珍しく酔って帰ってきた
女の子なら誰だって、好きな人に好きだとか可愛いってたくさん言われたら、舞い上がってしまうものだろうと思っている。もしかしたら全員ではないのかもしれないけど、少なくとも私は、とっても嬉しい。
「可愛い、もっとこっち来て」
「もう限界までくっついてるよ?」
「それでももっと。あー……すごく好き」
ぎゅうっと力一杯に抱きしめてくる京治くんの体温は、いつもよりうんと高い。そして、とくとくと一定の音を鳴らす心臓も、いつもよりとても早い。
取り憑かれたように何度も何度も交わされるキスの合間に、普段はあまり言ってはくれない歯の浮くような甘いセリフや、好きだとか可愛いだとかの言葉を目一杯与えてくれる今の京治くんは、この姿を録画でもして明日正気に戻った彼に見せたら卒倒してしまうのではないかと思うほどに酔っ払ってしまっていた。
高校の部活の先輩たちと飲んでくるとは聞いていたものの、ここまで酔って帰ってくるとは想像もしていなかった。自制を効かせるのが上手いはずの彼が、理性を手放す寸前のべろべろになるまで飲むなんて、にわかには信じ難い。
「もっと強く力込めて」
「京治くん折れちゃうよ」
「そんなに可愛い力で折れるわけないでしょ」
お望みの通り、できる限り精一杯に力を込める。満足そうににっこりと笑った京治くんは、鼻の頭と頭がくっつくくらいの距離で「ナマエからキスして」とさらに要求を深めてきた。
あまり、自分から行動を起こしたことがないけど、この調子だときっと京治くんも明日の朝には忘れてしまっているだろう。そう思えば、ちょっとくらいはいいかな、なんて余裕と少しの勇気が出てくる。
彼から漂ってくるアルコールの匂いだけでつられて酔ってしまいそうだ。重ねた唇から漏れる耳障りの良い彼のフッという笑い声が、私をもっとこの空気に酔わせていく。
「舌、入れてみて」
彼が喋るたびに熱い吐息が吹き掛かる。おそるおそる、いつも彼がしてくれるみたいに舌を伸ばしてみるけど、なんか違う気がするし動きがぎこちなくてこれでいいのかと不安になる。けれど目を薄く開いて確認した彼の表情は嬉しそうにほころんでいて、とりあえずはこれでも良いのかとそのまま続けてみることにした。
「ねぇ、こんなんでいいの?あってる?」
「このもどかしいのが良いんだよ」
よくできました、と口角を上げて目を細めた彼は、そのままベッドに私を押し倒してから今日一番の笑顔で言った。
「じゃあ今日はナマエからしてみて」
「……何を?」
「この後のこと、全部」
京治くんはぐるんと一回転するように素早く位置を変えた。気がつけば私が彼の上にいて、彼を見下ろす形になっている。そのあまりの器用さに感心する暇もなく、先ほどの彼の言葉に頭を混乱させていると、彼は「とりあえず熱いからこれ脱がせて欲しいかな」と自身のシャツの襟元をパタパタと揺らした。
酔っているからなのか、普段よりも少し気怠げに寝そべっている彼の襟元から、ぎこちない手つきでボタンを一個ずつ外していく。他人の服ってどうしてこんなに脱がしにくいんだろう。京治くんはいつもスルスルと脱がしてくれるのに。と思ったところで、それ以上のことを考えるのはやめた。
やっとのことで全てを外し終えると、よくできましたとでもいうように優しく頭を撫でてくれる。京治くんはうっすらと笑っていて、恥ずかしいけれどそれに何だか嬉しくなって、調子に乗ってそのまままた自分から覆い被さってキスをしてみた。
「積極的」
「今日だけね」
「ほんと可愛い」
だってこうして嬉しい言葉をかけ続けてくれると気分あがっちゃうんだもん。なんて言い訳を頭の中でしてみる。親指でゆっくりと頬を撫で、「上乗って」と低い声で言ってくるのに従うように彼に跨がり、言われた通りに腰のあたりに座ってみた。バランスをとるように手を添えた彼の胸のはいつもよりも確実に温かい。私と同じように、彼の心臓もドクドクと早いリズムを刻んでいる。
心なしかいつもよりトロンとしているように見える、涼しげな彼の瞳の奥に熱が帯び、ギラギラと光りながら揺れ始める。それにゴクリと息をのんだ。背中がゾワゾワする。不安と共に期待が競り上がって来るようなこの感覚は嫌いではない。
気づけばいつも私が甘やかされてばかりだからか、京治くんからこんなにも甘えられたことは、多分今まで一度もない。恥ずかしさは拭えないけど、何かをするたびに優しい言葉をくれるから、今なら何でもできる気がしてくる。
なんだかうまいこと転がされている、気がする。それに気がついたのはそれからだいぶ時間が経った後のことだった。どんどんと際どく過激になっていく要求に、さすがにいくら普段あまり投げかけられない言葉の数々を浴びせられ、滅多に甘えない京治くんが甘えてくれているという嬉しさがあり、そして明日の朝には彼は忘れてしまうだろうという余裕があったとしても恥ずかしさが勝ってしまうようになった。
「……京治くん、ちょっとこれ以上は、だいぶ恥ずかしい、かも」
「どうして?」
「だ、って」
目の前の京治くんから目を逸らす。いつももう久しく運動はしていないと嘆いているはずなのに、きちんと男らしく引き締まっていて綺麗な彼の身体は、いつもより明るい部屋の中で見るにはそれだけでも刺激が強すぎる。そんな環境でいつもはしないようなことを求められて、もう私も限界だった。
「……だめなの?」
それ、なのに。熱った頬を見せつけるようにコテンと首を傾げ、とろけた瞳で無垢にお願いしてくる彼を本気で突っぱねることもできない。じゃあ、これだけね。そう言ったのはこれでもう三回目だ。お酒を一滴も飲んでいないはずの私の方が、今は彼よりも顔が赤い自信がある。
襲いくる羞恥心と初めてのことに、ぎこちないままどうにか彼の要求を叶えようとする私の頭を優しく優しく撫でながら、京治くんは目を細めて心の底から愛おしそうに「可愛い、大好き」と言った。……次のお願いが私にできそうなものだったら、それだけはまた叶えてあげてもいいかもしれない。
そうして気がついたらもう朝で、ほのかに香るパンの匂いに大きなあくびをこぼしながらゆったりと身体を起こした。なんだか全身が気怠い。結局あの後も、私があまりにも流されやすかったとはいえ、あの手この手で要求を飲み込ませてくる京治くんに従いながら長い夜を過ごしてしまった。
思い出すだけで顔が火照ってしまいそうな昨夜の記憶を追い払うために、頭をブンブンと振ってみる。するとそのタイミングで開いたドアから顔を覗かせた京治くんが「どうしたの」と少しだけ驚いたように言った。
「大丈夫?」
「うん」
ベッドの淵に座った京治くんが頭を撫でてくれる。甘えるように抱きつくと、応えるように彼も背中に腕を回してくれた。
「朝からずいぶん可愛いね」
「そんなこと言って……昨日の京治くんみたい」
「昨日の俺?」
「そうだよ。覚えてないかもしれないけど、昨日の酔っ払った京治くんすごかったんだから」
「そうなんだ」
「うん。二日酔いとか大丈夫?」
「大丈夫。そんなに酔ってなかったし」
「……え?」
ケロッとした顔でそう言った京治くんは、固まる私に「昨日のことは全部覚えてる。量は飲んでたから顔は赤かったけど、意識も何もかも正常だったよ」と爆弾発言をかます。
「え、でも……え」
「ごめんね、騙すようなことして」
「ほ、本当に!?」
「本当。言ったことなんでもしてくれて、可愛かったな」
「最悪だよ……!」
「俺は最高だったよ」
どことなくすっきりとした顔で微笑む京治くん。もう絶対やらない。そう言って顔を背けた私を無理やり元に戻させて、一瞬だけ触れるキスを落としてくる。
「もちろん普段から可愛いけど、頑張って俺のために色々してくれるナマエが愛おしくて、俺も昨日はすごく興奮したんだよね。毎回はしんどいと思うからしないけど、たまにお願いするかも」
「……たまに」
「俺だって好きな人にはああいうこともされたいんだよ。わかるでしょ?」
「……じゃあ、たまになら、頑張る」
「ありがとう」
なんだかまたうまく丸め込まれてしまっている気がしてならない。昨日のあの状態がまさか素面の演技だったなんて、この表情がデフォルト設定の京治くんからはあまり考えられないけど、それでも事実は事実だ。
ゆっくりと彼に体重を預けて寄りかかるように抱きついた。息を漏らすように笑いながら、京治くんがまた「可愛い」と私だけに聞こえるくらいの声量で囁く。私はとっても単純だから、それだけで次もまたちょっと自分から頑張ってみようかな、なんて、思ってしまうのである。
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