松野千冬×初彼女×欲×小悪魔×漫画=?




先月、ついにオレに彼女が出来た。高校生になれば漫画みたいにオレにも彼女とか出来んのかなとか思ってたら本当に出来た。クラスの割と仲の良かった女子に流れで告られて、そんでオレもそいつのことを良いなとは思ってたから断る理由もなくオッケーの返事をして、晴れて彼氏彼女の関係になったのである。

「千冬くん明日バイトは?放課後空いてる?」
「何もねぇよ」
「じゃあ一緒に帰ろ」

昨日の帰りにそう誘われ、二人並んで一緒に帰りの道を歩いている放課後。オレはとあることを考えていた。男には欲ってモンがある。もちろんそれは女にもあるんだけど。一度欲が生まれてしまったらなかなか治められないのは厄介だと、ここ二週間くらいでものすごく実感した。

今のオレは恥ずかしいことにずいぶんと欲求不満だ。でもこんなことはいくらタケミっちだとしても相談できねぇし。誰にも話せず、もちろんミョウジ本人に伝えることもできず、こうして一人悶々と思考を巡らしている。

もう付き合って一ヶ月。流石にそろそろ良いと思うんだ。手を繋いでも。

一ヶ月も付き合ってりゃ流石にがっついてるとかも思われないだろ。さりげなく彼女の手を取るシーンは何度も経験してきた。漫画で。昨日の夜しっかり予習してきた数々の漫画のシーンを一つ一つ思い出す。いろんなシュチュエーション、いろんなセリフを言いながらかっこよく手を握る男に頬を染める女。

いけるいける。こんなに気合い入れてっけど、どうせ手と手を合わせて握るだけだし。あのタケミっちだって繋げてるんだからオレにだって簡単に出来んだろ。すぅっと一度深呼吸をして、隣で楽しそうに話し続けるミョウジに意を決して手を伸ばそうとした……ところで、パッとタイミング良くミョウジがこっちを向いた。

……あっっっぶねぇ!!ビビった。

思わず腕を引っ込めてポケットの中に素早く突っ込んじまった。いや、別に悪いことしようとしてるわけじゃねーんだからそのまま繋げばいいじゃん。オレらはちゃんと付き合ってるし。ドキドキと高鳴る心臓の音を悟られないようにミョウジから視線を外す。どうかした?なんて言いながらコテンと首を傾げるミョウジ。そういう仕草に男は弱ぇってことは、自身が男だからこそよくわかる。

あざと可愛い。好きだな。手繋ぎたい。

「別に、何でもねーよ」

少し言い方がぶっきらぼうになってしまったのにヒヤリとしたが、ミョウジはそれに関して特に気にする様子はなく、そっかと言って再び前を向いて歩き始めた。コロコロと鈴が転がるような声を聞きながら、話を合わせるように適当に相槌を打つ。別にミョウジの話の内容に興味がないとか、めんどくさいとか、そんなことを思っている訳じゃない。ただもう少し左に寄ったら触れてしまいそうなこの手の距離を、どのタイミングでゼロまで持っていくかを真剣に悩んでいるだけだ。

「……千冬くん?」
「ん?」
「……何か悩んでることとかある?」
「エッ!?」
「なんかぼーっとしてるっていうか、いつもと違うから」
「いや、そんなことねぇから、全然大丈夫だから」
「……ほんと?何かあったら遠慮なく言ってね」

眉を下げ、シュンと切なそうな顔をしたミョウジはオレのことを本気で心配してくれているようだ。その優しさに心がギュッと掴まれたようになる。

すげーいいやつだ。可愛い。好きだな。手繋ぎたい。

心なしかさっきよりもミョウジの口数が減ってしまった。少し罪悪感を感じる。オレのくだらねー欲のせいでごめん。でもこの状況を利用して優しい言葉をかけながら手を差し出せば、ミョウジも元の元気を取り戻せて、オレは手を繋げて、一石二鳥じゃね?なんて天才的な考えが浮かんだ。

俯き気味なミョウジの少し影になった睫毛を見ながら、一度大きく息を吸い込み気合を入れる。よし。揺れる短いスカートの横にちょこんと添えられているミョウジの指先を目掛けて、ゆっくりと手を伸ばした。

「そうだ千冬くん、日曜日は空いてる?」
「エッ!?」
「え?」
「え……っと、あ、空いてる!日曜なら空いてるぜ」
「ほんと?じゃあ一緒に何かしよ」
「おう」

あ、あっっっぶねーーー!!心臓飛び出るかと思ったわ。

いや、だから別にそんなにビビらなくてもいいんだって。ドキドキを超えてバクバクと激しい音を奏でる心臓を押さえる。走ったりとか何もしてねぇのに変に息が荒い。かっこわる。こんなに毎日のように漫画読んでんのに、その物語のようにはうまくいかない。

千冬くん、ともう一度オレの名前を呼んで、いきなり立ち止まったミョウジは体ごとこちらを向いてオレのことを見上げた。その透き通ったガラスのような綺麗な瞳に思わずゴクリと息を飲む。

「千冬くん、今何考えてる?」
「え、」

今?何考えてるって?手繋ぎたいなとしか考えてねぇけど。でもそんなこと素直に伝えられるわけない。俺たちの間に沈黙が広がる。あぁ、こんな時は一体どうすりゃいいんだ。誰か教えてくれ。

「じゃあ私が考えてること言っていい?」
「……おう」
「ギュッてして欲しい」
「えッ」

さっきから、え、しか言ってねぇじゃんオレ。でもこればかりは仕方ねぇだろ。ミョウジは今なんて言った?ギュッてする?抱きしめるってこと?手なんかより全然ハードル高ぇじゃん。大人の階段三段飛ばしで登らせる気かよ。ギュッてして欲しいだなんて言い方超可愛いななんて、そんなことにまでは今は頭が回らない。

「千冬くん」

真剣な表情のミョウジがもう一度オレの名前を呼ぶ。期待の籠った瞳がオレを映す。ミョウジ本人がこうして直接して欲しいって言ってんだ。ここでやらなきゃ男が廃る。男見せろ松野千冬。オレは元東京卍會壱番隊副隊長だぞ。

そっと腕を伸ばした。オレよりも背が低いミョウジの体が一歩前に出る。隣を歩いている時よりもミョウジの香りが強くなって、この時点で頭がクラクラしてきた。背中まで回した腕にゆっくりと力を込める。夏服の薄いシャツ越しにミョウジの体温を感じて、なんか、もう、やばい。やばいしか言葉が出てこねぇ。

女子の体ってこんなに柔らけぇんだな。彼女ができたときに備えて頭ん中で何度もイメトレはしてきた。コイツと付き合い始めてからも自分の体に腕回して抱きしめる練習とかしてみたけど、こんな柔らかさは当たり前だけど感じられなかった。オレと違っていい匂いするし、柔らけぇし、あったけぇし、何だろうこの気持ち。

なんか、オレ、ミョウジのこと、好きだな。

「実はね、千冬くんなかなかこうしてくれないから、ちょっと不安だった」

そう言ってミョウジもオレの背中に腕を回した。より密着して、正直もう今自分が何してるのかわかんねぇ。近いとかいう距離じゃない。こんな道端で良いのか?外ではどこまでなら許されるんだ?そんなことを考えながら、ミョウジの言った言葉を思い出す。

オレがいつまで経っても動かなかったから不安だったのか。一ヶ月は待ちすぎたってことだ。そういえばどっかの漫画でも主人公の女が付き合い始めてもなかなか相手が手を出す気配がねぇからって不安がってたな。男はただソイツを大事にしたいと思ってただけなのに。待たせすぎは興味ないと思われちまうこともあるのか。

どのくらいの期間だとがっついてると思われて、どのくらいだと待たせすぎだと思われてしまうのかよくわかんねぇけど、これからはそういうのももっと考えなきゃなんねーてことだ。漫画で死ぬほど勉強したのに、実戦となるとやっぱ難しい。

「ごめんな。ミョウジのことどうでもいいとか思ってたわけじゃなくて、いまいちタイミングが掴めなくって。実を言うと今日もずっとどうしたら手繋げんのかなとか考えてて……。ダセェな、オレ」
「ダサくないよ」
「いや、ダセェって」
「私はそれ聞けて嬉しいよ。千冬くん、優しいね。ありがとう」
「ミョウジ……」

オレの彼女、いい奴すぎる。付き合ってよかった。熱い気持ちがブワッと体ん中を駆け巡って、体温が二度くらい上がった気がする。この込み上げてくる言葉に出来ねぇ気持ちは何なんだろう。これが恋ってやつなのか。やべ、ちょっとうるっと来た。

「あとね、手繋ぎたいのに繋げなくてもだもだする千冬くん、見てて面白かったよ」

ん?今何て言った?え?聞き間違えか?

オレのことを見上げるミョウジの瞳はやっぱり曇り無く綺麗だ。口角を軽く上げて楽しそうに笑う姿はすげー可愛い。そっと体を離したミョウジは固まったままのオレの腕を取って、そしてその手を指先まで滑らせ指を絡めた。オレはされるがままに、それをただ見ているだけ。

「ほら。手、繋げたよ。先に抱きしめちゃえば、手繋ぐのに勇気出すこともなくなるでしょ?」

にっこり。そんな効果音が似合うような満面の笑みでオレを見上げるミョウジの言葉に口をあんぐりと開いた。オレのためにミョウジから動いて抱きしめさせてくれたってこと?

優しい。すげー優しいじゃん。感動する。いや、違う。違うぞ、落ち着け。流されんな。

「オレがずっとタイミング測ってたの、知っててあんなうまいタイミングで色々仕掛けてきてたってことかよ」

弱々しい声で訴える。オレが悶々としてる様を見て心の中で笑ってたってこと?それはさぞ楽しかっただろうよ。ならさっきの不安だったってのもオレをその気にさせて本音引き出すためのセリフだったってことか?恐ろしすぎる。

触れ合った指先をさわさわと擦ったミョウジは、その何とも言えない感触と、感じたことないくすぐったさに思わず背筋をピンと伸ばしたオレを上目遣いで見ながらあざとく笑った。

「わざとだよ?」

_____お、ぁ………。

見たことあるぞこういう女。漫画で。え、ミョウジってそういう感じ?わかんねぇ。でもどんなに可愛らしくても女はみんな怖ぇって矢沢あいも描いてた。

マジか。オレはこの一ヶ月ミョウジの手の上で転がされてたってこと?黙り込んだまま思考回路をショート寸前までぐるぐるさせていると、そっと踵をあげてオレの耳元に口を寄せたミョウジが、囁くように「さっき千冬くんいっぱいいっぱいだったっぽいから気づいてないかもしれないけど、日曜日の初デートではチューしていいよ」だなんて、いたずらを仕掛ける子供みたいな純粋そうな笑顔で楽しそうに言うから、オレは今度こそ本当に思考回路がショートして、そのままズルズルとミョウジと手を繋いだままその場に座り込んでしまったのだった。

次の日曜までに、オレの家にある漫画の全部のキスシーン読み返して練習しようと、心に固く誓いながら。


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