True love is like ghosts, which everybody talks about and few have seen.

沸き立つ歓声に肌が震えた。

カナリーイエローとホワイトの眩しいユニフォームを身に纏って誰よりも早く敵の目の前に立ちはだかる。相手の渾身のスパイクを勢いを殺すことなく床に叩き落とした角名が僅かに片方の口角を上げた。

挑発的に、いつも少し気怠げに細められている瞳が獲物を狙う肉食獣のようにギラリと光る。パッと見ただけでは気付かないかもしれない。彼のことをよく知らない人にとってはそこまで変化がわからないかもしれないけど、それでも確実に、いつもの角名とは全く違う。

私の知らない角名がそこにはいた。


「最近ライジン調子良いよね」


周囲のそんな会話に耳を傾けつつ、コート内でハイタッチを交わす知り合い二人を視界に入れる。試合が終了して選手も会場も今日一番の拍手と歓声に包まれる中、その中心に立つ角名から目が離せなかった。伝った汗を拭う姿をボーッと視界に収めながら、今日見た彼の一瞬一瞬を頭の中で再度再生する。

涙が、出そうだった。あんなに必死にボールを追って、表情の変化を隠すことなくコートを駆ける。ありのままの素直な気持ちでそこに立つ彼は、私や古森にあんなことを言った人物だとは思えないほどに全身で自分自身の感情を肯定していた。

会場の空気に圧倒されながら帰宅をして早二時間。未だにふわふわと気持ちが浮ついたままの私はろくにご飯も食べずに蒸れた髪の毛を乾かすこともせず静かな部屋で静かに過ごす。ぽたぽたと垂れた水滴が少しずつ服を濡らしていくけれど、まるで勝負が終わった後のボクサーみたいにタオルを頭の上に被せたまま拭くこともせず動くこともせずその場に佇んでいた。


「……え、なに、どうしたの」


突然響いた声にハッと顔を上げると、角名が少し驚いたような顔をして立っていた。ドアの音も足音にも気がつかなかった。そんな濡れたままでいたらいくら何でも寒いでしょと、過ごしやすい初夏の夜の匂いを纏った角名が被さっていたタオルを取って優しく私の髪を拭き始める。

ふわふわと漂う柑橘系のシャンプーの匂いが彼の昼間の姿を思い出させた。涼しげな瞳で私を見下ろす彼からは、たった数時間前まで静かに燃える獰猛な瞳を光らせていただなんて想像もできない。


「……すな」


一歩足を踏み出して、ポスンと彼の胸に額を寄せた。心配そうに角名が私の名前を呼ぶ。「とりあえず髪乾かそう」と私の手を引いてベッドサイドへと座らせドライヤーを手にした彼にされるがままになる。風に乗って漂ってくるシャンプーの匂いに心がかき乱された。あのイエローがどうしても頭から離れない。手を止め私を回転させ、向かい合うように座った彼が、俯く私の頬を撫でながら「ナマエ?」ともう一度優しく呼びかけた。

角名は、どうしてバレーをするの。

言葉にしたいのにうまく音にならない。口から言葉が出ない代わりに目からは涙が溢れた。ぽろぽろと溢れ出てくるそれの存在に気がついた角名がもう一度私の名前を呼んだ。少し焦りながら。角名のその声に応えようと顔を上げるけれど、やっぱり言葉の代わりに大粒の涙ばかりが溢れて止まらなかった。嗚咽をもらす私の頬を落ち着かせるようにゆっくりと指先で撫でた彼が、そのまま私の頭を抱えるようにしてそっと引き寄せてくれる。あんなに力強くボールを地面に叩きつけていた手のひらはこんなにも温もりに溢れていて、怖いくらいに素早く動いていた大きな体はこんなにも柔らかく私を包み込むのだ。

角名は、どうしてバレーを選んだの。

やっぱりうまく言葉にならなかった。かろうじて出た「すな」という嗚咽まじりの小さな音に反応を示した彼が「何?」とまた優しい声を出す。少しだけ体を離して、そして再度向かい合った。視線同士が固く結びつきあってお互いに離れようとはしない。膝の上で丸めた手のひらを解くように彼の指先が絡み付いてくる。この手を離さないようにぎゅっと握りしめた。


「角名」

「……ん?」


言葉にしなきゃわからないよ。そう言った角名の穏やかな声が私の背中を押す。フッと身体中から力が抜けて、空気がしっかり肺を満たした。


「私さ、角名のこと、やっぱり好きだよ」


ブレることなくこちらへ向けられていた瞳がわずかに左右に揺れた。いつの間にか私の頬を伝っていた涙は止まっていた。

古森がどうして私をあの日体育館に連れて行ったのか、どうして今日の試合に呼んでくれたのか、その理由が今になって少しだけわかったような気がした。彼はとても頭の冴える人物で、明るいその印象からは考えられないくらいに冷静に物事を見て状況を判断している。人一倍頭の回転が早くて、だからこそどこか敵に回したくない恐怖感を感じることがある。けれどやっぱり心の底から優しいから、彼なりにたくさんたくさん考えてわざわざ私たちのためにこうして手を回してくれたんだろう。

角名。もう一度名前を呼ぶ。意地でも視線は逸らさなかった。


「ナマエ、」


わずかに震えた角名の声が静まり返った室内に響く。この部屋を満たすのは静寂と私の髪の毛から漂うシャンプーの香りと、彼の全身から滲み出る絶望感だけだった。


「角名、好き」

「……やめろ」

「角名、好きだよ」

「やめろって」

「角名」


やめてくれって言ってるだろ、と力なく言って項垂れた彼の頭の上に手のひらを添える。少し跳ねた独特な癖っ毛が指先にまとわりついてくる。大きな体を小さく縮こまらせて俯く彼の頬に、先ほど彼が私にしてくれたように指を添えた。


「角名はどうしてバレーをしてるの」

「なんでこの流れでその話が出るんだよ」

「いいから答えて」

「……一番やりたいと思ったからだよ。それ以外にあるわけないじゃん」

「なんで?」

「なんでって……」


眉間に皺を寄せた角名が声を荒げた。感情を表に出す角名を最近こうして目にする機会が多い。怒りも悲しみも絶望も、大事な角名の本心だ。角名には悪いけれど全部見せてもらいたい。その全てに共感することはできないかもしれないけど、少しでも寄り添えるように。

だから私は角名に何度も自分の感情をぶつける。彼がどんなにそれを拒否しようと。


「角名、私は角名のことが好き。でも角名は私のことを好きだなんて思ってくれなくてもいい。ただ否定しないで、お願い」


唇を噛み締める彼が顔を顰めた。絶対に目を逸らすものかとその頬に添えた手のひらに力を込める。苦しそうに目を瞑った彼にそっと顔を寄せて触れるだけのキスを落とした。言葉だけじゃなく、行動でも示していく。

私は角名のことが好きで、角名の考え方に少しでも寄り添いたくて、繊細で複雑な彼の唯一になりたい。そんなことを言ったら笑われるかもしれないけど、でも、私の中の唯一もあげるから、私のこの気持ちを信用して欲しい。

離れゆくいつかの時に怯える角名にそんな絶望なんて味合わせない。好きという言葉が信頼できないというのなら、私ももうこの言葉を捨てる。


「角名」


ただ、私のことを信じて。
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