そうやって"今"は僕の方へ



今年の夏に行われるオリンピック男子バレーボール代表選手を決めるための一戦がテレビの向こうで繰り広げられている。その中にいる牛島くんは高校の同級生だ。とは言っても、マンモス校である母校では同じ学年と言えど全員の顔と名前が一致しているわけではないし、三年間同じクラスになったこともないから、きっと彼は私の存在なんて知らないと思うけど。

白鳥沢では彼の名前を知らない人はいないというほどに牛島くんは有名だった。全国常連のバレー部で、その中でも群を抜いての注目選手。学校をあげて応援の収集がかかるから私も何度か試合に足を運んだこともある。その彼は今や高校バレーという枠を抜けて、プロとなり、そして海外に行ったらしい。世界を股にかける彼は、この国の代表として世界で最も注目度の高い大会に出場せんとその座をかけて戦っているのだ。

一言に、すごいと思う。普通に生きている私のこんなにも身近なところにこんなにも特別な人がいたのだ。彼も最初から特別だったわけではないと思うし、そこに辿り着くまでに私なんかでは想像できないほどの努力をしたんだろうから、そんな簡単に別次元の人だなんて言うのはもしかしたら失礼かもしれないけど、それでも、私とは確実に何かが違う。

そんな牛島くんのチームメイトとして彼はいたのだ。同じように努力をして、ひとつまみの限られた人しか出場できない全国という舞台に彼も立っていた。バレーには詳しくないけど、そこに立つことがどんなにすごいことなのかは理解できる。そんな彼も今この試合を見ているのだろうか。

リモートでの仕事を終え、体をほぐすためにグッと大きく伸びをした。傍に伏せて置いていたスマホを手に取り新着のメッセージ通知を確認してみれば、ついこの間念願の寿退社を決めた元後輩から式の日程やら何やらが送られてきていた。

彼女は一年前にようやく選びに選び抜いた男性と付き合い始め、そして宣言通りにそのまま結婚を決めたのだ。恋に生きる彼女らしい決断の速さで、あっという間にことを進めていった。

私自身は未だ焦りも願望も特になく、ただ日々の流れに身を任せて過ごしている。二十代も終盤に差し掛かって、本人はこんな感じなのに周りの方が私に関して焦り始めているみたいだ。母親とかは特に。良い人がいたらそういう気持ちに自然となるし、いなかったらならならない。自分ではこう思っているのになかなか伝わりきらないのが何とももどかしかった。

自称恋に生きている後輩に誘われたあの時の合コンで、私に対して興味を持ってくれたあの人とはその後しっかりと交際をスタートさせた。出会った最初は軽いノリの人なのかと思っていたけれど、真面目で優しくて良い人だった。この人となら、と、そう確かに思ったのだ。なのにどこか踏み切れなくて、それが相手にも伝わってしまっていたのか、やはり前の彼氏に言われたのと同じように別れを告げられた。今までの彼氏も全員ちゃんと好きだった。それなのにこびりついた記憶たちが踏み出すことを躊躇させる。

瀬見のことを今も好きなのかと問われると、それがなんとも言えない。好き、というよりも、この胸の中にまだ彼への恋心が消化されることも朽ちることもなくしぶとく生き残ったままでいる。そんな感覚。

未練がましくだらだらと一方通行な後悔を抱え続けたまま次の恋にも踏み切れない。けれど今更会いに行く勇気も、忘れられないと打ち明ける勇気もなくて。消えることも大きく燃えることもなく、白いシャツに出来てしまったシミのように確実に存在し続けどっかに行ってくれはしない。自分自身でも特に意識しているわけでもないのに、無意識に囚われ続けているのだ。それが一番厄介なんだ。

私が彼との何にそんなに囚われているのか。長らくわからなかったけれど今はしっかりとわかる。

心の奥底がグッと掴まれて、目に映る何もかもがキラキラと眩しくて、彼の隣にいれば何も怖くなくて、考え方も視界も明るくなる。世界も彼も、私自身も輝いて見えた。光の中にいたときには自分のいる場所をうまく把握できていなかったけれど、その光を失って暗い場所に立ってみてから初めてそこがどんなに神秘的で、抱けていた感情がとても贅沢なものだったということに気がつくのだ。あの尊い煌めきを与えてくれ、私をそこに連れて行ってくれた存在は、今までに彼しかいなかった。

比べてしまうのだ。瀬見と他の人を、ではなく、瀬見といた時の私と他の人といる時の私を。彼と居た頃の私は、特別な存在でも凄い何かを持っているというわけでもないのに、何もかもが輝けていた。




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