2021年7月24日

開会式の翌日、バレーボール競技第一日目。

祭りのような騒がしさの中たどり着いた席に座る。わいわいなんてもんじゃないくらいに盛り上がった会場内。日本戦ではないにしろ、オリンピックという貴重な試合をこの目で見るために集ったたくさんの人たちがこの有明アリーナに集まっていた。

普段の試合と同じはずなのに、全く同じじゃない。そう感じさせてしまうのがこの世界中を巻き込んだ大きな祭典の醍醐味でもある。

この喧騒だけでも感極まって泣き出してしまいそうな程に最早迷子になったテンションで、試合開始をまだかまだかと心待ちにする。陽が高く昇る午後、今が一日で一番暑い時間。このアリーナ内ではその日光の眩しさも気温の高さも感じられないけれど、外に負けないくらいにここの中も熱く沸き立っていた。

会場が暗くなりカラフルなライトが場内を照らす。大きな音でミュージックがかかり、騒がしかった会場内は更なる盛り上がりを見せた。アナウンスに合わせて対戦国と選手たちの紹介がある。

『及川徹』

その名が呼ばれた瞬間に、盛り上がるとは少し違ったどよめきが場内に響き渡る。それもそうだろう。遠い他国の選手に、日本人の名前があるのだ。会場内の戸惑いが新鮮だった。

ここにいる人々の多くは今の今まで彼のことを知らなかったのだ。そして、今この瞬間全員が一斉にその名を知った。それを私は目の前で見届けたのだ。

ワァーっと言う歓声の中現れた徹はとても堂々としていて、その表情には緊張も不安も何もなかった。自信を瞳に宿し、なんの迷いのないしっかりとした想いを両腕に抱えている。


「セッター、あれハーフでもなく日本人だよな?」

「そうだよな。なんであっちにいるんだ?」


周りのみんなが彼に集中する中ボールを手に持った。セッターとしての実力はいかがなものなのかと疑うように彼を見つめる会場の人たち。

スッと綺麗に彼の手からボールが離れた。綺麗で安定感のあるサーブトス。誰もが口を一文字に結び、騒がしかった会場に静寂が訪れる。キュキュッとシューズが気持ちの良い音を鳴らし、一筋の風が鮮やかな葉を舞わせるように、タタっと軽やかな足取りで駆け出し大きく地面を蹴った。

雷鳴のような轟音を轟かせた豪快さは、それまでの清風のような彼のイメージとはかけ離れ、全てを物理的に蹴散らし薙ぎ倒していく。ものすごいスピードで空気を割ったボールは落雷のように一瞬でその身を地面にめり込ませた。気づいた時にはダンッと音を立て相手コートの後ろで数回跳ね上がっていたそれを、この会場の誰もが息を飲みながら見つめていた。


「一発目からノータッチエースだ!」


どこからか声が上がった。先程までのどよめきはもうない。メリメリと地割れのような大歓声がこの会場を包んで彼へと拍手を送る。知らない他国代表の日本人選手だったはずの彼が、この会場の全員に周知された。

今この瞬間、この会場で笑顔ではない人は私くらいだ。彼も、彼のチームメイトも、この試合を見守る誰もが笑顔で彼の名前を叫びそのプレーを称える。たった一発でその実力を見せつけた彼を見ながら涙を流す私はとてもこの場で浮いているように思う。それでも止まらなかった。

"及川徹"という男が、ついにこの有明アリーナにやってきたのだ。


「セットがどんなか気になってたのにサーブがまずやべぇじゃん!」


笑顔でそう叫んだ近くの席の男の子の言葉が耳に飛んでくる。二発目のサーブを放とうと彼はまたドンっと大きく床を蹴った。

この後行われるラリーで、彼のセッターとしての実力に、さっきのそれ以上に会場内が湧き上がるまで、あと、二十秒。


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