同じ電車に乗ってる気になる人


満員ではないものの人がそこそこ多いこの時間の電車は、ゆったりと立ってはいられるものの座ることは出来ない。決まって同じ時間、同じ車両、同じ場所に座る私の前には、毎日同じ男性が座っている。

目の前に座る大きなその男性にそっと視線を向ける。彼はいつも端っこの席にいて、そしていつもどこか遠くを見ていた。気怠い眼差しで窓の外を見るその瞳が毎朝気になって仕方がない。

片手にスマホを持ちながらその様子をチラチラと確認する。その黒髪の独特なヘアスタイルはどうやってセットしているのだろう。謎が深い。

吊革に捕まりながらスマホを操作することもせず目の前のその人のことをぼーっと眺めていたら、流石に視線に気づかれてしまったのか、こちらを向いたその人とバッチリ目が合ってしまった。

思わず素早く視線を逸らす。気まずい。ジッとこっちを見ているその人は、スマホの画面へ視線を落として集中しているふりをしても私から目線を外すことはなかった。


「俺次降りるんで、ここどうぞ」


その人が口を開く。イメージ通りの落ち着いた声だったが想像していた数倍良い声でびっくりした。でもそれよりもまず話しかけられたことに何よりも驚いてしまう。

そっと目線をそちらへと移す。いつもと変わらない表情のまま、その人は未だにこちらを見ていた。別に座りたくて見ていたわけではないけれど、これだけチラチラと見ていたせいでそう思われてしまったのだろうか。少し恥ずかしい。

私が断るより先にその人は動き出してしまった。どうするか迷ったものの、どうぞと追加で飛んできたその言葉に甘え「すみません、ありがとうございます」とお礼を告げながらそこに座った。

いつもこの次の駅でこの人が降りることはもちろん知っている。その空いた場所に私が交代するように素早く座ることをこの人は知らないのだろうか。全く興味がなく気づいていないという可能性もあるのかもしれないが、毎日毎日そうしているから気づかれていてもおかしくはない。


「おねーさんさ、毎日見すぎ」


そんなことを考えていれば、笑いながらこちらを見下ろすその人とまた視線が合った。いつも身長高いなと思ってはいたけれど、こうして見下ろされるとその圧は想像以上に強い。

と、言うよりも、今この人はなんと言ったか。私が毎日お兄さんのことを見ていたのはバレていたのか。


「そんなに見られると、流石に俺も気になっちゃうんですけど」

「え、あっ、そうですよね、すみません」

「……あぁ、そういうんじゃなくて」


別に悪い意味ではなくてね。そう言って片方の口角を上げたお兄さんは、他の人にはわからない位の小さな声で「また明日ね」と笑って手を振り開いたドアの向こうに消えていった。

たった数分、たった少しのこの会話とも言えない一方的なお兄さんの言葉が頭の中をぐるぐると回る。何も言い返せなかった。ただ、いつも気怠げに窓の外を見ていたあの瞳が、他の誰でもない私を捉えていたという事実に体がブワッと熱を発する。

また明日ということは、明日もきちんとこの電車に乗れということだ。現段階では好きとかそんな感情は全くないが、一方的にどうしてか気になっていたその人とついに接点が生まれてしまった。

毎日同じこの電車に乗っている、トサカのような個性的な髪型をした男の人。この時の私はまだ、その人の名前すらも知らない。


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