久しぶりに訪れた大阪で、久しぶりの人物に会いに行く。予約してくれていたという店に連れて行ってくれ、好き勝手に注文を始めるこいつのこの感じにどこか懐かしさを覚えながら、少し疲れた体を休めるように深く背もたれに背中を預けた。
「そっちのチーム最近調子良さそうやな」
「そう?……あぁ、今日ジャッカルに勝っちゃったし調子良いって言っておいた方がいいか」
「ほんまにムカつくな」
ギリッと奥歯を噛み締め悔しそうに顔を顰めた侑がこちらを睨んでくる。昔からうるさい双子の片割れは、この年齢になっても一人でいてもその喧しさが変わることはなかった。たまに連絡を取ってはいても近情報告なんてものはしないからこうやって久しぶりに顔を合わせた時は話が止まらなくなる。とは言っても俺はほとんど聞いているだけで、話すのが止まらないのは侑の方だけど。
治とまた喧嘩をしただとか、最近チームメイトの自分の扱いが雑だとか、よくもまぁそんなに話題が尽きないものだと毎回感心してしまうレベルだ。その中でも、割と長く付き合っている彼女との話になると俺が口を挟む間もなくなるほどに惚気てくるから厄介だった。
「侑にしては長いよね」
「俺にしてはってなんやねん」
魚を器用に箸でほぐしながら、睨みつけるようにこちらを見る。その視線を無視して何か追加注文しようとメニューを眺めたままでいれば、侑は少しだけ声をひそめて「俺にはもうこいつしかおらんから」と穏やかな表情で呟いた。
「……よくそんなにハッキリ言えるよな」
「確信しとるからな」
「どうして?」
どうしてって、聞くなそんなこと。と呆れた顔をして眉を顰めた侑は、少し残ったドリンクを一気に飲み干し通りがかりの店員を呼び止める。追加の注文をし終え、さっきあんな顔をしたから答えてはくれないんだと思っていたのに侑はすぐにその続きを話し始めてくれた。
「愛しとるから」
「……よくその言葉がすらっと出せるね」
「その顔やめい。言ったこっちがなんか恥ずかしくなってくるやろ」
惜しげもなく侑の口から出てきた言葉はよく耳にはする言葉だ。愛。恋よりももっと漠然としている。恋ですら理解し難い俺はもちろんその言葉についても理解し難い。だがこいつはさも当たり前のようにその言葉を使って、その言葉以外は当てはまらないとでもいうように堂々と俺に宣言した。
「愛ってなに?」
「俺に聞くな」
「愛してるって言ってもさ、喧嘩したり嫌だなって思うこととかあるでしょ」
「そりゃな」
「そういう時ってどうするの」
「どうするって、どうもせんよ別に」
「離れたいとか思わないの?冷めたとか」
「そんなこと思わんわ」
お前冷たいやつやなー、と侑は笑う。きっとこいつは俺の話をしても何を言っているんだと理解を示さずに首を傾げるんだと思う。だから侑には言っていない。治には前に少しだけ話したことがあるけど、侑に恋だとか愛だとかそういう類の話をしたことは一度だってなかった。
信頼していないわけでも、嫌がっているわけでもない。冷たいように見えて実は一番認めたものに対しての情が深いやつは意外にも俺の周りではこいつであることを知っている。一見冷たく思えても関わるとそうではない。だからこそ、俺の抱いているこのことを告げずにただ眺めていたいと思ってしまっているのだった。
希望を他人に預けることはするなと、学生の頃にあんなにも実感したのに。こいつに対して希望なんぞ抱いてはいないけど、こいつがこの先その情をどうしていくのかに興味がある。そんな感じだ。
「俺は彼女のこと愛しとるけど、すぐ怒らせるしこっちもイラっとするし、泣かせたことだって何度もある。お前が言うようにもう嫌いやって思った事だって今までに何回もあったしな」
「あんのかよ」
「でも毎回こいつと離れるより辛いことって他にあるかなーって考えると、そんなん無いなって思わされるんよ」
「へぇ」
「俺にそう思わせてくれるからそんな彼女のことを俺は愛しとんの」
言い切った後に少しだけ恥ずかしそうに「お前があんまり不思議そうに聞いてくるからついベラベラ語ってしもたやん」と顔を赤らめ俯いた。
その相手が大事なのは、自分をそこまでの感情に押し上げてくれる人だから。相手に期待をしているわけでも、相手をだけを信頼しているわけでもなく、相手を信頼した上で自分のことを考える。その考え方に思わず目から鱗がこぼれ落ちるような、そんな感動を覚えた。自分のこととして捉えるのか。同じようで同じではない捉え方。人によって様々な考え方が存在するんだ。
相手の感情だけに重きを置いて失望を繰り返していた俺にとって、侑のこの考え方は結構な衝撃があった。
「そんなに綺麗に人を愛せる侑はすごいね」
「……は?何いきなり。やばいもんでも食った?」
「え、なんで」
「そんなこと言う角名きしょいわ」
「ひでぇー」
ゲェっと失礼な反応を見せる侑に思わず少し笑えば、俺の何十倍もの笑顔で大きく笑った侑が「普段あんま言わんことお返しすれば俺は角名のそのわっかりにくーい愛し方も嫌いやないで」なんて、そんなことを言った。笑うのをやめて侑の方を見る。同じように俺の方を見ながら、「な?」と首を傾げるこいつに頷くことはできなかった。
「俺はそんな、愛なんて言葉を使えるような完璧な感情を持ち合わせてなんてないよ」
「完璧なのが愛ではないやん」
「……そうだとしても、俺がいつ誰を愛したっていうの」
「そんなん知るか」
「ハァ?」
思わず少しだけ声を荒げた。キレんなやと返され珍しく反論できない。侑が何を言いたいのかは知らないが、適当なことは言わないでほしい。納得いっていないという顔をし続ける俺に侑が呆れたような顔をしながら頬杖をついた。
「お前が今までに誰を愛したかなんて知らんし興味もないけど、お前がどんな風に何かに向き合うかは一応俺も見てきてはいるからな」
「何それ」
「お前、この場所まで来といて何かを一回も愛したことないなんてそんなことほざくなや」
顔を顰め続ける俺に今度は侑がだんだんと口が悪くなる。空気が険悪になっているのを察し取ったのか少し遠くにいる店員が心配そうな顔をしてこっちを見ていた。
久しぶりの大阪。地元でもなんでもない。この店を出たら俺はどこにも寄らずすぐにホテルに戻って、ロビーで寛ぐチームメイトたちに一言挨拶だけして一人部屋に戻るんだろう。シャワーをしていつもしているストレッチで体をほぐして、夜型だと思われがちだけれど周りが思っているほど遅くまで起きていることもなく、しっかりと眠りにつき、目覚め切らない体を動かしてまた明日体育館へと足を運ぶ。当たり前のように。
「この性格の角名がここまでずっと続けとるんやぞ。お前、相当バレーボール愛しとるやん」
自らここに立つことを選択して、当たり前のように日々を賭ける。バレーは、ただ単純にもっとやってみたかったからこの道に進むことを選んだ。愛しているだなんてそんなことは一度だって思ったことはない。けれど、もしかしたら他人からはそんな風にも見えているのだろうか。