学生と社会人


1周年記念 唱子さんリクエスト




「誕生日おめでと」

「……今それ言いますか」


祝ってあげたのに、ムッとしたようにそう言った蛍くんはグッと体重を傾けながら私の肩を押す。もう一度口を開こうとすれば、「黙って」と言いながら塞がれてしまった。彼の誕生日を迎えたことを知らせてもらえるように、先ほどこっそりと設定しておいたスマホのアラームがピピピっと鳴り続けているのを空いた片手で器用に止め、そのままベッドの隅にそれを放り投げ、その行動を静かに見守っていた私へと目線を戻す。


「おめでと」

「ありがとうございます。でも、あんなアラーム設定しておくとかどうなんですか」

「一番に祝いたかったから」

「だからって」

「だって、時計も見れない雰囲気だったら日付いつ越えたかとか分からないじゃん」

「もしそういう雰囲気だったとしたらそこでアラーム鳴るとかもっと最悪でしょ」


ゲっと言う顔をした蛍くんに笑いながら、するすると腕を伸ばして首元にまとわりつく。頭を支えるように後頭部に手を添えた彼は、空いたもう片方の手で眼鏡をとって先ほど放った私のスマホの近くにそっと置いた。


「今日も学校?」

「平日ですからね」

「そっかー。私は休み」

「そうなんですか?」

「蛍くんの誕生日だから、有給取っちゃた」


へへっと笑ってみせれば、僕いないのにわざわざ休み取ったんですかと呆れた声を出されたけど、その表情はとても穏やかに見えた。好きな人の誕生日に仕事する気になれないと首元に顔を埋めれば、「いつだって仕事したくないって嘆いてるでしょ」と半分馬鹿にしたように言いながらゆっくりと覆い被さってくる。

背中をベッドに完全に預けて、私が顔を埋めていたはずなのにすっかり立場が逆転してしまった私の肩に埋まる彼の頭をそっと撫でる。ふわふわの癖っ毛の触り心地がとても気に入っていた。


「犬みたい」

「いつもそう言う」

「蛍くん、私のペットにでもなる?」

「なりません」


ケラケラと笑えば不機嫌そうにコツンと額をぶつけられて、それを合図に唇が重なる。角度を変えて何度かそれを繰り返した時、もう一度けたたましくアラームが鳴り響いた。


「スヌーズ設定にしちゃった」

「…………絶対いらないでしょ」


イラッとしたように体を起こし、もう一度スマホへと手を伸ばす。今度はしっかりと画面を確認しながら完全にオフにしたようだ。ハァと息を吐きながらこちらに投げかけた視線は重く、眼鏡を外し視力が低下しているからかいつもよりも目つきが悪く見える。


「誕生日おめでとう」

「それ言っておけばいいとか思ってません」

「そんなことないよ」

「どうだか」


もう一度ゆっくりと体を埋めた彼は、頬や顎、首筋にそっと唇を落としては甘えるようにしがみついてくる。珍しいなぁと思いながらそれを大人しく受け入れていれば、好き勝手していた蛍くんが不意に顔を上げた。


「どうしたの?」


何も言わない彼は何かを訴えるような視線をこちらへ寄越す。でも彼が何を望んでいるのか、その視線だけでは分からなかった。諦めたらしい彼は、もう一度子犬がすがるように顔を埋めながら至る所へ触れるだけのキスを落とす。そのくすぐったさに思わず身を捩り、小さく押し返してみれば、大人しくその行為を止めた蛍くんが静かに私へと視線を合わせた。


「ナマエさん、どうせ有給取ってくるかなと思って、僕も今日は何も予定入れてません」

「あらそうなの」

「今日は三限からだし」

「じゃあゆっくり寝れるね」

「…………」


ムッと唇を突き出した蛍くんは私の何かが不満であるような態度だった。それでも、一体何が不満なのかが全く分からない。さっきからどうしたの?と聞いてみても、別に何もなんて言われてしまってその答えはわからなかった。

ギュッと大きな体を丸めて抱きついてくる彼に応えるように背中へと腕を回す。そのままゴロンと横に転がった彼は私を引き寄せるように腕に力を込めて、体制を少し変えて胸元に顔を埋めてきた。


「なに?今日はずいぶん甘えてくるね?」

「…………」

「蛍くーん?」


呼んでも返事がない。その代わり、先ほどのようにジッと何かを訴えるような視線をまた向けられる。どうしていいのか分からないから、逃げるようにしてその頭を撫でた。ふわふわの髪の毛が指先に絡みつくのがやっぱり気持ち良い。それでも何も言わない彼に視線を落とすと、ずいぶんと心地良さそうな顔をしながら気持ちよさそうに目を瞑っていた。キュッと回される腕の力も強まる。

これはつまりそういうことかとギュッと後頭部を引き寄せ包み込むように抱きしめながら、先ほどよりも優しく頭を撫でてやると、それが正解だと言わんばかりにもぞもぞと動いた彼がより密着するようにギュッと抱きついてきた。


「甘えんぼ」


いつもならここで否定するような一言を言うはずだけど今日はそれがない。こんな彼は本当に珍しくて、それを良いことにふふっと隠しもせず笑ってみるけど、それでも何も言われることはなかった。


「蛍くん、予定入れないでくれてありがとう」

「…………」

「ご飯作って待ってるね。ケーキはいつも通りショートケーキでいい?」

「うん」

「頑張って作るね」


ポンポンと頭に手を置けば満足そうに頷いてくれる。頭の頂点へキスを落とすと、ピクッと反応した蛍くんが静かに顔を上げた。また何も言わずにジッと何かを訴えてくる瞳を見つめ返して、そっと体制を変えキスをひとつしてみれば、もう一度体を起こし私に覆い被さった彼が、顔にかかった私の髪の毛を丁寧に払った。


「ナマエさん」

「ん?」

「…………」

「んー、何かな?」


困ったなぁという表情をすれば、擦り寄るようにして頬を合わせにきた蛍くんが耳元でボソッと「今日は僕の言う通りにして」と掠れた声で囁いた。返事の代わりにその頬にキスをしてやる。少しだけ口角を上げた彼は、嬉しそうにしながら「今日だけ」と笑ってもう一度唇を落とす。布の擦れる音に混じって二人分の笑い声が響いた。


「今日だけって言うけど、結構いつも蛍くんの言う通りにしてるよ」

「うるさい」

「ま、いっか。今日はたくさん甘えてくれる日だもんね」


そういえばいつだったか、彼のお兄さんが誕生日はその本人の言ったことを何でもしてあげる日なのだと言っていた。きっと小さい頃から今日だけはいつもよりも素直になれる日だったんだろう。歳の割にかなり大人びた性格の蛍くんだけど、実はとんだ末っ子気質で子供っぽいところもある。いつもクールでかっこいいのにたまにうんと可愛くて、年下の男の子だなぁと感じられる。そんなギャップがたまらなくて、それがとても好きだ。


「おいで」


今日は一日中、蛍くんがこれ以上はもう良いと根を上げるくらいまで思いっきり甘やかしてあげよう。


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