後輩の川西太一にいきなり口説き始められて戸惑う


◎2023年4月企画


乾杯ー!という私の声が、周りの騒がしさの中に溶けていく。


「そして誕生日おめでとー!」

「ありがとうございます」

「って言ってもあと一時間ちょっとで終わっちゃうけど」


少しだけ疲れたように笑う目の前のバースデーボーイは、「まぁ誕生日って言っても他の日と変わらないし」なんて寂しいことを言いながらグイッと手に持ったジョッキを煽った。

四月十五日。今日は彼の誕生日だと把握していたのに、出勤したらその本人は既にせかせかと働いていた。記憶だと今日はシフトを入れてはいなかったはずだ。おかしいなと思っていたら、他の子が体調不良で彼に代わってもらったとのことだった。どうしてこんな日に。随分とお人好しである。


「バイト終わりに直で店飲みってどうなんすか」

「いーじゃんいーじゃん。今日は店長の奢りだって。私まで!ラッキーだよ」


終電まで一時間もないけど、そのわずかな時間だけでもということで無理やり始めた誕生日会。とも呼べない普通の居酒屋の定番メニューしかないただのプチ飲み会。けれど、祝ってくれる友達とかいないんで嬉しいですと自虐混じりに言う彼は、特別残念なわけでもなさそうだ。


「じゃあ今日は私たちに祝ってもらえたしバイト出てよかったね」

「ホントっすよ。ミョウジさん急に出勤に変わっててびっくりしました」

「三日前に店長から人足りないってヘルプ頼まれてさぁ」


ジョッキを空にするべく大きく傾け、勢いよく飲み干す。私のその飲みっぷりを見て「すげ」なんて笑った川西くんは、「ミョウジさんいるならって思って代わったんですけど、ほんと良かったっす」と言いながら、忙しそうにホールを動き回るバイト仲間を捕まえて、追加のお酒を頼んでくれた。


「なにそれ。私に会いたかったみたいじゃん」


ははっとわざとらしく笑いながら、「照れるー」と頬に手を当ててみれば、彼はジッとこちらを見ながら「そうですよ」と言って、すぐに届いた追加のビールを受け取ってくれる。


「誕生日にこだわり全くないけど、結局やることも何にもないし、だったらせめてミョウジさんに会いたいなと思って」

「えーなにそれ、口説いてる?」

「そういう風に聞こえます?」

「ははっ、聞こえる聞こえる」

「なら良かったです。口説いてるんで」

「なーに言ってんのもう」

「本気っすよ?」


彼は一切表情を変えることはない。だからこれが本心なのか、揶揄っているだけなのかの判断がうまくできない。茶化すように「酔ってる?そんなに弱かったっけ」と言ってみても、「こんなの飲んだうちに入りませんよ」と眉を顰めるだけの彼に、なんだかだんだんこっちがそわそわとしてきた。


「揶揄うのやめてー」

「そんなつもりないですけど」

「もー……こっちが本気にしたらどうすんの」

「本気にしてくんないんすか?」


悪ノリにしてはあまりにもしつこい。し、なんだかだんだん本当に冗談を言っている空気感じゃ無くなってきたような気がしてきて、顔に熱が集まってくる。どう返そうかと悩んでいると、彼はつまみの枝豆を手に取りながら「ま、こんなバ先の居酒屋で告るとかしないんで、今は安心してください」と言いながらチラッと店内の時計を確認した。


「もう時間か。はえーー時間」

「そうだね」


店長ー、俺らもう帰ります、あざしたー。と手をあげて挨拶をした彼に、従業員たちがおめでとうございましたーと手を振る。駅まで一緒しましょと言い歩き出した川西くんに続いて店内を出て、肌寒いひんやりとした空気に目を細めた。


「なんか俺警戒されてる?」

「えっ、そんなことないよ」

「じゃあなんでさっきから喋ってくんないんすか」


それは、さっきの川西くんが冗談を言っているようには本当に思えなくなっちゃったからだよ。とは、口には出せない。

駅前の大きな桜の木は花びらをとっくに落とし瑞々しい青を付けている。サワサワとその葉を揺らし吹く、春の強い風に僅かに身を縮めた私に、「その服寒そうっすね。昼間は暑かったし、最近なに着ていいか俺もわかんなくなりますよ」と普段通り話しかけてくる川西くんに「そうだよね」とまた少しだけ距離のあるような返事をして前を向いた。


「……俺、このまま避けられますか」

「いや……」

「ミョウジさんが迷惑だってんなら、はっきり言ってください」

「別に迷惑とかでは」

「でももし嫌なわけじゃなくて、いきなりすぎて戸惑ってるだけで距離感まだ掴めてないだけとかなら、今度シフトの休み被ってる日、また一緒に飲んでください」


少し俯かせていた顔を上げて見えた彼の表情は、真剣なのかそうじゃないのかやっぱりうまくわからない。でもこれが冗談で言われていないことは私にももうわかる。

バイト先の後輩。後輩としては好きだ。恋愛感情では好きではない。まだ、と言っていいものかすらも今はわからない。意識なんてしてこなかったし。


「ごめん、シフト入れてない日は今ほとんど用事入っちゃってる」

「そっすか」

「…………」

「じゃあ、俺次の電車乗らなきゃやばいんで」


ビュウッと音を立てた強風に持っていかれそうになる鞄を肩にかけ直して、背を向けようとした川西くんの腕を掴んだ。動きを止めた背の高い彼に見下ろされる。風に揺れる髪が視界を邪魔するのが鬱陶しい。


「……来月のシフトはまだ出してないから、来月でもよければ合わせられる」

「良いんですか?俺こっからは結構ガンガンいっちゃいますよ」

「……懐いてくれてる後輩と仲良くするのは、別に良くないことじゃないでしょ」


告白をされたわけではないけど、ほとんどそう言われたようなものだ。それに最終的に応えられるかどうかなんてわからないけど、でも今の時点で不快に思うことは全くないってことは、こっちからもそういう気持ちに発展できる可能性は十分あると思う。それを確かめるべく、誘いに乗るのだ。

川西くんは私のどっちつかずのその返答に「そっすね」と言って、年相応の無邪気な笑みを見せた。風に踊る髪の毛を片手で押さえて「早くしないと電車行っちゃうよ」と諭せば「やべ、まじだ」と言って時間を確認する。今日はあざしたと頭を下げた彼に手を振って、「じゃあシフト出すとき連絡するね」と離れていく背中に声をかける。


「それ以外でも連絡ください」


一瞬振り向いた彼はそう一言残し、私とは反対のホームに続く階段を駆け降り消えていった。

騒がしい心臓を沈めるように乗り込んだ車内で確認したスマホに、「良い誕生日になりました。来月たのしみにしてます」と届いていた川西くんからのメッセージ。

それを目に入れた瞬間、このざわめきの行く末はわからないけれど、確実にしばらくは静まらないんだろうなということを悟った。


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