いつかの約束


※合同夢企画connect様に提出させていただきました



ガチャっと玄関の鍵が開く音がしたので、だらだらとテレビの前で寝っ転がっていた体を起こした。つい先ほどまでウトウトしていたから頭が重い。夕飯後に一人だとこうして怠けてしまうのは悪い癖だ。付けっぱなしになっていたテレビを消して、ペタペタとこの部屋まで続く短い廊下を歩く足音を聞く。心なしか普段よりも足取りが軽そうなその音に小さく笑った。


「おかえり〜」

「ただいま」


表情は至って普段通り。声色もそう。だけどやっぱりどこか嬉しそうな気配を感じる。いつもならダルそうに一度体を伸ばすのに、今日はそれをせずに一目散にこちらへと向かってきて、床に座り込んでいる私を後ろから抱え込んだ。

その場所でもそもそと上着を脱ぎだすから背中がくすぐったい。ポイっと放られたそれはクシャッと音を立てて床に落ちた。シワになっちゃうからすぐにハンガーにかけてねっていつも言ってるのに、まったく困ったもんだ。


「ご飯は?」

「食べた」


私の肩に額を乗せて丸まった英の頭を撫でる。触れた髪の毛はひんやりと冷たい。十一月の仙台の夜の空気に体温を奪い取られた体は、暖房の効いた部屋の中でもまだまだ元の温かさを取り戻さないらしい。


「何かあったかいものでも飲む?」

「いらない」

「そう」

「我慢して」


私まで冷えるからちょっと離れて欲しい。とはまだ口に出していないはずなのにな。私が遠回しに言おうとしていたことを悟ったように先手を打った彼は、より力を入れて抱きしめてくる。

彼は猫のように気まぐれだ。構ってくれない時は私が何を言ってもとことん構ってくれやしないのに、時々こうして物凄く甘えてくる時がある。そういう時は決まって彼の気分が落ち込んでいるか、または逆にとても上がっているかのどちらかだ。どちらにしろ表情にはあまり出さない彼だけれど、こうしてちょっとした行動に現れるので意外とわかりやすい。今回はきっと後者だ。きっと良いことがあったんだろう。

いつも私が起こすギリギリまでベッドでミノムシのように丸まっている彼が、今日は自ら起きてきた。まるで興味無いとでもいうような態度をずっと貫いていたが、この日を少しだけ待ちわびていたのを私は知っている。


「影山くんどうだった?」

「変わんねー。むかつく王様」

「あとなんだっけ、日向くん?」

「そいつは変わった」


ギュウギュウと締め付けるように回された腕に力が入る。肩に乗ったままの英の頭に、コテンと首を倒して私の頭を重ねた。体の正面で組まれている大きな手のひらに私のそれを重ねる。触れた指先は暖かい部屋の空気と私の体温でやっと熱を取り戻したようでもう冷たくはなかった。


「こっち向いて」

「はいはい」


もぞもぞと体を動かして向かい合うように反転すれば、満足気に口角を上げて笑う英が視界に入った。背中に回された腕が後頭部に移動して、もう片方の手で腰をグッと引かれぴったりと体がくっつき合う。コツ、と鈍い音を立ててぶつけられた額に「痛っ」と大袈裟なリアクションを取って目を瞑ると、待ってましたというようにそのまま唇を重ねられた。

軽く一度だけ触れてゆっくりと離れていく。しっかりと離れ切る前にもう一度角度を変えて押し当てられた。開けようとしていた目をもう一度閉じてそれを受け入れる。先程よりも長く強く触れ合うそれは段々と深さを増して、割り込んできた舌が歯列をなぞった。

そっと少しだけ目を開くと、同じように薄目でこちらを見た英がムッと眉間にシワを寄せる。少しだけ笑って彼の背中に回していた腕を首元へと移動させて、受け入れるように僅かに口を開いた。テレビも何もついていない静かな室内では小さな音でも響いて聞こえる。ちょっと恥ずかしいなと思っていると、それを察したのかわざとらしく音を立て始めた英が少しだけ憎い。

もう限界だと言うように彼の胸板をそっと押すと、意外にもスっと離れてくれた英と至近距離で目が合った。上がった息が整う間もなく体重を掛けられ、受け止めきれずに後ろに転がる。そのまま英もごろんと床に寝転ぶようにして倒れ込んだ。


「も〜、どうしたの」

「別になんもないんだけど」

「にしては機嫌が良いね今日は」


すりすりと猫みたいにくっついてくる英をよしよしと撫で回すようにすれば、されるがままに大人しくなる。これじゃあ本当に猫みたいだなぁと少し笑って実際に「よしよし」と声に出すと「ペットじゃねぇから」と不服そうな声が飛んできた。


「俺が70歳になってアキレス腱切ったら介護してよ」

「何言ってんの?」

「影山がまた変なこと言い出したんだよ」


いきなり突拍子もないことを言い出した英は、私の返事を無視してそのまま話を続ける。噂にはよく聞いている影山くん。私は英とは大学で知り合っているから、英と英の友達である金田一くんから話を聞いたことしかないけれど、あの全日本にも選出されている有名な影山選手と昔同じ中学で色々あったらしい。

高校時代は良いライバルではあったらしいけれど、中学ですれ違ってしまってからは関係も少しギスギスしていたと聞いていた。けれどこの感じだと今日金田一くんも含めた三人の中でなにか進展があったのだろうか。もしもあったのなら、英の発言と機嫌からして良い方向に進んだんだろうな。


「またバレーしようって言われたんだよね」

「私も英がバレーしてる姿見てみたいな」

「勘弁して。影山と金田一と違って俺はもう三年以上まともにバレーしてないんだって」

「でも見てみたいよ、一回くらいさ」


英はもぞもぞと体を動かして、猫のように丸まり私に抱えられていた体をごろんと半転させて仰向けに寝転がった。寄り添うように近づいて彼の腕に頭を乗せてちょうど良いポジションに収まる。私の腕枕になっていない反対の手で、今度は私がわしゃわしゃと頭を撫でられながら大人しくしていれば「どいつもこいつも」と呆れたように英がため息をついた。


「アキレス腱切れるっつーの」

「この歳じゃ大丈夫だって」

「じいさんになってからでもいいって言われたから、最悪70歳とかだぞ」

「それは切れるかも…」


だから介護の話がでたのね、と笑ったら英も「さすがにキツすぎるっしょ」と珍しく声を上げて笑った。彼の身体に腕を回してギュッと顔を埋めるようにくっつく。英ももう一度こちらに体を向けた。


「だから最悪婆さんになるまで待って」

「そんなに待つのやだな」

「すぐだってきっと」

「そんなにすぐお婆ちゃんになるのもやだな」


さり気なく将来を提示されて少しだけ浮かれる。英は先の話はあまりしないから。私も確信のない将来の話は自分からはしないタイプだ。変に相手にも自分にも負担をかけたくないから。だからたまにこうやって自然に彼の口から発せられる未来図に私の姿があることがたまらなく嬉しい。

「私がお婆ちゃんになるまで一緒にいてくれるんだ」とボソっと口に出すと、「え、いねぇの」と驚いたようにキョトンと目を見開くからついつい笑ってしまった。いつも怠そうな表情を浮かべている英だけど、たまに見せるこういう表情は少し幼さがあって可愛い。けれどそれを言うときっと怒るから口には出さない。


「今日泊まってくでしょ?」

「そのつもり」


ゆったりと流れるように感じる英との時間。だけどあっという間にも感じてしまう。こうやってゆっくりゆっくり日々が過ぎていって、あっという間にシワシワになって、またこうやってくっ付き合いながら笑えたら良い。でもこれも口には出さない。

そっと持ち上げられた額に優しくて暖かいキスが落ちてきた。そこから伝わる熱が、彼も私と同じ気持ちだということを教えてくれているようで嬉しかった。


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