届かない程の声で場地に「好き」だって呟く




頭の中でとある曲を再生する。何万回もダウンロードされているような最近流行りの恋愛ソング。幸せで、時に切なくて、なんとも可愛らしい恋の悩みを抱えた女の子の心境が、女の子の誰もが憧れるような可愛い声で歌われているやつ。

その曲を口ずさむのが許されるのは、それに近い綺麗な声が出せて、歌詞の子と同じように恋が出来る可愛らしい女の子だ。私はきっと鼻歌で少し口ずさもうとしてもそんな高い声は出せやしないし、カラオケでそれを入れたらあんたもそんな曲聴くんだなんて友達には驚かれてしまうだろう。

どちらかと言えば男勝りで、女の子だなんてキャラではない。可愛い内装のカフェで甘いケーキを食べながら恋バナに花を咲かせるよりも、思いきり体を動かして騒いでヘトヘトになりながら笑い話をする方が性に合ってる。ナマエちゃんが男だったら好きになってたと女友達には言われ、ミョウジといると女といる気がしないと男友達に言われるほどだ。

足元から伸びた影に視線を落とした。教室にいるときの、ちょっと悪ふざけでもしているのかと問いたくなるくらいに典型的なガリ勉くんのような格好はしていない、制服を緩く着崩し、結いていた髪を下ろした場地は、ふあっと気の抜けるような欠伸を一つこぼし視線だけをこちらに向けたが、すぐにまた私から視線を外し歩き続ける。

まっすぐ遠くまで伸びた私たちの影はどこまで行っても交わることなく平行に並んでいた。重ならないそれが、これが今の私たちの距離感なのだと訴えかけてくるように思えて、それがなんだか少し悔しい。少しだけ近づいてその隙間を狭めてみたけれど、なんだかちょっと虚しくなった。

無言の時間が少し気まずいと思うようになったのはいつからだろう。何も話さなくても特に気を使うことなく居られるから彼と過ごす時間は気が楽で好きだった。なのに今は何か話題はないかと一人心の中で焦っている。あんたも何か喋ってよと視線を投げかけてみても、場地はそんな私の訴えに気がつく様子はなさそうだ。

「…………寒いね」
「もうすぐ冬だしなー」

必死に何か絞り出そうとぐるぐる考えてみたけど結局何も浮かんでこなかった。小さな声で話しかけた一言は、場地からの一言ですぐに終わりを告げる。変に言葉を発してしまったからさらに気まずくなった。なら何も言わないほうがよかったとため息を吐くと、ほんの小さなものだったのに場地はそれにいち早く気がついて「なんかあったか?」と私の顔を覗き込んだ。

「なんでもないよ」
「なら良いけど。最近元気ねーから」
「そんなことないけど……そう見える?」
「前よりなんか静かになった」

ジッと見つめられ思わず目を逸らす。わざとらしい私の態度に「ンだよそれ」と呟いた場地が少し歩くスピードを上げて、離れないように半歩先を歩く場地を追いかけた。

あんなに一緒にいることが心地よかったのに、なんでも打ち明けられたのに、馬鹿みたいな話をしながら大声で笑いあえる仲だったのに。いつからこうなってしまったのか。なんて、そんなの自分が一番よくわかっている。

喧嘩をしたわけでも、場地と何かがあったわけでもない。ただ私が場地のことを好きになった。それだけ。

無言の時間が続くとつまんないと思われていないか心配になる。彼の一挙一動が気になって仕方なくて、喋りすぎると気持ちがバレてしまわないかと不安になる。目が合うと恥ずかしくてうまく相手の顔が見れない。それなのに彼がこっちを見ていない時はつい目で追ってしまう。好きな人の前では可愛くいたくて大声で騒ぐのは躊躇われる。

みんなが歌ってる流行りのあの曲の歌詞に共感できてしまう。らしくない。私が一番戸惑ってしまっているのだ。こんなことを私が考えているなんて言ったらみんなに笑われてしまうのだろうか。

「何があったのか知らねーけど、一人で抱え込むのはやめろよ」
「大丈夫だって。ありがとう」

私の家の前で足を止めた場地はガシガシと頭をかきながらそう言った。学校を出たらこんな怖い見た目だとしても、どっかの族に所属してる不良でも、彼は心の底から優しい人なのだ。人のことを放っておけなくて、勝手に自分の気持ちを拗らせて微妙な空気を作っている私に対しても怒ることなく、突き放すこともなくこうして声をかけてくれる。

「じゃあまた明日な」

くるっと背を向けた場地の大きな背中が少しずつ離れていく。夕日に照らされた場地の黒髪が少しオレンジがかって輪郭が曖昧になった。

「……好き」

場地、好き。遠ざかる後ろ姿に届かない程度の小さな声で呟いてみたけど、なんだか無性に恥ずかしくなって玄関の門を急いで開けた。鞄の奥深くに潜り込んでしまったらしい鍵を探していると、バタバタと騒がしい足音とともにガシャンと門が乱暴に開かれる音がする。慌てて振り向いてみればそこには私以上に慌てた様子の場地が立っていた。

「……え、なに、どしたの」
「お、ま、」
「何、忘れ物?なんか借りてたっけ?」
「違ぇって!」

いきなり大きな声を出した場地に驚くと、ガシガシと頭を掻いて視線を彷徨わせた後、ここじゃなんだからと手を引かれ私を引きずるようにして大股で歩き始めた。どんどん家が遠ざかっていく。「場地?」と声をかけても何も言わない。近所の小さな公園で足を止めると、息の上がった私に向かい合うようにして手首を掴んだままこっちを向いた。

「何、いきなり」
「それはこっちのセリフなんだよ」

眉を顰めた彼は目線を合わせるように少し屈んで射抜くように鋭い視線を投げかけてくる。何が何だかわからないけど、こんな時でもドキドキと胸が高鳴るから恋っていうのは厄介だ。先ほどと同じく視線を逸らそうとしたら「ちゃんとこっち見ろ」と先手を打つように場地に言われてしまい、また訳もわからず視線を元の位置に戻した。

「オマエ、オレのこと好きなのか」
「………は、」

神妙な面持ちで呟いた場地の一言に目を見開き思わずポロッとこぼれるように声が出た。さっきそう言ってたじゃねーか!と、声を荒げながらそう言ってくる場地にまたさらに目を大きくして、「あんっな小さい声で言ったのに聞こえてたの!?」と彼よりもさらに大きな声で思わず叫んだ。

「本当に!?本当に聞こえたの!?」
「聞こえたからこうやって聞いてんだわ」
「……動物かッ!もう絶対聞こえないと思ってたから言ったのに!」
「なんでだよ、本人に言わなきゃなきゃ意味ねーじゃん」

しっかりと見つめられながらそんなことを言われてしまってドキリと心臓が大きく跳ねる。場地は、どういう意味でこれを言っているんだろうか。私のその一言に何を感じたんだろう。

場地の私に対する気持ちを考え始めると悪い方向にばかり思考が進んでしまいそうだったから、彼が私のことをどう思ってるのかなんて一切知らないし考えたことはない。仲の良い女友達、なんでも言い合えるクラスメイト、一緒に馬鹿やれる仲間。きっとそう思ってはくれてるだろうけど、それ以上の私と同じ気持ちを抱えているかどうかまでは、知ろうとはしなかった。

「さっきの、もう一回言え」

圧をかけられゴクリと息を飲み込む。掴まれたままの手首が少し痛い。力入れすぎ、なんて言ってみるけど、場地はそれに対して何も答えず力を緩めてくれることもなかった。

「早く」

急かしてくる場地の顔が見れなくてその場に立ち尽くしたまま俯いた。何も言わない私に痺れを切らしたのか、場地が「なんで言わねーの」とこちらを見る。

好きだとはっきり告げたら私たちはどうなるんだろう。気楽な友達なんて関係ではきっともういれなくなる。恋なんて柄じゃねーじゃんと笑われてしまうんだろうか。自分の中のこの気持ちを否定されるのも、場地との関係が崩れるのも怖い。聞こえないと思うからってあんなこと言わなければよかった。後悔をしてももう遅いけど、ドッと押し寄せてくる負の感情が私の全身を支配した。

「もう一回ちゃんとナマエの口から聞きたいんだけど」
「…………」
「なぁ」
「…………」
「なぁって」

大きく吐き出されたため息にグッと体が強ばる。その瞬間、捕らえられていたままの手首を思い切り引っ張られ視界が真っ暗に染まった。何が起きたのかわからず肩を跳ねさせ目を見開く。背中に回されている大きな腕の存在が、今のこの状況をゆっくりと私に伝えてくれた。

「待っ……て、何してんの」
「あ?」
「なんで、私はあんたに抱きしめられてんの」
「こうすればオレにしか聞こえねーし、ナマエも言いやすいじゃん」
「え、は?いや、別に場地以外に聞かれたくないから言えなかったわけではなかったんだけど」
「そーなん?じゃあ早く言えよ」
「いやいや、おかしいって」
「何がだよ。オレのこと好きなんだろ?」

ちゃんと言えたらオレも好きだって言ってやるから。そう言って私の背中に回した腕にさらに力を込めた場地がニッと歯を見せながら笑った。その顔を見上げながらポカンとしていると、スッゲーあほみたいな顔してんぞなんて失礼なことを言いながら私の顔を覗き込んでくる。

「……場地、私のこと、好きなの?」
「あ?そうだけど」
「え……ちょっと待って、混乱してるタイム」
「ンだよそれ。無理。待たねぇ」
「私のこと好きなんてそんなそぶり見せなかったから、え、嘘」
「本当だって。でもオマエが言わねーとしっかりとは言ってやんねー」
「な……!」
「ブハッ、オマエ顔真っ赤な」
「馬鹿にしてるでしょ!最悪!」

ゲラゲラと笑い出す場地にもうなるようになれと半ば無理矢理「でもそんな場地も好きだって思ってるから、本当に最悪……!」と素直になりきれない本心を絞り出せば、「オレはオマエのこと好きだから、どう言われようがサイコーだわ」なんて言って場地は私を抱え込むようにしてギュウっと抱きついてきた。ドキドキと高鳴る心臓が痛い。場地の言葉が未だに信じられなくて言葉に詰まっていれば、少し体を離して私を覗き込んだ場地が「その顔すげー好き」といつもよりも柔らかな声で笑いかけてくる。

「どんな顔してる、私」
「あー、オンナっぽい顔?」
「……いやそれどんな」
「どんなって……なんつーの?可愛い?」

うんうんと唸りながら答えを探す場地のその言葉にお腹の底からゾワゾワした何かが湧いて出てくる。男らしいと言われ続けてきた私はその類の言葉を言われ慣れてはいないのだ。変に舞い上がりそうになる自分が恥ずかしくて、本当にそう思われているのなら嬉しくて、なんだか頭がふわふわしてコントロールが効かなくなりそうで怖い。

「可愛いとか、無理に言わなくていいからほんと」
「無理してそんな恥ずかしいこと言うかよ」
「でも私そんなこと言われるような女の子じゃないもん。どちらかというと男っぽいじゃん」
「まー確かに性格はな。だからって男勝りなだけでちゃんと女だろ」

オレもいつ言おうかここ最近タイミングずっと伺ってたから、正直ビビったけど良かったわ聞き逃さなくて。なんてほっとしたように告げた場地がポンと大きな手のひらを頭に乗せてわしわしと撫でてくる。日が落ちて暗くなった辺りを見回して「もう暗いからそろそろ帰れ」と頭の上に乗せていた手で私の左手を取った。そのまま当たり前のように歩き出した場地に何も言えないまま黙って着いていくと、遅れて半歩後ろを歩く私を振り返った場地がブハッと吹き出した後、「茹で蛸みてーに真っ赤!」と大声で笑った。

「っこういうの慣れてないんだもん、仕方ないじゃん!」
「ンな怒んなって。オマエのそーゆーとこがカワイーって言ってんの」

その言葉にボボッとさらに顔を赤くした私を見た場地は、今度は揶揄うことなく今までみたこともない優しい顔つきで笑った。

みんなが歌ってるあの恋愛ソングが頭の中を駆け巡った。まるで私のことを歌っているみたいだなんて、そんなことを本気で思えるくらいに舞い上がっている。


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