十ヶ月越し


蒸すような熱い夏の日。ぬるい風がそれでも若干の涼しさを運んでくる。目の前に立つ佐久早くんは、何も言わない私にもう一度先程の言葉を告げた。好きだ、と。

別に聞こえていなかったわけじゃないんだけどな。困ったように眉を下げた。佐久早くんはそんな私の表情を見て顔を顰める。


「何か言え」

「うん……えーと、何て返せばいいのか」


イラッとした表情を見せた彼は眉間に皺を寄せた。そんな顔されても。だって、いきなりすぎる。私は去年告げたはずだ。涼しさと暖かさが混じったような秋の夕暮れ。一歩前を歩いていた佐久早くんに小さな声で放った言葉はしっかりと彼に届いて、そして受け入れてはもらえなかった。

あの日から今日までの十ヶ月ちょっと、私は佐久早くんへの気持ちを抑え込む訓練をしてきたのだ。その成果がしっかりと出ているのだろうか。自分でも不思議なくらいに落ちつけている。


「去年の秋、俺に好きって言っただろ」

「うん、言ったね」

「あの時は好きじゃなかったのは本当だ。でもあれからお前のことが気になり始めて、ずっと考えてた」


多分、佐久早くんはこういうことを自ら伝えることに慣れてない。少し怒っているようにも聞こえる声のトーンはきっと恥ずかしさを誤魔化すためで、時間が経つにつれどんどん濃くなっていく眉間の皺は、気分が悪いんじゃなくて少し焦っていることを表している。


「もう俺のこと好きじゃなくなったのか」


大きな声を出すような人ではないけど、いつもよりもさらに声が小さかった。怯えている。こんなにも完璧になんでもこなして、それに対しての努力を惜しまないような人が。


「……頑張ってきたのに、意味、なくなっちゃったじゃん」


佐久早くんへの気持ちを封じ込めて、抑え込む訓練を積んできた私の努力は水の泡だ。彼の僅かな変化にこんなにも敏感になる。いつも見てるから。ずっと考えてきたから。どれだけ気持ちを遠ざけようとしても、消そうとしても出来なかった。今でも、去年と変わらず佐久早くんが好きだ。

目の周りが真っ赤に染まる。表情を緩めた佐久早くんがそこにゆっくり手を伸ばした。彼が、こんなにも自然に私に触れてくれる。

蜃気楼みたいに視界がゆらゆらと揺れた。太陽で溶けてしまったのか、壁が崩壊して十ヶ月溜め込んだ感情が一気に溢れ出す。

倒れてしまいそうだ。こんなにも暑いから、思わずこぼれ落ちてしまった涙でさえも、目元に触れた佐久早くんの指先くらいの熱さを持っていた。


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