ずるい大人の恋の始まり


戸惑いを隠しきれていない、小刻みに左右に動く瞳を固定するように射抜いた。記憶よりも綺麗になった彼女はもう当時の幼さを残してはいない。それもそのはずだ。お互い中学生だったあの日から、もう十年以上が経過している。


「あ、の、角名くん」

「何?」

「……なんでも、ない」


ふいっと態とらしく視線を逸らされた。逃げようとする手のひらを柔く握る。ピクンと反応を示すそれを指でそっとなぞりながら、何事もないような顔をして彼女と反対隣に座るすっかり名前を忘れた元クラスメイトの話に乗った。

十年以上前、まだ何も知らなかった子供の俺たちが付き合っていたのは卒業前の短い期間だった。あれから一度も連絡を取り合ってはいないし、SNSも繋がってはいない。そんな元彼にいきなり周りにばれなように机の下で手を握られてしまっては、彼女がこうして戸惑うのも無理ないだろう。

縮こまり、静かに手元の酒を飲むことしかできない彼女を見て、酔っているのかと心配した周りの奴らが声をかける。大丈夫?との言葉に彼女は「大丈夫」と小さく呟き返した。どこからどう見ても大丈夫ではなさそうな様子で。


「無理しないほうが良いよ」

「……え?」

「さっきからなんか我慢してない?」

「え、角名くん、何言って」

「ミョウジさん、少し酔い覚ました方が良いかも」


肩を支え無理矢理立ち上がらせた。ちょっと出てくる。俺がそう言うと、元クラスメイト達は「そのまま二人で帰んなよー」なんて茶化してくる。それに「んなことするわけないじゃん」と返し、何も言わない彼女と二人で店の外へと出た。

されるがままに少し肌寒い外へと引っ張り出された彼女は、どこか不安げな表情を浮かべながら俺の顔を見上げる。彼女があの時よりも小さくなった気がするのは、単に俺の背があれから随分伸びたからだろう。彼女の身長はさほど変わってはいないようだった。


「いきなりごめんね、あんなことして」

「…………」

「驚いたでしょ」

「……うん」


大人と呼ばれる年齢になってから結構な月日が経っても、彼女はあの時のままうまく誤魔化すことが出来ないようだった。どこからどう見ても成熟した女性と呼べる見た目で、まるで少女のような反応を見せる。


「ごめん、角名くんが何考えてるかわかんなくて、どう反応していいのかもわからなくて」

「本当に?」

「…………」

「本当に俺が何考えてるかわからない?」


一瞬たりとも視線を逸らしてはやらない。彼女はしばらく黙り込んだ後、気まずそうに唇を震わせた。


「わかんないよ」


俯く彼女の左手をそっと握った。僅かに肩が揺れる。わかんない、か。実際には俺自身もわかってないから、それにどう返せば良いか上手い答えが見つからない。

明確な何かを見出して動き始める幼い頃の純粋な感情と、境目が曖昧になりがちな今の俺たちの感情は、突き詰めた先にあるものは同じはずなのにどこか違くて、でもやっぱり同じだった。

良いと思ったら良いんだ。あの頃感じていた彼女に対しての印象は今会っても変わらなかった。だからと言ってこうして同窓会で再開したからすぐに好きだなんてそんなことは思わない。でも、もしもこの先に可能性があるなら踏み出してみても良いだろうかなんて、そんな考えが頭をよぎる。


「嫌だったらはっきり言ってね」

「…………」

「何も言わないんなら、ミョウジさんも俺と同じだって思って進めるよ」


彼女は体を強張らせただけで何も言葉を発しなかった。静寂が俺たちを包む。彼女の柔らかい手のひらは記憶に残っている感触と何も変わっていなくて、記憶にはない綺麗で控えめなネイルが施されている。


「これから俺と抜け出さない?」

「……でも私、遊ぶのとか、向いてないよ」

「そんなのわかってる」

「本気にして、角名くんのことまた好きになっちゃうかもよ」

「本気になってみてよ。俺もミョウジさんのことまた好きになれそうだなと思ったから誘ってるんだよ」

「なったんじゃなくて、なりそうな段階なんだ」


彼女はそう言ったけれど俺の発言に怒っている訳ではないらしく、わざとらしくいじけるようにして見せるだけでそれ以上強くは出てこなかった。

はっきりと好きですとは告げられない。これからのことも提示できない。勢いだけじゃ進めないのに、手を伸ばしたくなるのは昔と一緒。子供の頃よりも曖昧に始まっていく嫌な大人の恋愛に明確な合図なんかはなくて、だけどお互いどこか確信めいている。

高校が離れてしまうこと、地元を出ていくこと。子供の時にはどうにもならない壁でしかなかったことが、今はやり方次第でどうにかなるかもしれなくなったのは、俺たちが確かに年齢を刻んできた証だ。


「ずるい」

「俺もミョウジさんも、ずるい大人になったよ」

「……本当にずるい」


柔く握り返された指先に彼女の熱が集中した。小さな胸の灯火がゆらゆらと存在を主張し始める。若干不安気で、それでいて僅かにこの先に期待するような俺を見上げた彼女の表情をもっと明るく照らせるように、出来るだけ優しく微笑みかけてみせた。

あの頃の俺たちが踏み出せず立ち止まった道を二人で、もう一度歩き出してみようか。


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