諦めようとする


お前の好きにありがたみないよ。これは、今目の前にいる男が私に向かって放った言葉だ。

私はこの男に毎日のように好きだと告げている。でもしつこいといつもいつも振られてきた。それは、仕方がないことだとも思う。私がいくら好きでも彼の感情をコントロールできるわけじゃない。好きになったから好きになってもらえるなんて思ってないけど、それでも傷つくものは傷つく。

好きだから毎日馬鹿の一つ覚えみたいに、すれ違いざまにでもいつでもタイミングがあれば想いを告げてきた。それに対して、「本気で俺のこと好きなら困るようなことはしないと思うんだけど」と言われるのも、悔しいけれど、言いたいことはわかる。

本当はだいぶ前から気がついていた。私のこの気持ちはきっと報われることもないだろう。一回たりとも適当な気持ちで想いを声に出したことはないけれど、それでも角名先輩の周りからは、もう一種のコントのようにも捉えられてしまっている。ここらで潮時かもしれない。

今までありがとうございました。結構な覚悟を決めてそう言ったのに、角名先輩は何も言わず、面倒そうにため息を吐いただけだった。ジクジクと心は痛むけれど、そこまで先輩に不快に思わせてしまった私の行いが悪い。仕方のないことだ。

先輩のクラスが教室移動で通る時間帯はその場所に近づかないようにした。購買に用がないようにするために頑張って毎日お弁当も作った。遠くに姿を見付けても駆け寄らないようにした。意図的に話しかけることをやめた。それでも狭い学校という空間の中では、完全に避け切ることはできない。回数は減ってもゼロにはならないから、当然すれ違うことはある。

本気で好きだったからこそ、どんな態度を取られても、どんなことになっても、まだまだ恋心は残っている。だから先輩の姿を見つけるたびに心は痛むけど、それでも思っていたよりもうんと大丈夫なのは、先輩が私に対して無関心を貫いているからだ。悲しいことに、人は環境にだんだん慣れていく生き物だ。

あっという間に一ヶ月が経ってしまい、いつの間にか衣替えが終わって、スカートの生地も分厚くなっている。カーディガンを着ていても少し肌寒く感じる校舎の裏。私が最後に角名先輩と話した場所。だからこそここで何が行われるのかは、自分が一番よくわかっていた。

私が毎日角名先輩に投げかけていた言葉を、言われる立場になるとは思いもしなかった。あんなに自分の恋心を否定されてきたから、そんな自分に恋をしてくれる人がいるのだということにもびっくりしてしまう。

指先がほんのり冷えてきた。まだ悴むには早いけれど、常たくなったそこの血の巡りがわずかに鈍くなっているのはわかる。好きですという、もはや言い慣れすぎてしまっている言葉なのに、言われることにはこんなにも慣れていないなんて思わなかった。

どう返そうか迷いに迷ってしまう。相手のことを考えると言葉を間違ってはならないと思う。間違ってもあの人みたいに、お前の好きにありがたみないよなんてことは言えない。


「あの、私、好きな人が――」


いるんだよね。素直にそう言おうとしてやっぱりやめた。好きな人とは、もちろん間違っても言ってはならない言葉を私にかけてきた人のことだ。

そう簡単に想いを断ち切れるわけがない。でも、それができるチャンスはもしかしたらここかもしれない。

相手の子には悪いけど、こういうのをきっかけに新しい好きな人を作り、想いを断ち切るのは良い方法かもしれない。相手にはとても失礼だ。そして利用しようとしていて最低だと思う。あんなことを言ってきた先輩くらいに。

付き合おっか。私のその声はうまく相手に届かなかったみたいで、目の前の彼は聞き返すように「うん?」と言った。確かに大きな声ではなかったけれど、こんな静かな場所ならしっかりと届いてもおかしくない程度の声量のはずだ。

それなのに届かなかったのは、私のその返事に被せて別の言葉を放った人物がいたからだった。こんなところで何してんの。その声は私の声と同じくらいの大きさだったのに、静かで落ち着いているのに通りが良いから、同時に話すと私の声をかき消してしまうくらいには存在感が強い。


「……空気読んでください」

「学校は公共の場所だから。そっちが場所考えてよ」


久しぶりに近くで聞いた角名先輩の声は、言ってることはこんなだけどやっぱり落ち着く。考えたくないけどまだまだ好きだな。そう思ってしまったところで、「お前はマジでこの告白受けるつもり?」と信じられないとでも言うような眼差しを向けながら問いかけてくる。


「はい」

「ふぅん」

「……なんですか」

「あんだけ毎日俺に好きだとか言っておいて、実際はすぐ他のやつに乗り換えられちゃうくらいの軽い気持ちだったんだ」

「そんなことないです」

「でも、これが事実でしょ」


ああ、もう、ややこしくしないで。こんな私に告白してくれた目の前の彼も、いきなりの先輩の登場に戸惑ってしまっている。それにも気がついているはずなのに、先輩は引き下がることもなく、なぜか不機嫌そうに目を細めた。


「もうやめてください。先輩のことは諦めるって決めたんです」

「言ってたね」

「なのでもう関わらないでください」

「本気で俺のこと諦められるって言うならそうするけど」


見透かしたようなその言い方が気に食わない。眉の間に力を入れて、奥歯を食いしばる。悔しい。なのにこんな会話をしながらも、諦めるとか言いながらも、久しぶりに会話ができている事実に心は勝手に喜んでいる。それがまた悔しい。


「俺のこと諦めるために代わりに付き合ってあげてもいいってよ。でも、あんたと付き合っても、たぶんこいつは俺のこと好きなままだけど、どうする?」


先輩はまさかの私ではなく、告白してくれた男の子に対してそう言い放った。黙り込んでしまったその子に、ごめん無視してと言おうと視線を向けたら、彼は慌てたようにさっきの話は無しでと言って私たちに急いで背を向けた。

取り残された私たちの空気は史上最悪を更新している。私の好きにありがたみがないと言われたあの日よりもずっと重い。


「先輩は、何がしたいんですか」


泣きたくないのに、涙声になってしまうのが心の底から悔しい。


「なんとなく、この二週間つまんねぇなって思ったから引き戻しにきただけ。そしたら勝手に彼氏作ろうとしてるし」

「勝手なのは先輩じゃないですか」

「そうだね」

「面白くないからって引き戻されてまた傷つく。それはいやだ」

「だろうね」

「……いやです」


目の奥がつんと痛むけれど、意地で涙はこぼさなかった。代わりにこれでもかと震えた情けない声が表に出る。


「俺のこと諦めて次の男にいくなら、また一から俺と始めてよ」

「……意味、わかんない」

「俺も言ってて意味わかんないけど、今までのこと結構反省してる」


先輩が言った「ごめん」という一言に、耐えきれなくてついに涙が溢れた。流れで言ったわけではなくて、なんとなく、気持ちが篭っているような気がしたからだ。


「うざいなって思ってたはずが、気付いたらなんか気になってたっぽい」


ぽいって何だよって思いながら、それでも先輩から出てきたその言葉に、今までのこととか含めて全てがどうでも良くなるくらいに心臓が激しく動く。


「また俺のこと好きになって。今までとは違う俺でちゃんと接するから」

「ずいぶん都合良いですね」


素直にそう言ったら「だよね」と笑われた。泣くのを我慢しすぎて、泣いてしまって、先輩の言葉を聞いて、体が熱くなっている。冷たくなっていたはずの指先は、熱を持ちすぎていて傍に植えてある楓の葉のように朱く染まっていた。


「先輩のこと、一からまた好きになるのは無理です」

「そっか」

「……ずっと途切れず今も好きなので、無理です」

「うん」


ぽろぽろと涙を溢す私のことをそっと抱きしめてくれた先輩の手つきは、この人本当に私の事好きになっちゃったんじゃないかな、と思わず考えてしまうくらい、想像以上に優しくて驚いた。

背中を撫でる大きな手のひらは、冷たいイメージのある先輩からは想像もできないくらいにあたたかい。


「あんなこと言ったのに、好きでいてくれてありがとう」


角名先輩の声は、信じられないほどに柔らかかった。これまで冷たくされてきた何倍もの優しさをもらわないと、あの言葉を許してあげられない。

でもこの先、先輩が本当に私のことが好きで、あの言葉を投げかけたことに本気で後悔している姿を見せてくれるというのなら、その時は、なかったことにしてあげてもいい。

先輩の肩越しに自分の手と楓の朱を見比べた。やっぱり、負けず劣らずのいい勝負をしている。


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