道を云はず:天童

Aimer ce n'est point
nous regarder l'un l'autre
mais regarder ensemble
dans la même direction.




大人ってメンドくせぇ。俺も大人だけど。いちいち理由をつけたがる。何故するのか、どんな意図があるのか、誰を思って何を考えてどうしてそうしたのか。全部説明させたがる。

だからインタビューはあんまり好きじゃない。素直に答えれば話は止まるし、わかりやすく不満そうな顔をされる。気を使うことが得意じゃねぇのも自覚してんのに、昔よりもだいぶ面倒事を回避するための言葉が出せるようになってしまったから、俺もつまらない大人の一部になっちゃったのかもしれない。

誰かに食べてもらいたくて。食べた人が幸せになるような。そんな理由を語るやつらがうじゃうじゃいるこの世界。俺は別にそんな大層な考えなんて持ってない。俺が美味いと思えるものを作った。やりたいからやった。そしたらここまで来た。それに理由なんてない。強いて言えば自分のため。俺は俺が良いと思う直感を信じてやってきたんだ。

夜だというのに大通りにはたくさんの人が歩いていて、どこもかしこも賑わっている。明日は休日だからみんな浮き足立ってんのかな。俺はこんな時間まで仕事だったってのに。なんて似合わない社会人っぽいことを考えながら自宅までの道を足早に歩いた。


「おかえりなさい」

「……アレ?今日って来るって言ってたっけ?」

「結構前に連絡入れたと思うんですけど」

「あっホントだ〜。全然見てなかったや」


帰ったらそのままベッドにダイブしたいなー。なんて思いながら憂鬱な気持ちで玄関の扉を開けたら、聞こえるはずのない足音が聞こえた。不思議に思って顔を上げれば、駆け寄ってきたのは晶子ちゃん。それだけでさっきまでドン底にあった俺の気持ちが少しだけ軽くなった気がするからスゲー。

遅くまでお疲れ様ですと笑うその姿に我慢が効かなくなって、そのままグッタリと倒れ込むように俺よりも全然小さくてひ弱そうな体に覆い被さった。


「……重っ、どうかしたんですか?」

「んーん」

「とりあえず中行きましょう?今ちょうどホットチョコレート作ったんです」


引きずられるようにして歩きながらリビングを目指す。ポスンと弾むようにソファに腰かけると同時に、スっと目の前に出された一つのマグカップ。それを持つ小さな手ごと掴んで引き寄せると、慌てた晶子ちゃんが手を引こうとする。そんなことはさせないと無理やりマグカップを傾けてそのまま口をつけた。俺のチョコをホットミルクで丁度良い甘さに飲みやすく溶かしたそれが、口の中にトロっと流れ込んでくる。


「こぼれるかと思ったじゃないですか!」

「ビックリした?」

「もう!反省してください!」


天童さんの考えてること、たまによくわからないです。そう小さく呟かれた彼女の言葉に少しだけ心臓が冷えた気がした。「そう?どのへんが?」なんていつもの調子で聞いてみるけど、なんとなく目が合わせられない。


『何か怖いよな天童、何考えてるかわかんない感じがさ』


遠い昔の記憶。幼い頃のチームメイトたちの声が頭の中にこだまする。

下手な笑顔を張りつけながら、視線も合わせないまま彼女の次の言葉を待った。ほんの少しだけ空気が変わったことには気がついたのか気が付いていないのか、晶子ちゃんは背を伸ばしてひょこっと俺の顔を覗き込んでくる。無理やり視線を合わせられて少しだけ億劫になりながらもしっかりとそっちを向くと、不思議そうな顔をした晶子ちゃんは首を傾げながらテーブルにマグカップを置いた。

ゆっくりと口を開こうとした彼女のその様子を見た瞬間、腰から上にゾワッと嫌な風が吹いたみたいになって素早くその口を自分のそれで塞いだ。いきなりの事で驚いたらしい晶子ちゃんが目を見開いて、バランスの崩れた体を支えるために俺の肩を両手で掴む。


「っどうしたんですか?」

「……晶子ちゃんはさ、」


俺のことどう思ってんの?なんて、馬鹿みてぇな質問をしようとしてやめた。あー、やっぱ疲れてんのかね。慣れないネガティブな思考に支配された頭では、何を考えても無駄な気がする。もうやめたやめたと考えることを諦めて、ボスンと晶子ちゃんの上に乗っかるようにして体をソファに沈めた。

他人の評価には興味ないし、なんと言われたって俺が気持ち良ければそれで良い。そんな考えで突き進んできたからそれなりに敵が多いのもわかっちゃいる。それも仕方がない事だと割り切ってきた。その事実に悲しんで自分の考えを変えようなんてそんなことは、それこそ一度も考えたことはない。そして多分、これからも。

だけど、この子にもしも否定されたら、その時俺はどうするんだろ。


「晶子ちゃんは俺のこと怖くないの」

「何でですか?」

「妖怪みてぇとか、良く言われてたんだよネ」

「……あ〜、確かに似てますもんね。可愛いと思います」


……似てる?……可愛い?よくわからない返答にむくりと顔を上げてジト目で見下ろす。なに言ってんのこの子。俺よりも晶子ちゃんの方が何考えてるかわかんねぇんだけど。

そんな俺の気持ちが伝わったのか、困ったような顔をした晶子ちゃんが「似てません?……ほら、あの、口元とかとくに」と言葉を続けるから、今度こそ我慢しきれず「はぁ?」という声が出た。


「何年か前に流行ったじゃないですか。猫の妖怪の。私も詳しくはないんですけど。今何時?ってやつ」

「……妖怪ウォッチ?」

「あ!そうそうそれです!」


内容は知らないので性格が似てるかまではわかんないんですけど〜。なんて言いながらそれのどこが俺と似ているのかの説明を始める。的外れにも程がありすぎてさすがの俺でも呆れた。つか見た目も別に似てねーし。ホントにこの子よくわかんない。

耐えきれずに思わず吹き出すと、何が面白いんですか?なんて真面目に聞いてくる晶子ちゃんが面白すぎてさらに笑えた。


「俺のチョコレートの大ファンな晶子ちゃんには悪いんだけどさ」

「はい?」

「誰かのことを想ってとか、どうやって食べて欲しいとか、あんま考えたこと無いんだよね。俺が好きな味求めてたらこうなってたって感じで」


バレーに打ち込んでた学生時代。あの時も同じことを思ってた。対象がスポーツから食べ物に変わっただけで、好きなものや好きなことに対する考え方も生き方も基本的に変わっちゃいない。

除け者にされたって、文句を言われたって、陰口を叩かれたって、誰に嫌われたって、常にそのスタンスを貫いてきた。表では平気そうに過ごしていたし、実際に平気ではあった。けれどもやっぱり心のどこかで不満を募らせていたのも事実。だからこそ点が獲れるなら文句はねぇと受け止めてくれたあのチームが、言葉通りに俺の楽園だったんだ。

ゼッタイ口には出さねーけど、俺はそれがどんなにかけがえのない貴重なもので、大切な人達なのかを知ってしまった。あの時のあの場所は、間違いなくバレーボールに捧げた数年前の俺が見つけ出した最高の居場所だった。


「そんなの、何も悪くないですよ。天童さんが求めたその味が、私の好きな味なので」


にっこりと目を細めた晶子ちゃんが嬉しそうにそんなことを言った。ちょっとだけ時が止まったように、ピシッと体が動かなくなった。

目を見開いて見下ろしたままの俺の頬にそっと手を添えた晶子ちゃんが、顔を上げてふわっと唇を合わせてくる。少し強く押し付けられたそれは数秒で離れてしまったけれど、触れた場所に僅かに残った熱がジワジワと俺の中の幸福度を上げていった。


「甘い」

「ホットチョコレート飲んだからネ」

「私が一番好きな味でした」


俺を見上げてくる晶子ちゃんを見下ろす。身体の芯が疼いた。ぞわぞわと這うように全身に甘い電流が伝って口許が緩む。相手の渾身の一発を弾き落とした時、コートに膝をついて苦しげな顔で俺を見上げてくるやつを見た時にも同じようなことを感じた。けれど今はその感覚に加えてもっと別の心地よさも感じている。

似ているようで少しだけ違う。それをうまく言葉にはできないけれど、俺の傍で幸せそうに笑う晶子ちゃんを見ていると、もう彼女以外で満足なんて出来ないと確信が持てた。


「晶子ちゃん俺のこと好きすぎ」

「なんでそう思うんですか?」

「うーん、勘」


バレーボールの楽園があの時のあの場所なら、今の俺がたどり着いた人生の最高の楽園は、確実にここだ。


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