東峰旭にちゃんと抱きしめられてみたい
中学の同級生に彼氏の写真を見せたら恐れられた。彼の性格からして絶対にありえないような行いをした、という噂が勝手に一人歩きをしている時もある。土曜日なのに彼の部活が休みになって、貴重な日だからとお互いに私服でデートしていたら、良い大人が高校生と付き合うんじゃないと見知らぬ人に怒鳴られていた。
可哀想に思う。でも、申し訳ないけどちょっと面白い。根も葉もない噂を広めるのはやめてほしいけれど。
彼がどうしてこんなことになっているかというと、顔が怖いからだ。シンプルに怖い。そして高校生にしてはとても大人びている。だから同級生の私と歩いていても、勘違いした人に怒られてしまうし、彼の性格を知らない中学の友達たちには写真だけだと恐れられる。
しかし彼は私でも笑ってしまうほどに臆病で繊細な心の持ち主で、誰よりも心優しい人なのである。
付き合い始めて、もう半年が過ぎようとしている私の抱きしめ方さえ未だ迷っているくらいに。
背中に回された腕は、私の二倍くらいあるんじゃないかと思ってしまうくらいに太くて、頑丈そうな筋肉がしっかりとついている。彼は全国行きが決まった我が校の男子バレーボール部のエースで、背も私と比べても、クラスの他の男の子と比べてもうんと高い。
こういう男の子に抱きしめられたら、どんな感じになると思う?
頼り甲斐があるその腕に守られて安心感が芽生える?大きな体に包まれて包容力にうっとりする?自分には出せない力の強さに胸が高鳴る?
きっと、これからは私もそう感じていくのだろうなと思う。でも今の時点ではそうは思えなくて、この人どこまで可愛いんだろう、と抱きしめられるたびに微笑ましくなる。
きっと彼も、私のことをもっと強く抱きしめたいとは思ってくれているのだろう。けれど自分が力加減を少しでも間違えてしまったら、私が壊れてしまうんじゃないかとも思っていると思う。
ものすごい威力でボールを地面に叩きつけているはずの腕は、その力を一切発揮することなくそっと背中に触れているだけで、たまに少しくすぐったい。
抱きしめられると彼の肩で向こう側が見えないけど、そこまでの密着度がないから視線を動かせばほんのわずかに空が見える。私はこの時に見る太陽の眩しさや、青空に一本かかる飛行機雲、夕日に染まる空間が好きだけど、彼によって光の全てを遮られてしまった真っ暗闇もいつか見てみたいと思う。
ハラハラした様子で私を抱きしめる彼は、もう抱きしめないほうがいいんじゃないかと逆に心配してしまうほどに毎回緊張してくれる。
もっと強くされても大丈夫だよと彼に早く言いたいけれど、この反応が見られなくなるのももったいなくて、私は今までずっと黙ってきた。
のだけど。
熱い熱い全国大会も終わり、もうすぐに卒業を控えた二月の中頃。未だに彼は私のことをまるで飴細工かのように丁寧に丁寧に扱い続けている。
「旭?」
「ハイッ!」
「何でそんな声出してんの」
「ゴメン……」
ケラケラと笑う私とは正反対の表情。もうこんなんじゃ、私たちはいつまで経っても次に進めはしない。
「もっと強く抱きしめてみてよ。私は大丈夫だよ」
「本当?」
この怖い顔で狼狽える姿はなかなか友達には見せられないと思う。し、私だけが見てれば良いとも思う。
恐る恐る彼が腕に力を入れる。わずかに密着度が増した。大丈夫?と私の様子を伺うように聞いてくる彼には、「まだまだ平気だし、全然足りない」と返した。
もっと。もっと欲しい。この長い長い期間で私が夢に見てきたのは、彼からの少し強いハグ、なんて軽いものではなくて、ぎゅーーーって感じの熱い抱擁なのだ。
「このくらいは?」
「まだまだ」
「じゃあこのくらい」
「まだまだ。旭にできる限りの力できてみて」
「それだと本当に潰れちゃうよ……!」
「大丈夫だから」
「……わかった。じゃあ、いきます」
ものすごく真剣な表情。に私は見えるけれど、きっと彼のことをよく知らない人が見たらものすごい怖い顔に見えるんだろう。
「……え、もうやってる?」
「やってるけど……」
「もっといけるでしょ」
「そんなこと言われても……これ以上は本当に潰しちゃうよ!?」
「ずっと思ってたけど、人間そんな簡単に潰れるわけないじゃん!」
思わず笑いながら大きな声を出した。そんな力の強く抱きしめられたくらいで潰れる程、女の子は柔じゃない。
試しに私が見本として出来る限りの力で抱きついてみる。彼はいきなりのことにびっくりしたのか、「ヒェエ」と随分と情けのないか細い声を出して、そのまま硬直した。
「こんな感じで」
「近っ」
「距離はさっきと変わってないよ。密着度は確かに上がってるかもしれないけどさ」
「……痛かったら、絶対に言ってよ?」
「うん、絶対言うから痛いって言うまで力込め続けてね。絶対言うからそれまで絶対強くね」
半ば無理やりだけど、これくらい言わないと彼はいつまで経っても弱々しく、私を変な方向に大事にし続けてくれるだろう。彼女としては、そんな優しい彼の思いやりはとてもとても嬉しい。けれど大好きだからこそ、少し物足りなくも思ってしまう。
彼の太くて立派な腕に徐々に力が籠っていく。ぎゅーーーーーっと、私が求めていた力の強さでやっと抱きしめてもらえることができた。旭は何も言わないけど、きっとハラハラしすぎて何も言えないの方が正しい顔をしているんだろう。この体勢じゃ彼の顔は見えないけれど、だてに彼の彼女を半年以上もやっているわけではない。
「痛くはないけど、もう十分だよ」
「…………」
「……旭?」
「え、あ……ハイ」
「何その弱々しすぎる声」
「もういっぱいいっぱいで」
「あはは」
こんなにも大きくて、いかつくて、誰が見ても最初は大抵怖いという印象を抱かれる彼。でも実際は心優しくて少しだけ臆病で、本当に可愛い人だ。彼女のことを潰したくないというヘンテコな理由で、あまり強く抱きしめられなかったりとか。
「やっとこうやってぎゅーってできて嬉しい」
「……!!」
「旭は?」
「嬉しい、けど」
「けど?」
「――嬉しいですッ!!」
緊張で体がカチカチになってしまっている。顔も真っ赤でタコみたいだ。可愛いけど、これ以上揶揄ってしまったら爆発してしまいそう。これは困る。
「まだまだやりたいことも、旭にして欲しいこともたくさんあるの」
「俺にできるかなあ」
「旭じゃないと出来ないしやってほしくないから」
「頑張ります」
「うん、ゆっくり時間かけてもっとたくさんしていこうね」
密着しているから、彼の心臓がバクバクと鳴り響いているのが伝わってくる。壊れそうなくらい激しい心音にまた愛おしさが増した。
いくらまだ高校生だとは言えども、学年の他のカップルが見たら、私達はもしかしたら「まだそんな段階なの」と笑われてしまうのかもしれない。やっとのことで強く抱きしめてもらえたくらいだ。キスも何も出来ているはずがない。
でもだからこそ、ゆっくりでも着実に彼との関係が進んでいっていることを実感できている。それが私にとっては一番の幸せなのだ。ゆっくりで良い。そこに何も不満はないのだから。
これからもきっと、彼は自身の欲よりも私のことを何よりも心配し優先してくれるのだろう。そんな彼の可愛くて優しいところが、大好きで信頼できるところだ。
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