清水潔子と親友


◎2023年1月企画

悔しくて悔しくてたまらないのだ。嗚咽が止まらないほどに涙が出る。勘違いしないで欲しいのは、私は彼女に対して恋愛感情は抱いていない。この気持ちを誰に理解してほしいとも思っていない。

私には幼馴染兼親友がいる。家が近所で出会いは幼稚園に入る前。高校までずっと一緒だった。大学からは目指す進路が違ったからバラバラだったけど、それでもずっとずっと共に過ごしてきたのだ。高校を卒業しても連絡は絶えず取り合っていたし、何かがあればすぐに報告しあっていたし、忙しい中でも定期的に会うことはやめなかった。

出会って二十年。お互い友達百人というような性格ではないけれど、私も彼女ももちろん他にも友達はいる。それでもこの子以上はきっと現れない。そう思えるほどに、私にとって彼女は特別な存在だった。お互いにお互いの幸せを喜んで、悲しいことは分かち合ってきたのだ。

彼女は、美しい。女の私でも見惚れるくらい。誰もが彼女のことを美人だと思うだろう。そんな子が人生で一番と言ってももしかしたら過言ではないかもしれない綺麗な日が今日だ。

何にも染まらない純白のドレスを身に纏って、人生の誓いを立てる。今までに見たどんな姿よりも美しかった。幸せに溢れている。あの彼女が少し涙しそうになりながらも、満開に咲き乱れるように可憐に笑うのだ。私は、そんな彼女の表情を見てただひたすら涙を流した。

彼女の幸せを誰よりも願ってきた。誰よりも。誰よりもだ。だから今この瞬間以上に嬉しいことはない。相手があまりよろしくない人だったら大反対するけど、田中くんなら大賛成。私自身はあまり彼と関わり深くは無いけれど、それでもこの人と結婚するなら絶対に幸せになれると思える相手だし、本当に、心の底から良かったねと声をかけることが出来るのだ。

けれど涙が止まらない。喜び、感動。それらの感情が支配する中、わずかに浮かび上がる悔しさが私の心を蝕み始めている。

彼女は結婚してしまった。私以外の人と。そんなことは当たり前だ。だって私たちは友達だから。今一度言うが恋愛感情は決して持っていない。それじゃあ何がそんなに悔しいのか。


「ミョウジさん!」


彼女のドレスに合わせたスーツを纏う田中くんが私の名前を呼ぶ。それと同時に式が終わってからずっと無理矢理押さえていた涙が再び競り上がってきた。そんな私を見て田中くんが狼狽えて、隣にいる潔子が「ナマエ?」と心配そうに声をかけてくれる。

披露宴の真っ只中。新郎新婦の目の前で、笑顔ではなく、顔を歪めこんなにもボロボロと涙を流すのは、当たり前だけれどこの会場内には私一人だけだった。


「潔子……っ」


やっとのことで絞り出した私の小さな声に反応を示した彼女が顔を覗き込む。続けて私の放った「どうして」と言う言葉に、二人は同じように首を傾げた。


「私は、潔子と二十年も一緒にいたのにっ……」


こんなにも長い時間、同じ時を過ごして来た。二十年だ。人生の半分なんてもんじゃない。それなのに、とられた。ポッと出の男に。とられたという言い方は流石に嫌な言い方かもしれないけど、それでもそんな気持ちになる。彼女と彼の付き合いは短いものではないし、付き合うまでの期間も長かった。それでも私と潔子の時間からするとポッと出なのだ。これは田中くんが嫌いだとかそういう問題じゃなくて、相手が誰だとしても陥った感情だと思う。私以上に潔子と長く一緒にいる人なんて他にはいないはずだから。

今まで嬉しいことがあれば私は一番に彼女に報告をして、彼女は一番に私に教えてくれた。悔しいことも、悲しいことも、今頑張っていることも、何もかも。その優先順位がもうどう頑張っても田中くんには勝てなくなる。友達は、家族の優先順位よりも上にはいけないのだ。

負けとか勝ちかそういうんじゃないけど、でも他に上手い言い方がわからない。とにかく、幸せを喜ぶと同時にうまく言葉にできない悔しさが込み上げてくるのだ。

旦那という立場になる人と、友人という立場で留まる私。そこに優劣なんて無いはずだ。潔子もきっとそう思うはずだ。だけど、それでも、どうしてだろう。なんだか悔しい。潔子を独占しようなんて考えはないし、自分が田中くんの立場になりたいとも思ってない。言葉にできない複雑すぎる感情がそこにはある。全員に理解してほしい感情でも、理解できる感情でもないんだろう。これは私と潔子だからこそ生まれた想いだ。他の友人に対してはこんな風に思ったことはない。

もう一度繰り返すが、私は彼女の幸せを願っているし、彼女を何よりも大切な友人だと思っている。心の底から、田中くんというとても素晴らしい相手に選ばれ、選んだことを尊敬し祝福している。

拙い言葉で途切れ途切れに伝えると、潔子は困ったように、でもとても嬉しそうに笑った。私もナマエが結婚するってなったら、私の方がいろんなナマエのこと知ってるのにって、ちょっとなっちゃうかも、と言いながら。


「田中くん、絶対絶対潔子のこと幸せにしてね」

「……っハイッ!!」


真剣な表情で私と潔子のやりとりを聞いていた田中くんが、会場内に響き渡るくらいに勢いよく大きな返事をした。彼はやっぱりどこをとっても良い人だ。彼女が選んだんだから間違いない。

嬉しさと、誇らしさと、悔しさと、全てごちゃ混ぜになって二十年分がのしかかってくる。潔子が笑いながら私の両肩に手を置いて、「こんな風に想ってくれる大事な友達がいるなんて私は幸せ者だ」と言って瞳を僅かに潤ませたのを見て、私はまた大粒の涙を蛇口の栓が壊れたかのようにボロボロと溢した。


「二人とも、本当におめでとう」


そう言いながら嗚咽をあげ泣く私に二人はもう一度微笑みかける。少し離れたテーブルから私たちをずっと見ていた菅原たちが、動画を撮りながら笑っていた。



積もることのない雪が舞う、仙台の片隅にある小さなチャペルに鐘の音が響く。彼女が着ていたものとは形の違う純白のドレスは、トレーンが長くて少し重たい。一歩一歩踏みしめるように慎重に歩く私を見つめる潔子に名前を呼ばれる。視線をそちらへと向けると、いつも大きくキリッとした瞳でクールな印象の彼女が、今にも溢れそうなほどに涙を溜めて、顔全体を緩ませているのが見えた。


「あの時ナマエが言ってくれたこと覚えてる?今私もすごく悔しい。心からおめでとう」


彼女の隣を通り過ぎるわずかな時間に伝えられたその言葉に鼻の奥がツンとなった。ここで涙を流せばせっかくのメイクが崩れてしまう。少し上を見上げどうにかそれを堰き止めて、首だけで振り返って潔子に笑いかけた。ありがとう、これからどんな形になっても、私と潔子の友情も関係も絶対に今までのように続いていくよ。言葉は何も発していないけど、私の思いはきちんと彼女に届いたみたいで、彼女は大きく頷いてくれた。

潔子の苗字が変わっても、私たちの関係は変わることなんてなかった。いつだって潔子が一番の友人で、一番長く一緒にいる理解者で、私も彼女のそれだった。私の苗字が変わったとしても、その関係は変わらないだろう。

大切すぎる友達だからこそ生まれる言い表しようがない複雑な感情は、他の誰でもない私たちだからこそ生まれてくるものだと思えば、それほどの関係を築き上げてきた自分たちをまた誇らしくも思える。

積もることのない雪が舞う、仙台の片隅にある小さなチャペル。降り注ぐ雪を溶かしてしまいそうな温かな人々の感情に包まれているこの空間は、真冬の寒さなんてすっかり忘れさせるほどの心地の良さだ。


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