桜舞い散る今日の二人流した涙は



「瀬見、卒業おめでとう」

「澤もな」


桜が咲くにはまだ早い三月。けれどその年は奇跡的に蕾が開いていた。満開とは流石にいかないけれど。私たちは最後の制服に袖を通して、いつもよりも少しだけ身なりを整えて二人並んでいた。いつもと同じ、音楽室前の階段に。静かに、普段と全く変わらない体勢で、左耳だけにイヤホンをつけて彼の肩に寄りかかった。右肩を抱く彼の手のひらにわずかに力が込められる。右耳からは校舎の外で騒ぐ同級生や後輩の声が遠くに聞こえていた。


「部活のみんなのところには行かなくていいの?」

「俺らみんな寮だし、集まるのは夕方なんだよ」

「そうなんだ。じゃあまだしばらくいれる?」

「あぁ。てか、お前はどうなの。いいのかよ友達のとこ行かなくて。それこそ部活の仲間とか待ってるんじゃねーの?」

「大丈夫だよ。卒業したっていつでも会えるし」

「だからって今日は特別だろ」

「特別だから、ギリギリまで瀬見といたいの」


体を捻って顔を埋めるように強く倒れかかった。肩に置かれていた手のひらが後頭部に移動する。遠くに聞こえていた喧騒は彼の心音でかき消された。視界も聴覚も彼に支配される。膝の上に置いたシャッフル再生にしていた音楽プレーヤーは、まるで私たちのことを見ているようにこの場にふさわしいようなしっとりとしたバラードを次曲に選択した。

傾いた夕日が私たちに影を落とす。オレンジ色に揺れる世界が私たちを包んで、なんでもない校舎が特別な場所のように思えた。ゆっくり、ゆっくりと呼吸をする。彼は私の頭を数回撫でて、そしてその頂点へとキスを落とした。耳元で名前が呼ばれる。彼の声は、少しだけ悲しい色を含んでいた。

お互いの存在を確かめるように静かに唇を合わせた。ここに私がいて、彼がいた。窓から風に乗ってひらひらと桜の花びらが入り込んできて、二つ重なった影の上に音もなく落ちる。まだ、まだ、もう少しだけ。お互いその場所から離れようとはしなかった。縋り付くようにお互いの背中に腕を回して、制服がシワになるほど力を込める。

太陽が沈んで暗闇に飲まれるように影が消えた。桜の花びらは寂しそうに床に伏せ息を潜めたまま。名残惜しくも離れた。重なった視線はまだ逸らさない。校庭から聞こえていたはずの笑い声達は、もうとっくに聞こえなくなっていた。


「……元気でな」

「瀬見もね」


瀬見がイヤホンを外して、そのままゆっくりと立ち上がった。温かかったはずの左側が途端に冷たくなる。カンカンと寂しい音を鳴らして彼が階段を降りていく。その後ろ姿を目に焼き付けるようにしっかりと見つめた。踊り場まで降りた彼が一度静かに振り返って、眉を下げながら柔らかく笑った。

垂れ下がった片方のイヤホンから音が漏れる。それを自分の右耳につけようとは思えなかった。どんどん遠ざかっていく足音を最後まで聞きながら抱えた膝に顔を埋める。さよならは、言わなかった。

私たちは離れ離れになった。遠くの地に引っ越すわけでも、嫌いになったわけでもない。だけど、なんとなくお互い卒業と同時に離れてしまうんだろうなんて思いがあって、そのことについて特に二人して話し合うこともなく、予想通りにこの日を境に終わっただけだ。高校生の恋愛にはたまにあることだと思う。

理由なんてなかったんだ。後々こんなにも後悔することを、あの時はまだ知らなかったから。




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