To describe happiness is to diminish it.

角名の様子がおかしい。そんな話をポロッとこぼしたミョウジは、でも気のせいかもしれないと電話の向こうで小さく笑った。


「おかしいってどういう感じに?」

「特にこれって出来事はないんだけど、なんかやたらしつこいって言うか」

「…………ちなみにそれはなんの話?」

「え?……あぁ、今回は前戯の話じゃないよ」

「違うならそれは言わなくていいんだよ!」


相変わらずというかなんというか。全く恥じらうことはせずにケラケラと笑い続けているミョウジに、俺はまた何回目になるかわからないため息を吐いた。

ミョウジが言いたいことはなんとなくわかる。俺も最近の角名には違和感を抱いていた。大阪に遠征に行ったあの日から何かが僅かに変わったのだ。何があったのかはわからないけど、宮との飯から帰ってきたあたりから少し様子が違った気がする。とは言っても解りやすく表に出さないし、もちろんあっちから何かを相談してくるわけでもない。というかそもそも角名が自身のその違和感に気が付いているのかさえもわからないし。もしかしたら角名も今現在自身の違和感に悩み続けている可能性も大いにある。

ミョウジと角名の関係は相変わらず一進も一退もすることは無いようで、それでもミョウジが言うには東京行きを告げたあの日を境に態度が少しずつ変わってきているとのことだった。ミョウジは調子が狂うからやめてほしいと悩ましげに相談してきたが、俺はその話を聞いた時これは良い方向に動けるチャンスになるのではないかと少し心を躍らせた。

あの角名がミョウジを意識している。もちろんその前の前から俺的には角名はミョウジを意識しまくっているとは思ってるけど、角名は全く自覚がなかったようだし。無意識でもなんでも態度が変わるということは、少なからずそれ相応の変化が角名の中にあるってことだ。

そして今回の大阪のことがあり更に態度が変わったときた。角名は今度は逆に少し冷たくなったという。何かを隠すように、悩むように、恐れるように。角名がそんな風に他人に隠し切れないほどその類の感情を露わにすることは珍しい。それほど自分自身も何かしら思うことがあるって事だろう。

角名を直接突いてもいいが、それにはミョウジ側もある程度整ってないと意味がない。そんなに悠長な時間はもう残されてはいないからだ。

この間三人でやったバレー。ミョウジは間近であいつのプレーを見て何を感じただろう。あの日、体育館へと向かう電車の中でどうしてバレーなのかと問われ「なんとなく」なんて答えたけど、そんな曖昧な思いつきで毎日毎日バレーに明け暮れている俺がわざわざ同じように打ち込んでる角名と初心者のミョウジを誘って貴重なオフの一日を過ごしたりなんかするか。

バレーに関しては何もわからないからと今まで触れてこなかったミョウジ。触れないからこそやりやすかったこともある。学生の頃とは違って、バレーで金をもらってそれで飯を食っている。選手としての立場が少し変わった俺たちに、プロだとかなんだとかで態度も何も変えず近づいてきてくれる異性はそこに関しての安心感が確かにあるんだ。

正直俺がこんなに動くことなんてないと思う。これは当事者同士の問題であって、実際そこに俺は関係ないから。勝手にやってくれ。巻き込まないで欲しい。冷たく思われるかもしれないけど、俺は割とこういう考えの持ち主だ。

二人がこのまま離れ離れになったって残念だとしか言いようがない。悲しくはあるけどだからといって俺と角名の関係も、俺とミョウジの関係も変わらないから。うまく行くのならそれに越したことはない。だけど二人の関係がいつの間にかただの友達から変化を遂げていたって俺との関わり方が変わらなかったように、二人がこれからどうなろうと俺個人には影響なんてきっとほとんどないだろう。ミョウジとは定期的に連絡くらいは取り合うだろうし、角名とは変わらずチームメイトだ。お互いに時間が合えば飯とかには行くし。せいぜい三人揃ってまた会いたいなぁと思っても、それにはさすがに気まずさが出てきてその話を提案するのは遠慮するくらいだ。でも一対一で行けば問題ない。

角名がこのまま他人のことを好きになれないと思い込んだまま過ごしていこうが、ミョウジが角名を忘れて他の男に惹かれようが、今後の俺には何も関係はない。

それなのにこんなにも自ら首を突っ込んでどうしたいんだろう。よりにもよってこんなに複雑で面倒くさい問題に。事の行方は限りなくその輪に近いところで見守ればいいだけなのに。その輪の中に入ってその行方を左右しようとしている。どうして、なんて、そこに答えなんて一つしかないんだけど。


「来週の土曜空いてる?」

「空いてるよ。でも古森たちその日試合って言ってなかった?」

「そう。今度の場所はこの近くの体育館なんだけどさ」

「あぁ、ご飯?夜も空いてるよ」

「いや違くて、見に来いよ試合」


席こっちで用意してやるから。そう言えば私バレーわかんないしなぁと予想していた通りの言葉が返ってくる。うーんと悩むミョウジに、「この前バレーしたじゃん」と話を振れば、ミョウジは俺の話にしっかりと耳を傾け始めた。


「その時さ、あいつのこと見てどう思った」

「すごいなぁって?」

「凄いかー」

「角名って本気でバレー好きなんだなぁって思ってなんか勝手に感動したよ」

「うんうん。あいつは否定してたけどな」

「ね」

「……でも俺もミョウジとは同じ意見」


何かを続けることに対しての感情の正解がいつだって「好き」であるという答えじゃなくていい。その理由なんて人それぞれだ。

やりたいからやる、やるべきことだからやる。角名はそう言った。例えば聖臣だって、一度始めてしまったら最後までやり通す性格で、その対象に選んだのがたまたま俺が誘ったバレーだっただけだ。あんなにのめり込んでいるのに、好きだからバレーをやっているわけじゃないと答えるタイプだ。でもきっと俺が好きなんだろと聞いたら肯定はしないかもしれないけど否定もしないはずだ。その言葉を自分からは使わないけど、他者が当て嵌める時に使われることに対して否定の言葉も使わない。

角名だって、わざわざ自分から好きなんて言葉は使わなくていい。言葉に頼らなくても成立するのが感情で、その感情を人に伝えようとするときに言葉が後からついてくる。好きと言う単語は一つしかないが、それに込められる感情は一つじゃないんだ。同じ好きでも発言するそれぞれでそのニュアンスは異なってくる。

最後までやり遂げることが聖臣なりのその出来事に対しての向き合い方、愛し方で、俺はまたそれとは違う。他のやつもきっと。バレーへの接し方も人の愛し方も感情の自覚の仕方も十人十色だ。好きなやつの考え方を尊重して、それを否定することはせず一般的な価値観を押し付けることもなく理解しようと合わせているミョウジだって、それがミョウジなりの角名の愛し方で間違ってない。

角名の考えだって間違ってない。ただ、自分の気持ちも他人の気持ちも否定させたくない。言葉に頼らず自分の中の感情と向き合って欲しい。


「あいつが本気になる瞬間、ミョウジがもっとしっかり見てあげて」


どうしてこんなことを思うのかって、俺だって角名のことが好きだからだ。もちろん好きという言葉を使ったけれど俺のこれはミョウジと同じ感情じゃない。友達として、戦友として、仲間としてだ。ほら、またここに「好き」の新しい意味が生まれた。
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