白布賢二郎と乗り越える冬


※2020winter企画短編


真っ白な雪景色の中で笑ったその笑顔に胸がざわついた。周りには何も無くて、遠くで木から雪が雪崩落ちる音がわずかに聞こえている。風に乗って舞い上がる粉雪が雲の隙間から顔を覗かせた太陽の光でスターダストみたいに光り輝いて幻想的に見えた。


「白布くん、ついてきてくれてありがとう」

「こんな何も無いところに来たかったのか」

「うん」


雪の深い場所に行きたいと電車に揺られてやってきた。ただ雪が見たいからと。仙台だって雪は降るだろと言っても「もっと、視界にそれだけが映るような場所がいい」と頬を膨らませたミョウジは同じクラスの変なやつ。友達でもないと思う。普段から仲が良いという訳でもなく、ただ何となく席が近くてたまたまその時話をしていただけ。

そんな普段特にこれといった接点もないミョウジと俺が、なんで2人きりでこんな所までわざわざ来たかなんて、きっかけはもうよく覚えてない。いつもの俺ならそんなに親しくないやつに、しかも女子だなんて、いくら誘われようが絶対に動きはしない。しかもわざわざ貴重なオフを潰してまで。なのに「ね、行こうよ」と穏やかに笑いかけてきたその顔を見ていたら勝手に口が動いてしまった。


「寒いね」

「当たり前だろ、雪しかないんだぞ」

「白布くんは寒くないの?」

「寒いに決まってんだろ」


何言ってんだこいつと思いながら、どんどん進んでいくミョウジの背中を追う。サクサクと雪を踏む2人分の音が鳴り響いて、足の指先がじんじんと痛い。長いマフラーをぐるぐる巻きにしてヒラヒラと揺らしながらニット帽を緩く被って、毛糸のミトン手袋をはめて鼻歌混じりに前を歩く姿は雪にはしゃぐ子供のようだ。

少し歩く度に振り返って俺がしっかり着いてきているかを確認する。俺の姿を目に入れる度ににっこり笑ってまたずんずんと突き進んでいく。そんなミョウジに何も言わずにただひたすらついて行った。もうずいぶん歩いてるはずなのにいつまでたっても足を止める気が無さそうなミョウジに、さすがに痺れを切らして「どこまで行く気だ」と呼び止めた。


「白布くんが声をかけてくるまで」

「は?」

「どこまでついてきてくれるのかなって。こんなところまで来ちゃったね」


何言ってんだこいつとさっきも思ったがやっぱりこいつはどっか変だ。俺が声をかけなければ一体どこまで行く気だったんだろうか。


「白布くんって優しいよね」


何がそんなに楽しいのか。一人ケラケラと笑うこいつは最初からずっとこんな調子だ。そして残念ながら俺は別に優しい人間なんかじゃない。俺が否定のために口を開こうとすると同時に「優しいよ」と言い聞かせるようにしてミョウジが再度言葉を続けた。

偉くハッキリと言いきられてしまって思わず口篭る。そんなんじゃねぇよと言葉を続けたいのになかなかそれは音として出ていかない。「白布くんがなんて言おうと、私がそう思ってるからそうなんだよ」と笑ってミョウジは俺の後ろを指にさす。見てと言うミョウジの声に釣られてそちらを向くが、振り向いた先にはもちろん何も無かった。真っ白な雪景色のみが視界いっぱいに広がっている。


「何が見える?」

「雪しかねぇよ」

「うん、真っ白だね」


答えになってないだろ。当たり前のことを言われて少し苛つきを覚える。ミョウジのほうをもう一度向くと俺の言いたいことがわかったのか「雪は真っ白でしょ?」と首を傾げた。


「なんか白布くん、最近ずっと考え込んでるから」


へにゃへにゃと笑いながら突然よく分からないことを言い出すのは、もうこの際気にしたら負けなんだとようやくわかってきた。「ほら」と言いながらもう一度俺の後ろを指さすから、再度何も無い真っ白な空間へと視線を向ける。ヒュウと吹く風に粉雪が舞って、真っ白な空間が蜃気楼みたいにボヤけて見えた。


「白布くんは責任感が強くて真面目で、それでいて優しいから、無意識に何でも抱え込んじゃう」


背中から聞こえてくるミョウジの声は、風の音と舞う雪で少しノイズがかったようにどこか遠く聞こえる。


「色んなこと考えすぎて、ごちゃごちゃしてる心をリセットするためにね、毎年1人でここに来るの。私のお気に入りの場所」

「そんなとこに俺がついてきて良かったのか」

「うん」


ここには何も無いと思うでしょ、でも、だからこそ見えるものもあると思うの。ミョウジの穏やかな声がスっと耳に入ってくる。そっと目を閉じて、もう一度ゆっくりゆっくりその目を開いた。何も無い空間に2人分の足跡がずっと遠くまで伸びている。いつの間にかこんなところまで来たのか。何もない雪道をひたすら歩いて。

12月ももうじき終わる。そうすればすぐに1月が来る。当たり前だけど当たり前じゃない。少し前まではこんな場所にいるなんて思ってもいなかった。こんな何も無い場所に。冬に似合わない熱気に包まれた大きな会場で、寒さなんて微塵も感じさせないくらいに汗にまみれているはずだった。そう信じていた。

目の前には何も無い。それでも、足元を辿ればここまで来たという証拠が一直線に刻まれている。真っ白な空間に太陽が反射して、その眩しさに目を細める。ぼやぼやと視界が揺れるのはその光のせいなのか舞う雪のせいなのか、はたまた瞳の奥から込み上げる何かが原因なのかはわからない。無意識に下唇を噛んで、視線を少しだけ上にあげた。

一滴たりとも零してやるものか。背負い込みやすい性格なのは自分でもよくわかっている。この悔しさも虚しさも何もかも絶対に手放さない。全部掴んで俺は行く。進む道の先に何も無かったとしても。ほわっと目元に乗った雪が体温に溶けて流れた。冷たい。頬を冷やす一筋のそれを片手で拭った。後ろでミョウジが少しだけ笑ったような気がした。


「ね、白布くん。ここに来てよかったでしょ?」


何も言わずにミョウジの方を振り向いた。数メートル先にいるその姿をハッキリと捉える。そっと息を飲んでミョウジを見つめた。少しでも意識を逸らしてしまったら真っ白なこの空間の中に溶けていってしまいそうなその白い肌を見失わないように。

馬鹿げている。そう思いながらも数メートル先にいるその姿を捕らえようと手を伸ばした。当然捕まえられない。わかりきっている事なのにどこか不安になった。雪と光に包まれて、この世のものではないような曖昧さを醸し出している。

空を切って彷徨う俺の指先を、ゆっくりとこちらへ向かって歩いてきたミョウジが自ら捕まえた。ぼやけていた輪郭がハッキリとして、不透明に思えた存在をようやくしっかり認識出来たような気がした。

真っ白な雪景色の中で笑ったその笑顔に胸がざわついた。周りには何も無くて、遠くで木から雪が雪崩落ちる音がわずかに聞こえている。風に乗って舞い上がる粉雪が雲の隙間から顔を覗かせた太陽の光でスターダストみたいに光り輝いて幻想的に見えた。


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