理想の彼女


もしかしたら、別れた方が良いのかもしれない。

付き合ってからずっとそう思ってきたけれど、最近はより強くそう思う。付き合い始めた当初は治くんに私はふさわしくないかもしれないなんていう考えだったけど、最近は少し変わってきて、このまま彼と一緒にいたら私自身が持たないと思うようになっていた。

先々週から彼とはろくに顔を合わせていない。たまに昼休みにお弁当を一緒に食べたりだとか、彼の部活終わりに一緒に帰ったりだとかしていたけれど、それもパタっと無くなった。

彼の部活がこの時期はいつにも増して忙しいからというのもあるけれど、一番の原因は、私が意図的に避けているからだろう。

彼は人気者だ。クラスでも学年でも、学校全体で見ても。一年生の彼らの噂が三年生である私の所にまで回ってくるほど。他学年からも噂されるなんて私なんかじゃ到底考えられない人気っぷりである。

必ずなにかしらに所属しなければならない委員会が一緒で、たまたま話す機会があって仲良くなっただけの私が、そんな彼に告白をされたことも未だに信じられない出来事だけど、彼が私を本気で好いてくれていることはお付き合いを始めたこの期間であまりにもしっかりと伝えられてきた。

なのにどうしてこんなに別れたがっているのかというと、心配とか嫉妬とか、私が勝手にそういう負の感情を抱え込みすぎて苦しいからだ。

私の同級生、彼の同級生の可愛い子たちをみるたびに、こんな私がなぜ彼と、とどんどん自己肯定感は下がっていく。好きだからこそ出てくるわがままな感情は、こんな私を好きになってくれた彼に嫌われたくないがためにひた隠す。私の方が年上だし、好きな人といれるからと舞い上がり幼く見られるのも少し恥ずかしい。

苦しくて押しつぶされそうで、もう限界に近かったと思う。でも彼と顔を合わせないこの二週間は気が楽で、久しぶりにしっかりと呼吸ができた気持ちになった。

だから、治くんのことは好きだけど自分のためには別れた方がいいのかもしれない。そう思ってしまったのだ。


「別れへんよ」

「……急にどうしたの?」


久しぶりにバレー部の活動が休みだと聞いて彼に連絡をした。彼も私のことを誘おうとしていたらしく、予定を空けておいてくれたらしかった。

けれど当日までどこにいくかも決めていなくてふらふらと街を歩き続けていた。一緒に話しながら、学校の誰の人目も気にしなくて良い場所は私も過ごしやすい。彼とこうしてなんでもない道をただ歩くことが結構好きだった。

カフェの席でも学校の椅子でもどこでもない、ただの人通りの少ない道のガードレール。そこに彼が腰掛けたと思ったら静かに発された先程の一言。私も思わず足を止め、彼の方を振り返る。

この時期にしては少し暖かい気温。しかし風はまるで私たちを攻撃するかのような冷たさで北西から吹き続けている。


「急にそういう話しようとしとったのはそっちやろ、わかるで」


歩いていればわずかに暖かいとは思えるけれど、立ち止まったらやはり寒い。巻いていたマフラーに顔を埋める。寒いのと、彼に私の表情を見られなくするために。


「ごめん、伝わってたんだ」

「どうして」

「こんなこと言うの申し訳ないけど、治くんのこと考えない時の方が楽でいられるっぽい」

「なんやねんそれ」

「……私は治くんみたいな人の彼女になるの向いてないんだよ」


自嘲するように笑って見せたけど、彼が一緒になって笑ってくれるはずがなかった。それはそうだろう。あなたと付き合っていることは私にとっての負担ですと遠回しに伝えたようなものだ。たとえ私が相手にそう言われたら笑える気がしない。

本当の私はもっとわがままで、嫉妬深くて、年上のさっぱり感とか全然出せない性格なのだ。それを治くんに伝えてみる。面倒臭い女を彼女に持ってしまったと幻滅されたらと、別れ話を切り出しているにもかかわらず今でも怖い。


「俺はナマエさんのわがままとか、面倒臭い部分知らんけど」


私よりもうんと背の高い彼は、ガードレールに腰掛けていても見上げる必要がある。俯いていた顔を上げて彼の表情を確認したら、怒ってるだろう予想に反して顔を顰めながらすごく悲しそうな顔をしていた。


「言わないようにしてたから」

「なんで?」

「何でって、治くんにわがままだとか面倒臭いって思われたくなかったからだよ」

「なんで?」

「……だから、」


理解するつもりがあるのかないのか。なんでの一点張りな彼に思わず少し声を荒げてしまう。こうやって子供っぽいところを隠しきれず知られてしまうのも嫌だと思ったところで、すぐに遮るように言葉を被せて来た治くんが「俺がいつわがままで面倒臭い彼女は嫌って言うた?」と、今度は怒ったような表情で若干責めるように言いだして言葉に詰まる。


「ナマエさんはいっつも何か言いたそうな顔しながら何も言わへんし、別に望んでへんのに物分かりの良い彼女であろうとするし、そういうとこにムカついとったわ」


ハァと頭を下げわざとらしく大きなため息を吐いた治くんが、ゆったりとまた私に視線を合わせる。


「やっとこさ自分の気持ちしっかり口に出してくれるんかって思ったら別れ話の雰囲気漂っとるし、ほんまに腹立たしくてしゃーないんやけど」


イライラしてるのを隠そうともせずそう言ってくる姿は、いつものちょっとおっとりしてる彼の姿とは全然違う。


「待ってるだけでもっとちゃんと本音言えって言わなかった俺も悪いかもしれへんけど、彼女なのに勝手に我慢して俺になんも言いたいこと言えへんナマエさんも悪いからな」


拗ねるようにそう言った治くんは、いつも双子の侑くんと喧嘩している時に見せるようなぶすっとした表情をしているけれど、その時よりはだいぶ言葉も何もかもが優しくて、手を出してくる様子なんて全くない。

でも加減をされているのはわかるけど、力の強い治くんにがっしりと掴まれた両肩だけはほんの少しだけ痛かった。それが彼の必死さを表しているようで、また私は何も言えなくなる。


「別れ話よりも先に俺に言うことあるやろ」


怒りと悲しみでぐちゃぐちゃになった表情。彼のこんな顔は初めて見た。ここまで真剣に訴えてくるからこそ、こっちも曖昧まなまま終わっちゃいけないと思わされる。


「……治くんはいっつも女の子に囲まれてて、人気者だから仕方ないけど正直あんまりよく思ってなかった。食べるのも好きなのはわかってるけど、絶対治くんのこと本気で好きじゃんってわかる女の子からも手作りのものとか全部受け取ってるの見るとモヤモヤする。でもそれ伝えるの束縛するみたいで嫌だし、年上の余裕なんて全然感じられないし、面倒臭いって嫌われたらどうしようっていつも思ってて」


鼻の奥ツンとして声が震える。話の内容も、もう何もかもが全部恥ずかしくて苦しくて、ダサくて嫌だ。

私は物分かりの良い彼女にはきっとなれない。私の彼氏なのにって思いながらも、彼や周りにそれを訴えることができないし、私なんかが言ったってなんて考えて落ち込んで、勝手に諦めて負けた気持ちになって悲しんでる。

全部全部自分に自信がなくて弱いだけなのに、彼と一緒にいたら自分はどんどん弱くなっていっちゃうんじゃないのかなとか思ってた。責任転嫁だ。私は最初から、治くんが思うほど強くもなければ余裕もないし、物分かりも良くはない。

素直に打ち明けても、彼の顔が見れなかった。怖くてこの後に及んで逃げ続けている。でも彼は俯く私の泣き顔を隠すように引き寄せて、「やっと言ってくれた」とひどく安心したようなとびきり優しい声を出した。


「俺は強くて余裕があって、物分かりが良い彼女が欲しいとは思わんよ」


ナマエさんやから好きになったのに、なんで勝手に彼女の条件決めつけて自分締め付けて、んで勝手に離れて行こうとしとるん?

涙を拭ってくれた親指は私のものよりもうんと太くて、とても繊細で優しくて、なのにちょびっとだけ乱暴だった。


「あとその程度の束縛とわがままで嫌ってたまるか。こちとら俺以外の男とは誰とも話すな目すらも合わすなって常に思っとるわ。俺にもそんくらい思ってこい」

「……え、いや、そこまでは」

「俺はナマエさんが今こうやって引くほどクソ面倒で器のちっさい男やけど、ナマエさんはそれ知って俺のこと嫌いになった?」

「ならないよ」

「俺も全く嫌いにならへんし、むしろそんなこと思っとんの可愛え〜って思うわ。でもさっきのくらいじゃたったそれくらいしか思っとらんのかいってちょびっと腹立たしさまであるんやけど」

「ええ」

「私以外は犬でもメスには近づくなくらい言ってくれへん?」

「……それ言われたらさすがに治くんでも引かない?」

「もっと好きになる」


驚いたことに彼は本気で言っているようだった。こんな風に悩んで抱え込んでいたことが馬鹿馬鹿しくなってくるほど、なにを言っているのかと言わんばかりの呆れたような顔を見せる。


「男と話さなきゃならん時は常に『私にはデカくてイケメンの彼氏おるからお前にはこれっぽっちも興味ないで』って態度取れ。それでもちょびっとでも男に好意見せられたらすぐ言ってな」

「怖いし、そんな心配いらないから大丈夫だよ。私を好きになるの治くんくらいしかいないよ」

「俺が惚れた女は良い女に決まっとるやろ、まだ周りが気付いとらんだけやで」

「ええー」

「ナマエさんは?俺になんかいうことあらへんの?」

「女の子と話すのも、お菓子もらうのも全然いいけど、やっぱり明らかに治くん狙ってますって子はやめて欲しいとは思うなぁ」

「……俺が言ったのよりかなりレベル低くなったけど、まあええわ」


背中に回した腕に力を込める。彼の"面倒臭い彼女の基準"は私が思うよりもうんとうんと高かったらしい。


「……ごめんね」

「ええよ。別れなくて済むならなんでも」


でも次はないからと言った治くんの顔はちょっと怖かった。けれどその後すぐにヘラっと笑ったその笑顔に全てがどうでも良くなる。

今から急に全てを切り替えてなんてことは、そんなに器用じゃないからできないかもしれないけど、こういう気持ちをぶつけていいんだって知ることができたのは、すぐに一人で抱え込んでしまう私にとってかなり大きい。

背中に回った腕に込められた力は優しさに溢れているけどやっぱりちょっとだけ強くて、それが苦しくて心地よかった。


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