再会


視界を覆うほどの桜吹雪の中で、まさかこんな偶然があるのかと思わず息をのんだ。

私の発した「角名?」という小さな声をしっかりと聞き取って振り返った彼は、体格はだいぶ大人っぽくはなったものの、特徴的な顔つきや醸し出す雰囲気は何も変わっていないようだった。驚いたように私の名前を紡いだ彼の声は、若干低くはなったものの聞き慣れたままで、身体の奥から沸々と喜びが湧き上がってくるのを感じた。


「こんなことあるんだ」

「本当に。変わってないね、角名」

「ミョウジも。すぐわかった」


最後に彼の姿を見たのは中学校の卒業式だ。それからは一度も会ってない。彼は他県の高校に進学してしまったから、同級生とたまに会っても彼の話が出ることはなかった。

それでも、とても良く覚えている。彼と過ごした日々は私の中学生活の全てと言っても過言ではなかったからだ。親しい友人どころではない、私と彼は元々付き合っていたのだ。つまり、彼は私の元カレという立ち位置である。

しかし角名はまるでそんな過去なんてなかったかのように接してきた。もうだいぶ前のことだし、付き合っていたからといって所詮中学生のお付き合いだ。特別何をしたってわけでもない。なので確かに今更変に気まずく思うのも違うのかもしれない。最初は戸惑いはしたけれど、角名と同じく私も気にせずに過ごすことにした。

定期的にご飯に行ったり、休日に遊んでみたり、あの頃から変わっていない彼のバレーに打ち込む姿を見て嬉しくなったり。彼と付き合うことになったきっかけは仲が良かったからだった。なので、こうして月日が経っていたとしても私たちは今も良き友人という関係をすぐに築くことができた。

春が過ぎ、夏が来る。目まぐるしく変化していく日々。変化するのは季節と生活だけじゃない。気持ちもだった。人の感情も日々移ろい変わる。灼熱の夏もやっと過ぎ去ってくれるかという頃には、気付けば私は角名のことがまた好きになってしまっていた。


「……いや、元カレのこと好きになるとか、ダメでしょ」


帰り道、彼の後ろ姿に手を振りながら一人呟いたその言葉は、まだ生ぬるい中途半端な空気の中に静かに溶けて消えていった。足元に視線を落とす。今朝卸したばかりのスカートの裾が、私の心と同じようにひらひらと不安定に風に揺られている。

今の私と角名はただの仲の良い友達だ。だから、どちらかが恋愛感情を抱けば、そこでこの関係は脆く崩れ去ってしまうことになる。元々付き合っていたのだから尚更だ。その過去がなければ、もしかしたら今後うまくいく可能性はあったかもしれない。残念ながら私たちにはもう用意されていない未来だ。

自分の気持ちを自覚してしまった以上はもう無理だと、なんとか角名にはバレないように連絡頻度を下げ、何かと理由をつけて誘いを断っていった。一緒にいればいるほどに好きになっていってしまうのは明らかだ。なるべく自然に関係を断つことが、私に取れる最善の策だろう。

そういえば角名と別れたきっかけも私がこうして離れていったからだったなぁ、と当時を懐かしく思う。彼のことを嫌いになったわけでは決してない。気の合う友人から、恋人へ。関係が変わったことでどう接すればいいのかがわからなくなり、結果、逃げてしまった。

その時とは状況がだいぶ違いはするものの、結局逃げることには違いない。私はあの頃から何一つ変わってはいないのだ。

そして、まるで出待ちでもするかのように講義室の外で角名が私を待ち構えていたのは、秋の色がやっと見え始めた、道行く人の衣類のほとんどが長袖に切り替わる頃だった。


「俺のこと避けてる」

「そんなことない」

「あるでしょ」


少し怒っているのか、角名にしては刺々しい声でそう言われる。吐かれた溜め息が重くのしかかるように耳に届いた。

他の人が通りかかるたびに私たちを興味深そうに眺めていく。それに気まずくなったのか、彼は私の手を引いて早足に歩いた。抵抗しようとする私に見向きもせず、そんな彼に何かを言うこともできずに、ただされるがままに引っ張られていく。


「俺なんかした?」

「してないよ」


人気のない場所でやっと口を開いた彼は、やはり怒っているようで言葉にも表情にも柔らかさは見られない。肌の表面をなぞっていく風はひんやりとどこか冷たく、揺れる葉はカサカサと寂しげな音を奏でている。

一体どうしたらいいのだろう。こんなシーンに遭遇しただなんて、恋愛経験が豊富な友人からも聞いたことがなかった。


「じゃあ何、好きな男でもできたとか?」

「……うん」


少し考えた末、素直に打ち明けることにした。


「誰それ」

「言わない。角名には」


しかし、さすがに本人に馬鹿正直に告げることはしない。


「なんで」

「なんでって、恥ずかしいし」

「友達なんだから恋愛相談くらいすればいいじゃん」

「いくら仲良くてもそこまでは話さなくてもいいでしょ」


そう言いながら、なんだか泣きそうになった。角名の口から発された友達という言葉に勝手に傷ついて、馬鹿みたいだ。

好きになっちゃいけない人を好きになった。そう言った私に角名は「誰」と懲りずに聞いてくる。もうここまで話してしまったのだ。これから先、きっと私から角名に絡むことはもうないだろう。そうしたら角名だって、今度こそ私のことなんか忘れてしまうと思う。


「元カレ」


元カレのこと、好きになった。そう言って角名の目をしっかりと見る。切れ長な特徴的な彼の瞳は、やっぱり中学の時から何も変わっていない。

秋の初めのひやりと冷える空気は、角名の醸し出す空気感に良く似ているなんてことを、こんな状況にもかかわらず頭の隅で呑気に考えた。


「へえ」


私の視線を逃さないとでもいうように一直線に見抜いたまま、角名はそれだけを言ってその独特な目を限界まで細める。

へえって、なんなの。自分からヤケになって言ってしまったけど、その表情からして角名も自分のことを言われているって完璧に気がついてるはずなのに。本当にその笑顔はなんなんだろう。なんて、恥ずかしさと気まずさもあって、自分勝手に不機嫌になってみる。


「だからもう会えない」

「なんでそうなんの」

「別れた彼女にまた好きとか言われても困るでしょ」

「それは、俺が決めることなんだけど」


俯いた私の髪の毛をそっと耳にかけて、上を向くように顎に手を添えられる。怒っているわけでも、私を馬鹿にしているわけでもない、少し寂しそうな顔をした角名が視界に入った。


「別れた時もそうだった」


私たちの間をヒュッと乾いた音を立てて秋風が走り抜けていく。角名の、中学の時に比べれば短くはなったけれど、クセの変わっていない跳ねた横の髪がサラサラと揺れた。


「なんでいっつも勝手に離れていくの。嫌われたわけでもないのに気まずくなったとかで一方的に離れられて、俺はどうすればいいんだよ」


こんなに力の無い角名の声は初めて聞いたかもしれない。抑揚の控えめな綺麗な低音は、いつも感情が読み取りづらい。でも今は、はっきりと角名の感情がわかる。乾いた音を鳴らし揺れる木葉は、角名のその切なげな印象をより引き立てていた。


「中学の時は俺もどうするのが正解なのかがわからなくて、気がついたら卒業しててバラバラになってたけど、今はもうどうすればいいのかちゃんとわかってる」


細長い指先で、私の右手のそれを絡め取られる。あまりにも真剣な表情の角名から目が逸らせなくて、しばらく静かに見つめあったまま。角名、と声をかけたいけれど、緊張でカラカラになった喉からは何の音も発せられない。


「別れた相手をまた好きになるのがいけないんだとしたら、別れたはずの元カノ引き摺ったままの俺はどんだけいけないやつなの」


腕を引かれ、そのまま力いっぱいに抱きしめられる。あの頃から背は高かったけど、会わなかった三年間で驚くほどに成長していた。私の背中に回った彼の腕は今でもスポーツマンにしては細めの印象ではあるけれど、こうして実際に触れてみると、しっかりと必要な筋肉が付き、無駄がないからこその細さなのだということが良くわかる。


「角名」

「誰がいんだよ、ミョウジ意外に好きになれるやつ」


痛い。けど、それは口には出さない。これでも加減をしてくれているのであろうということがよくわかる。この微弱な痛みが心地よくも感じる。

高校の三年間は、チャンスがなかったわけではないけど彼氏という存在は作らなかった。作れなかったの方が正しいかもしれない。いつも角名の顔が頭の隅にちらついて、またああなってしまったらどうしようと思ったら、うまく好きな人さえも作れなかった。


「私も角名以外にいないよ」

「ならもう絶対離れんな」


卒業の日から三年と半年ちょっと。今ならやっと素直に気持ちを届けられる。友人からの変化についていけなくて何をするにも気恥ずかしくて、なかなか勇気が出せなかった一歩を今は二人同時に踏み出せる。


「なんかあったら、抱え込んで自分で結論出す前に絶対言って」

「うん、わかった。ありがとう」


冷えてきた空気の中でゆっくりと重なった唇の熱さを、私はこの先もずっと忘れないと思う。

これが、私にとっても、高校の時も私と同じく彼女を作らなかったらしい角名にとっても、記憶に残るファーストキスだ。


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