縁下力キャプテンと後輩


◎2022年12月企画


久しぶりに見る顔に安心感を覚えるのは、何も俺だけではないはずだ。体育館の入口に群がる部員達。久しぶりに顔を出してくれた先輩は、卒業した今でも頼もしい存在に変わりなかった。未だ大地さんのことをキャプテンと呼び、全身で喜びを表す後輩達や同級生達を微笑ましく眺めながら、この感じじゃ今行っても話せそうにないなと落ち着くのを少し離れた場所で待っている。

主将といえば、たぶん俺たちの学年と一つ下の後輩たちの頭の中にまず思い浮かぶのはいつだって大地さんなんだと思う。それを悔しいとも思わないし、悲しいとも思わない。自分の中でも大地さん以上の人は存在しないからだ。

わいわいと騒ぎ続ける輪から外れ、俺の方に駆けて来た女の子はこの春からバレー部を支えてくれている新マネージャーのうちの一人。ストンと隣に腰を下ろし、「あの人春高の中継で見ました、昨年度のキャプテンですよね」と大地さんの方を向く彼女に、短く「うん」と答える。


「縁下先輩は行かないんですか?」

「俺はあいつらが落ち着いてからでいいや」


手元にあったボトルを傾けると、中身はもう僅かしかなかったようで、求めていたドリンクはすぐになくなってしまった。彼女がそれを見て「入れてきます」と立ち上がろうとするのを、「後で大丈夫だから今は休憩してていいよ」と引き止める。素直にそうですかと再び腰を下ろした彼女は、そのまま俺と同じように入口で盛り上がり続ける集団に視線を向けた。


「キャプテンって、私も呼んでもいいですかね」

「いいんじゃない?」

「じゃあ呼ばせてもらいます。キャプテン」

「…………え、あ、俺?」


思わず間抜けな声を出してしまった。目を見開く俺に彼女は怪訝な視線を向ける。


「先輩意外に誰がいるんですか」

「いや、てっきり大地さんのことだと」

「……私はあの人、関わりないですもん」


そう言うと彼女は賑やかな入り口の方に視線を向け、そして再度ゆっくりとこっちを見た。


「私にとってのキャプテンは、縁下先輩だけですから」


そう言われて、なんだかむず痒い気持ちになった。俺たちにとって大地さんは今でも立派なキャプテンだ。俺はどうなんだろう。追いつけているのだろうか。わからない。けど、自分なりに頑張らなくては。

そう思いながら必死に過ごしているけれど、比べているのは俺だけで、彼女にとっては比べる対象なんていないんだ。当たり前の事なのに、たった今気がついた。

あの人のようになるとか、近づきたいだとか、だから完璧になりきれてない俺は一番に思い浮かべてもらえないのは当然だとか、そういうのは自分が勝手に作り出していたプレッシャーだったのか。

キャプテンとして、どうすればいいのか手探りでやってきたけど、今までのキャプテンたちはどうしてきたかじゃなくて、俺は俺の考えで動いていけばいいんだ。


「ありがとう」


突然そう小さく呟いた俺に首を傾げながらも、彼女はどういたしましてと返事をした。


―――――――――――――――


吐き出した息が真っ白な雪に混じって溶ける。凍てつくような宮城の冬は、逃げ出したくなるほどに寒くて、でもずっと見ていたいと思うくらいに街を覆う白は綺麗で。


「キャプテン」


俺を呼んだ彼女は、温かなペットボトルをこちらに差し出しながら、早く受け取れとでも言うような視線を寄越した。


「ありがとう」

「もう、寒くて嫌になっちゃいますね。仕方ないですけど」

「うん」


彼女は意外にもよく喋る。でも、常に落ち着いている。彼女の生み出すその空気感は心地よくて、全国に向けての最後の練習の追い込みだとか、宮城代表としての重圧だとか、主将としての威厳だとか、相変わらず手のかかるチームメイト達をまとめる苦労だとかを全部忘れられるような気がする。変に気張らずに立って居られる。


「初めての全国大会、緊張します」

「俺も。慣れないよ、大舞台は」


サクサクと地面を踏む軽快な音が響く。歩幅の小さな彼女が、ぐるぐる巻きにしたマフラーに顔を埋め、ちょこちょこと隣を歩く姿は、まるで小動物のようだった。


「手袋、今日は忘れてきたの?」


両手を擦り合わせ、どうにかして暖を取ろうとする彼女の真っ赤に悴んだ手のひらを自身のそれで包むように触れた。静かに降る雪の音がうるさい。ゆっくりと顔を上げた彼女は、目を細め、してやったりといった表情で薄く笑う。


「キャプテンの手の方が、手袋よりもあったかいから」

「……だからって、それまでが寒いでしょ」


小さく吐き出した息は、白く目に見える形で真っ暗な空に昇っていく。街灯に照らされてチラチラと光る雪を受けながら、彼女の思惑通りにその手を握りしめて自身のポケットに無理やり突っ込んだ。


「もう学校出て結構経ったし、キャプテンじゃなくてもいいんじゃない」

「うん。でも私この呼び方、好きなの」


私にとってのキャプテンは、縁下先輩だけですから。そう言ったあの時の彼女を思い出す。

来月の半ばには、俺はもういない。もうキャプテンじゃなくなる。違うやつがこのポジションになって、俺はこの部活を去る。けれど、それでもきっと彼女は俺のことをこうして時々キャプテンと呼ぶんだろう。チームメイトが大地さんを未だそう呼ぶように。

認められているとか、認められてないとか、そういうのじゃない。その人にとってのそのポジションを認識した時の問題なんだ。俺たちはそれが大地さんだった。彼女達の代は俺だった。そしてまた、新たに山口に同じ感情を抱くやつらも現れるんだろう。

主将として立つ大きい舞台は怖い。上に進むことは怖い。襲いかかる重圧は怖い。それでもその恐怖は良い意味で自分を正してくれるもので、潰すものではないのだと、彼女の態度のおかげでそう思える。

嬉しそうに笑った彼女の口元から漏れる白がふわふわと辺りを彩った。あと二週間もしないうちに俺たちはまた東京に向かう。全国の強い奴らが集う場所に。


「春高、楽しみですね。キャプテン」


その肩書きに絡みついてくるはずのいくつものしがらみが、彼女の白い息と共にほろほろと消えていく。思わず握りしめた手の力強さに「痛いよ、力くん」とまた彼女が雪を溶かすように笑った。

冬の象徴とも言える花が空から舞い散る、凍えるような真っ白な夜。始まったばかりの俺たちの熱い春は、まだしばらく終わることはない。


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