にこもっているだけでは何も進まないから少しでも外に出て手がかりを探そうという、一応理由のあるものだった。
「てかこの現象に理由とかあるの」
「ある……のかなぁ」
「ない気がしてならないんだけど」
はぁと息を吐きながらダラダラと足を動かし、腕を伸ばすように肩をほぐす。そんな角名を見て、由佳は肩柔らかいねと感心するように言った。
「普通じゃない」
「そうかな。なんかスポーツとかやってるんじゃないの?」
「バレーボールはしてる」
「絶対それだよ」
吹き出すように由佳が笑う。夕方といえどもまだまだ日差しは強い。この太陽が完全に沈めばもっと楽になるだろうか。しかし真夏のこの時期はどの時間だとしても動けば汗をかくし体はだるくなる。
「だからそんなに背高いんだね」
「俺は特別でかい方でもないけど」
「その身長で?何センチなの?」
「185」
「おっきいなぁー」
「守月さんが小さいだけでしょ」
「角名くんから見れば女の子なんてほとんどの子が小さいでしょ」
角名くんは自ら自分のことは話さない。でも聞けばこうして答えてくれる。由佳は角名に気づかれないように小さく笑みを作った。もともとあまり個人的なことを話すようなタイプではないのか、それともまだ私に対して壁があるのだろうか。そこまで考えてハッとした。まだ出会って一日半だ。壁があってもおかしくない。むしろ、それが普通なのだ。由佳が心を許しすぎなのである。
私はどうも雰囲気に流されやすいというか、すぐにこうして心を曝け出してしまうというか、そういうところがある。何度も友達に注意されてきた。昨日角名くん本人にも言われたじゃないか。彼のことを今の時点では疑っているわけでも信頼していないわけでもないけど、もっと気をつけなきゃ。そんなことを考えながら由佳が曲がり角を曲がった瞬間、ガクンと視界が揺れた。
「――っあぶな」
「わっ」
「……こういうとこで止まってられると困るな」
曲がる前はちょうど死角になるが、曲がった途端に視界に飛び込んでくる絶妙な位置にいるサラリーマン。角名が咄嗟に腕を引いてくれていなければ由佳は思い切りぶつかっていただろう。酔っ払って電柱にぶつかる人のように。ぶつかっても人の体なのでコンクリートのような硬さはないが、それでも結構な痛みはきっとある。
「ありがとう」
「俺以外誰もいないけど、いるから。気をつけて」
「うん」
引っ張られた時、痛くはなかったけど凄い力だった。驚いた由佳がぎこちない仕草で動きを止める。服の上からだとあまりわからないけど、バレーやってるって言うし、筋肉とか実はすごいのかな。それとも男の人ってみんなこんな感じなの?
由佳は小学校は共学だったが、中学からは女子校に通っている。同級生の男子で仲の良い人などほぼいないに等しい。引っ張られた時に触れたそこにまだ残る僅かな熱を、自分の熱で消すように優しく指で摩った。
若干無気力そうな目で前を向き、相変わらずだらだらと歩く角名の横顔を盗み見る。すぐに心を開いてしまうのは由佳の良いところかもしれない。けれど悪いところでもある。そうは分かっていても、やはり隣を歩く角名が悪い人には思えないし、由佳のことを騙そうとしているとも思えなかった。
太陽が沈むとともに月が姿を表す。綺麗な三日月が二人をほの明るく照らしていた。夜道を歩きながら、日中よりもだいぶ歩きやすくなったと角名がため息を吐く。せっかく神戸に来たのにこんなにも暇だなんてもったいないなという気持ちを抱えながら、しかし本当に何もやることがないので参ってしまっているようだった。
見かけた小さな公園に立ち寄って少しの休憩をとる。二つ並んだブランコに座って、チカチカと瞬く星の輝きを数えてみる。一つ、二つ、普段ではあまり見られないような数のそれらが暗闇を飾るように宙に浮いている。
「角名くんってさ、普段は学校とかでどうしてるの」
「普通に過ごしてるよ」
「そうじゃなくってさー!」
由佳が積極的に話しかけるため会話には困らない。とは言ってもまだまだ出会って二日目で話題が豊富にあるからかもしれないが。由佳が少し頬を膨らましながら立ち上がり角名の前に回る。腰掛けていたブランコがキィキィと錆びついた音を鳴らし僅かに揺れていた。
「共学って、どんなところ?」
「女も男もいる」
「だからそうじゃないんだって!」
さらに声を強めた由佳に角名も僅かに表情を緩めた。座る角名を見下ろしながら、由佳は「もーせっかく話題振ったのに」と眉を顰めた。
「小学校の時は共学だったんでしょ?」
「そうだよ。だけどさ、やっぱ中学とか高校とかって、全然雰囲気違うじゃん」
「変わんないよ。女子はどうだか知らないけど、男子なんていっつも一緒」
「そうなの?」
「そう。小中高変わらずバカ。俺もね」
「ええ、角名くんみたいな子は私の小学校にはいなかったよ。あんまり男子と関わりもなかったけどさ」
人の少ない田舎の夜よりも静かな空間がここにはある。サワサワと葉を揺らす風の音と、仄かに漂う潮の匂い。日中よりも過ごしやすくなったが、涼しいとは言えないぬるい空気。
ケラケラと笑う由佳の表情はコロコロと変わっていく。それを見上げながら、角名はその奥に存在している綺麗な三日月に目を細めた。