佐久早だってキスは出来る
「佐久早ってキスとかできるの?」
「は?」
二人きりで過ごすことにも慣れてきた。俺たちの間にはいつだって元也がいて、いつも三人で過ごしていたから、こうして二人きりでいる時間ができたのは俺たちが付き合い始めてからだ。
今日だってずっと二人で、特に何をするでもなく昼休みを過ごしていた。誰もいないここにはナマエの声がよく響いて、その言葉を聞き間違えるなんてことはない。今なんて言ったという視線を投げかけてみれば、ナマエはもう一度同じ言葉を口にした。
「佐久早ってキスとかできるの?」
「いきなり何」
「いや、純粋に疑問」
一体どんな疑問だよ。と言うのは心の中に留めておく。ここで変に発言して、返ってきた言葉にまた返せるほど俺は口が達者なわけではないし、何より話題が話題だ。変に広げられても困る。
「だってさ、佐久早って潔癖なわけじゃん」
「別に潔癖ってわけじゃねぇ」
「いやそれは嘘」
ケラケラ笑ったコイツはそのまま俺の手を取った。眉を顰めてみれば、ホラ嫌そうにするじゃんなんて言ってくる。俺は笑われたのが気に食わなかっただけで、手を取られたことに対して顔を顰めたわけじゃない。
「まぁ、私は佐久早といれれば何でもいいから、あんまり気にしないでね」
そう言ってナマエは前を向いた。もうこの話題には対して興味がないのか昨日のドラマについてペラペラと話している。俺はそんなドラマには興味ねぇ。さっきは変に触れると後が面倒そうだと思っていたが、今度は俺からその話を振った。
「今俺がお前にキスしたらどうする」
「できるの?無理しなくてもいいって」
「無理じゃない」
「えー、ほんとに?」
「本気に捉えてないだろ」
「それはそうだよ。だって佐久早、私とはまだ手も繋いで歩いたこともないのに」
言い切る前にその口を塞いだ。ペラペラと動いていた口はピッタリと動かなくなる。静寂が辺りを包んだ。至近距離で目が合う。驚きでパチパチと瞬きを繰り返すその顔がなんだか面白くて、さっき感じた唇の柔らかさを再確認するようにもう一度重ね合わせてみた。
「……なんか言え」
「いや、驚きで何も言えないんだけど……」
「なんかあるだろ」
佐久早って、ずっと何もしてこないしそういうの苦手そうって思ってたから本当にびっくりしてるんだよ。と、未だ頬を赤らめながら目を見開いたままのナマエの手を今度は俺からそっと握る。
「俺はお前のこと汚ねぇとは思ってない」
「良かった、そう思われてたら泣いちゃうところだった」
「黙って聞け」
俺たちは友人としている期間の方が圧倒的に長かった。いつも間には元也もいたし。付き合い始めたからっていきなり今までの距離感を一気に縮めることなんて出来ないだろ。むしろ付き合うまでの期間が長すぎたからこそ、その距離の上手い縮め方がわからなかったのもある。
「だから別に、手繋ぎたくなかったわけでも、キスが出来ないわけでもねぇ」
「そう、なんだ」
「好きで付き合ってんだから当たり前だろ」
「ちょっと待ってそんなことまで言ってくれんの」
キャパオーバーだよ。そう言ったナマエの顔は真っ赤だった。付き合う前にはこんな顔は見たことはなかった。きっとナマエと仲が良い元也だって見たことはないだろう。
「お前のその顔」
「ん?恥ずかしいからあんまり見ないで欲しい」
「それ、見れんのが俺だけって思ったらやっぱり付き合って良かった」
こうしてキスだってできるし。何回も言うが俺は潔癖じゃなくて慎重なだけだ。必死に顔を隠そうとするナマエの手を無理矢理退けて、人生で三回目のキスをした。嫌だなんて、そんなことは決して思わなかった。
前へ 次へ