振り回されたままでは終われない


ほんの僅かに暖かさが増した今日この頃。それでも月が真上に昇るこの時間は、春を蹴散らすかのように寒さが姿を現す。

昼間は暑いと脱いでいた上着に身を包みながら、ふらつく足取りで楽しそうに歩く彼女は「月島くんがいれば安心してたくさんお酒飲める」なんてほざきながら今日もヘラヘラと笑っている。僕の気も知らないで。

僕がいないところではこんな状態になるまで飲まないらしい安心感。僕がいるからここまでなっても大丈夫だと思われている信頼。それは確かにとても嬉しいものだ。でもその一方で、僕のこの行為は完全なるお人好しから成り立っているものだと思われている気がしてならない。


「飲み足りないからうちでもう一杯飲もうよ」


彼女がそう誘ってくるのはいつものことで、僕はそれに毎回なに言ってんのと呆れ果てながら返す。そのやりとりにももう慣れてしまった。すでにベロベロなくせに何を言っているんだろうか。こんな状態で、いくら僕だといったって一人暮らしの自宅に招こうなんて警戒心がカケラほどもない。


「あと少しだけ。ね?」


上着の裾を軽く掴んで見上げてくる。他の男にももしこんなことをしていたら……と考えるだけで気が狂いそうになるあざとい仕草に、悔しいことに込み上げてくる自身の男特有の感情がひどく憎たらしい。

最悪な形で嫌われるなんてことは絶対に避けたい。だからこうして誘われたって今夜どうしてやろうだなんて考えは一切ないけど、それでも彼女の危機感の無さ、それに僕自身がどこか舐められている気もして、少しだけカッとなる。


「いいけど、僕はきみのこと好きだし、何するかわからないよ」


彼女は驚きに満ちた顔で、「私のこと好きなの?」と呟いた。ほら、やっぱり全然僕の気持ちは伝わってない。伝えてもなかったけど。

好きじゃなきゃわざわざ送らないでしょ、こんな酔っ払い。そう言うと彼女は「知らなかった」と目を見開いてみせた。僕のことをそんな誰にでも優しい男だと思ってたらとんだ間違いだ。少なくとも君にしか、自らなるべく優しくしようなんて思わない。

玄関先は風が冷たくて、少しずつアルコールが抜けていく。何も言わずに鍵を開け玄関へと入った彼女は、僕の方を振り返ってそっと左手を取った。たったの一歩、踏み出したら家へと入れてしまう。彼女は本気で僕を部屋に上げる気なんだろうか。判断能力が鈍りすぎじゃないか。相手は酔っ払いだ。明日にはこんな会話は忘れてヘラヘラしているんだろうから、それもまた憎たらしい。


「っていうのは、嘘」

「……は?」

「私のこと好きなの知ってた。月島くんって自分で思ってるよりわかりやすい性格してるんだよ」

「ちょ……っと」


どういうこと。って言おうとしたら唐突に腕を引かれてそのまま中に引き摺り込まれる。ガチャっとドアの閉まる音がして、そのまま腕を伸ばした彼女が器用に鍵を閉めた。


「私も月島くんのこと好きだから、何かしたかったらしても良いよ。ようこそ我が家へ」

「……その意味わかってる?」

「うん」


まだ酒の残っていそうな気の抜けた笑い方をした彼女に、深いため息を吐く。僕の気も知らないで。僕の気持ちを知っていて。そういうことをあえてするのか。

だからって酔っ払い相手なのに変わりはない。僕には僕の考えと順序ってものがある。彼女の挑発に乗るフリをして「なにされても文句言わないでよね」と強気に言ってみせた。本人を押し除け少し乱暴に見えるようにしてズカズカと部屋へと続く短い廊下を歩いていく。彼女によって優しく繋がれていた手を、今度は僕が掴み引っ張って。

すると、いきなり前を歩く僕の背中にしがみつくように彼女が抱きついてきた。想定外で思わず足を止める。

僕の腹にまわされた手を振り解こうとすると、抵抗するように力が込められる。抜けきっていないだろうアルコールのせいで彼女の体温はひどく熱い。背中に感じる彼女の存在に僕の体温もじわじわと上がっていくのがわかって、また意味もなく悔しくなった。


「月島くんがいれば安心してお酒飲める」

「部屋に上がられても?」


イラついた表情を隠そうともせずに首だけで後ろを振り向く。振り回されているようで嫌になる。本気で力を込めればきっと簡単に振り解けるのに、そうしないのは、認めたくないけれどこの状況を終わらせたくはないとどこかで思ってしまっているからだ。

背中にしがみついたまま、上目遣いに見上げてくる。それ僕以外にはやってないよね?顔を顰めてみてもピクリともしない。本当になにを考えているんだろう。


「月島くんとならどうなっても良い」


部屋に上がられようが、なにされようが、いいよ。だからたくさんお酒飲めるの。

そう言って、背伸びをした彼女は固まったままの僕の頭に腕を伸ばした。されるがままに背中を丸める。彼女の顔が少しずつ近づく。息を吸うタイミングが分からなくなって、軽い酸欠になりそうだ。


「あと、私になにされるかわからないのは月島くんも同じだからね?」


唇に感じる温もりに体温がまた上がったような気がした。冷たく吹き荒ぶ外の風が恋しい。僕には僕の考えと順序ってものがあったはずだ。けど、今この瞬間だけはどうでもいい。もしかしたら、僕も酔っているのかもしれない。

アルコールと、いつも彼女から漂っている甘い匂いが混ざりあった。クセになりそうな香りですごく嫌だ。迷惑げに眉を顰めながら息を吸った。酸素と一緒にそれに身体中を支配される。


「明日の朝、覚えてないとか言わないでよ」


負けじとこっちからも唇を押し付け返した。振り回されたままで終わるものか。


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