つまりただそれ砕け散っただけ



カタカタと一定のリズムでキーボードを叩いて、いつも通りの業務をこなしていく。なんの変哲もない一般社員。事務仕事なんて自分には向いていないなんて思ってたけど、慣れてしまえば案外こなせるようになるものだ。

普通の会社。普通の暮らし。普通ってなんなのか。たまにわからなくなるほどに普通だった。これといった悩みもなければ、特別な目標もない。それでもつまらないとは思わないし、友達だってしっかりいる。同僚とも後輩ともうまくいっているし、先輩も優しい人ばかりで、たまに上司が面倒なくらいだ。

音楽が好きなのは今でも変わらないけれど、もう歌うことはなかった。友達といくカラオケで少し歌唱力を褒められるくらい。軽音部でボーカルをしていたと言えばなるほどねと納得してもらえるくらいの実力。一般的に見れば歌える方というだけで、そんな上手いものでもない。

高校生の頃は頻繁に足を運んでいたライブハウスにももう何年も行っていない。大学を卒業してすぐに、軽音部時代バンドを組んでいた仲間が社会人になっても活動を続けていて、そのライブに一度招待されたのが最後だった。

好きなものは変わっていないはずのに、生き甲斐のように感じていた生活の一部だったものがだんだんと遠ざかっていく。当たり前でごく普通だった日常や感覚がとても尊く感じられる。これがないと生きていられないと本気で思っていたものでさえも、なくても生きていけるのだということに気づかされてしまう。

大人になる。そんな言葉でみんな片付けるけれど、大人になることってそんなに寂しいものなのかな。なんて、考えてみたりもした。けれどそれ以外に良い言葉が思いつかないから、やっぱりその言葉で片付けるしかないのだ。寂しいけれど。時が経つにつれ、ありふれていたはずの普通の思い出も尊く綺麗なものに変わっていって、いつの間にかかけがえのない宝物に変わるのだ。


「るな先輩、今日は暇ですか?」

「何〜その聞き方。先に要件を言いなさい」

「鋭いなぁ。合コンに誘おうと思って」

「だいたいそうやって濁した聞き方してくる時はそういう話題の時なの。ご飯の時はご飯行こうって言うもんね。行かないよ」

「えー、先輩しかもういないんですよ。いるだけでいいんで!」

「愛ちゃんとか誘えばいいじゃん」

「あの子この前彼氏できたんですよ」

「あ、そうなの?」


お願いお願いとしつこく誘われ、参加するだけだからねとこっちが折れた。恋に生きる後輩は、恋に生きているはずなのになかなか彼氏ができない。理想が高いのだと周りには言われているけど、彼女曰く彼氏ができたらそのまま結婚まで見据えるから条件は厳しくしているのだそうだ。私の歳だと結婚を意識しだす人もちらほらと出てくる。実際にこの間友達が式を挙げた。綺麗なドレスを着て、幸せそうに笑う友人はとても綺麗だった。

私は、特に何も考えていない。一人でもなるようになるとふわふわ生きているだけだ。何人か彼氏はいたけれど、特に将来とかのそういう話は出ずに終わっていった。今もフリーなことに焦りもないし、まだ二十代も半ばだ。急ぐ必要もない。この人だと思える人が現れない限りは別に行動しなくてもいいと思っているし、とにかくそれ関係のことで何か特別思うことはなかった。


「るなちゃん、って呼んでもいい?」

「いいですけど」

「じゃあ、これもるなちゃんで登録しておこうかな」


多分、それなりにチャンスはあるんだと思う。きっかけなんていろんなところに転がっていて、それでもそれを拾うか捨てるかは自分次第なのだ。恋に生きる後輩はたくさん転がっているそれらを厳しいで見分け、自ら選別しているせいでまだ手にすることが出来ていない状態で、私はシンプルにそれを拾う意思がない。過去に何回か拾ってきたそれらで満足してしまっている。そんなようなことを周りにいつも言っている。自分自身にも、もういいのだと言い聞かせている。

一度それを手に入れても終わりを迎えてしまったらきちんと手放さないといけないのに、それがなかなか出来なくて、置いていくこともできず今も抱え込んだままのせいで他の何にも目を向けられないくらいにいっぱいいっぱいになってしまっているだけなのに。




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