梅雨生まれの日向翔陽


◎2022年6月企画


しとしとと降り注ぐ雨粒が、鮮やかな紫陽花の表面を叩いて綺麗な音を鳴らしている、梅雨の始まる六月。

湿気を多く含んだぬるい空気が肌にまとわりついて気持ち悪い。それでも半袖でいるのはまだ少し寒くて、学校指定のジャージを羽織りながら窓の外を眺め、ふらふらと廊下を歩いていた。


「あ、ミョウジさん!」

「日向くん」


たぶん、それほど親しくない。こんな言い方をすると冷たいと思われるかもしれないけど、でも間違ってもいないはずだ。私と彼は同じクラスで、話したことがないわけじゃないけど、でもこうやってたまたますれ違った時に名前を呼ばれて呼び止められるほどの仲まででは無いと思う。


「部活?」

「そー!ミョウジさんも?」

「うん。外使えないから、今日は中で」


私の言葉に「おれも」と言って横に並んだ日向くんは同じ方向へと歩き出す。体育館が今日は後半からしか使えないらしく、今は校内でトレーニング中らしい。

さすがに二年間同じクラスをしてたら、そこまでの親密さはなくても慣れはあるのだろうか。この距離で話していてもお互いこれといって何も思うことはなかった。

お互いの目的地へと道が分かれる階段へとたどり着くまで、たぶん、たったの二分もなかったと思う。その短い間日向くんはずっと楽しそうに部活の話をしていて、私はそれを笑って聞いていた。仲の良さの度合いとか親密さとか、そんなの関係なく彼は接してくれる。チラリと盗み見た彼の笑顔は眩しかった。

窓の外はまだまだ止みそうもない雨が絶えず空から降り注いでいて、青空なんてものは見えない。くすんだ黒の多いグレーに覆われたそこには太陽なんてものは存在しなかったけど、不思議とこの空間が暗いとは感じなかった。トクンと少しだけ高鳴った心臓の音は、廊下に響く雨音のせいで日向くんはおろかその時は私自身も気がついていなかった。

高校二年生の時の、たった数分間の何気ないその出来事が私の頭の中にずっと残っている。テレビの中で大きく飛んだ彼の表情はあの日見た笑顔と全く変わっていなくて、それについ笑みが溢れてしまった。

これは後々聞いた話だけど、彼は六月の生まれらしい。名前からして明るい太陽を連想させる彼なのに、一年間で一番太陽が隠れてしまう季節の生まれだなんて最初は知った時は驚いた。だけど、今ではなんだかそれも納得できる。

今年もこの季節がやってきた。例に漏れず空は鈍い鼠色をしていて、雨はさほど強くはないが止む気配はこれっぽっちもない。

手に持ったスマホで彼のトークルームを開いた。今日はそのまま帰ってくるらしいから、いつもよりも少しだけ時間をかけて、手の込んだ料理でも作ってみようか。

初めて手料理を振る舞う時に、好きな食べ物は何かと聞いたら卵かけご飯と言われてしまったのには少し戸惑ったけど、彼は慌てたように手を振って「ナマエの作るものならなんでも嬉しいから」と続けた。そして黙り込んだままの私に「あっ!これは!別にテキトーに答えているわけではなく!好きな人の、は、俺はなんでも嬉しいから」と焦りながらさらに声を大きくして言ってくれた。私は最初の彼の言葉が嬉しくてリアクションが追いつかなかっただけだけど、追い打ちをかけるようなその言葉にさらに顔を赤くして黙り込んでしまったのだった。

二人がけのふかふかのソファから立ち上がると同時にテレビから大きな歓声が弾け飛んできた。彼の周りの全てを照らすような眩い笑顔が映し出される。それをしっかりと見届けて、手元のスマホにまた視線を落とした。


『翔陽、お疲れ様。そしておめでとう。帰りの時間わかったら一応連絡してね』


それだけを打ち込んでキッチンへと向かった。きっと返信が来るにはまだまだ時間がかかる。こんなにも熱戦を繰り広げた試合の後だから疲れているはずだけど、彼はそんな様子は全く見せずに今日も笑顔で玄関を潜ってくるだろう。

雨は先ほどよりも強さが増した。パタパタと大きな音を立てて今が梅雨であるのだと主張してくる。明日も明後日もきっと晴れることはないだろう。けれど、やっぱり、暗い気持ちにはならなかった。

一年間、いつだって曇りを見せない彼のために昼間のうちに考えておいた献立を頭に思い浮かべた。

六月だって、梅雨だって、どんな天候だって太陽はいつも確実にそこに存在している。たとえ姿が見えなくても、私は彼のおかげでいつだって明るくいられるのだ。

この毎日毎日降り注いでいる雨が、人々に今年も夏の到来を告げる。


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