幾かへり露けきを過ぐしきて花の紐解く折りに会ふらむ




「角名くん」
「お待たせ」

 自然な流れで手を繋いで歩き出す。私たちがこんな関係になってからもう数ヶ月が経ったけれど、あのあとすぐにバレーのシーズンが始まり、そして彼は静岡で私は東京なこともあってなかなか会う頻度は変わらなかった。それでもお互いに頻繁に連絡を取り合ったり、たまに出来る僅かな時間を惜しまず相手の為に使って、以前よりもお互いのことを深く知ってより良い関係を築けていけていると思う。

「新幹線、短い時間でもずっと座りっぱなしはやっぱ体にくるな」
「ごめんね、なるべく私が行くって言ってたのに、ありがとう」
「いいよ。俺がしたいだけ。それに来週はなまえさんの方が来てくれるんでしょ」
「うん」

 ふぅと一息吐く角名くんの向かいへと座る。仕事のことでバタついていた私は近頃はなかなか遠出が難しく、角名くんに来てもらってばかりで悪いと思っていたけれどそれももう終わりだ。やっと方がついて、来週からは自由に動ける。

「それでさ、あの、角名くんに一つ相談があるんだけど」
「なに?」
「・・・引っ越そうかなって思うの。静岡に」

 恐る恐る口にしてみれば、驚いたように目を見開きこちらを見たまま固まった角名くんが、小さな声で「え」と呟く。

「ほら、私の仕事ってどこにいても出来るじゃない? たまに出版社の方に行ったりとかはあるけど、頻度だってそんなに多くはないし、静岡と東京なら新幹線ですぐだし。最近は担当さんとか出版社側にその事を相談したり、地方で仕事ができるような環境を整えるのに忙しくしてて・・・。話が通るかギリギリまでわからなかったから言ってなかったんだけど、地方で活動してる作家さんもたくさんいるから大丈夫だってやっと許可もらえたの」

 思わず早口で捲し立てる。どうかな、と俯き気味だった視線を上げ彼と視線を合わせれば、彼は軽く下唇を噛みながらじっとこちらを見ていた。

「角名くん?」
「・・・ちょっと、整理させて」

 テーブルに肘を乗せ、顔を両手で覆った角名くんの耳は心なしか少し赤い。やばいな、と短く呟いたその声は嫌悪感があるようではないらしく、少しだけホッとした。住む場所とか時期とかは、まだまだ未定なんだけどね。と言葉を続ければ、それにピクッと反応した角名くんが眉を顰めながら顔を上げる。

「・・・一緒に住むんじゃないの?」
「ええ!?」
「なんでそんなに驚いてんの」

 そういうことじゃないの? なんて怪訝な顔をする角名くんに、その考えはなかったと伝えると、何でだよと頭を抱えられてしまった。

「近くに住めるってだけで嬉しいけどさ、俺は四六時中なまえさんと一緒にいたいなって思ってるわけ。なまえさんは?」
「・・・・・・出来ることなら、一緒にいたいです」
「うん。なら、俺のとこおいでよ」

 柔らかく細められたその瞳に吸い込まれそうになる。好きな人と二十四時間、時間に囚われずに過ごせるなんて、想像しただけで幸せだった。


◆◆◆◆◆◆


「寂しくなるわー」
「私もだよ」
「まさかあんたが男追っかけて私から離れていくなんてね」
「言い方」

 ハァーとわざとらしいため息を吐いた友人は、呆れたような顔をしてはいるもののとても喜んでくれているようだ。ずっと私のことを近くで見ていて心配してくれてた子だ。離れてしまうのは寂しいけど、すごく遠いわけではないし、私もちょこちょここっちにはくる。今みたいに気軽には会えなくなるかもしれないけど、きっと年に何回かは会ったり出かけたりすると思うし、連絡はいつだって取れる。お互い寂しがりはすれど、そこまで悲観的にはなっていない。

「本気で好きなのねぇ」
「うん」
「即答じゃない。相手に興味持てずに振られてたのに」
「ちょっと、それは忘れてって前にも言ったよね?」
「もう忘れられないって。でもほんとにあの時のなまえのこと考えると涙出そうだわ」

 垂れた髪を耳にかけた彼女は、あんたがそこまでなれる相手、見つかって良かったわね。と言って大輪の花のような綺麗な笑顔を見せた。

 住む場所は少し離れてしまうけれど、彼女とはこれからもずっと友達でいたいと改めて思った。


◆◆◆◆◆◆


 手を絡めてキスをして、至近距離で視線が交わって、体温がそっと上がる。角名くんはなんともなさそうな顔をしながら、いっぱいいっぱいの私を見下ろして面白そうに喉を鳴らした。悔しくなって俯くと、そのままカプッと耳を噛まれ、「顔上げてちゃんと見せて」なんて低い声を耳元で出される。くすぐったい感覚が全身を走って足の指の先までビリビリとした。

「どうしたの? そんな顔して。言いたいことあるならちゃんと言わなきゃダメじゃん」
「・・・・・・ずるい」
「何が? ちゃんと言ってくれなきゃわかんないって」

 口をぱくぱくとさせながら彼を見上げる。涼しげな表情のまま片方の口角を怪しげに上げるその姿に、また顔の温度が上昇した。そんな私の姿を見て耐えきれないと言った様子でプッと吹き出した彼は、「ほんと、こういう時何も言えなくなるよね。言葉使って仕事してるとは思えない」と揶揄うように笑った。

「もう、またそうやってすぐ馬鹿にするんだから」
「馬鹿にはしてないって、可愛いって言ってんの」
「とてもそうは聞こえないよ!」

 ポスンと彼の胸に飛び込んで回した腕にギュッと力を目一杯込めてみるけれど、彼はうんともすんとも言わない。それどころか嬉しそうに私の頭に手を置いて、「なまえさん」なんて優しく私の名前を呼んだ。

「何? 角名くん」
「・・・それ」
「ん?」

 もうやめない? と投げかけられて、なんのことかと一瞬考える。けれどすぐに、一緒に住んで慣れてきたら流石にもうそれはやめようよと言われていたことを思い出し、何に対してやめないかと言われているのかを悟った。

「・・・倫太郎くん」

 小さな声で呼んでみる。大きく笑った彼が嬉しそうに「はい」と返事をして、覆い被さるように抱きついてくる。

「うわっ、何も見えないよ倫太郎くん」
「・・・・・・」
「・・・倫太郎くん?」
「名前呼ばれるだけでこんなに嬉しいとかガキかよ。って、今、思ってる」
「あははっ」

 珍しくほんのりと色づいた彼の頬にキスを落として、首元へと腕を回した。それを合図に彼が逃さないと言わんばかりに私の唇を啄む。もう一回呼んでみてと、耳元で小さく囁いた彼に従って愛しい名前を再度口にした。フッと軽く息を吐いて柔らかく笑った彼は、「なまえ」と小さく私を呼ぶ。

 生まれてから今までそれが当たり前であると思っていただけの自分の名が、なんだかとても素敵なものに思えた。


◆◆◆◆◆◆


「苗字さん、お久しぶりです」
「久しぶり!」

 カランとドアの鈴が鳴って見慣れた顔が現れる。すぐに私の存在に気が付いた赤葦くんは、ぶんぶんと大きく手を振る私に「目立つからやめてください」と困ったように言って、随分と疲れた様子で向かいに座った。

「お疲れ様。相変わらず大変そうだね」
「毎日作家と会社と印刷所との戦いなので」

 届いたコーヒーを半分一気に飲み込んだ赤葦くんは相当お疲れのようだ。きっとそうだろうと思ったからゆっくり会場で待ち合わせでも良かったけれど、会場ではあまり立ち入った話はできないから、せっかくだしこれまでみたいにどこかでお茶をしてからにしようと提案してきたのは赤葦くんのほうだった。

「そうだ、新刊買いましたよ。今回も良かったです」
「ありがとう〜! 嬉しい」
「サイン頂いてもいいですか」
「いいよ〜」

 準備よくペンと一緒に差し出されたそれに日付とサインを入れる。しっかり新刊のチェックと、それに対しての素直な感想を毎回くれる彼の存在はとてもありがたい。インクが乾くまでの間ジッと表紙を眺めていると、「その・・・」と少し難しい顔をした赤葦くんが恐る恐る話しかけてきた。

「今回のはいつもよりも恋愛に関しての歌が多かったじゃないですか」
「うん。お恥ずかしながら」
「それは全然いいんですけど、想像の倍ロマンティックで驚きましたよ。前世だとか来世だとか、今時珍しいなって」
「なかなか夢見てるよね」
「でもそのくらいの方が苗字さんの作品的には良いんじゃないですか。まぁでも、その相手を知っているだけに勝手にこっちが少し気まずくなってしまったりはしましたけど。すみません」
「あー・・・そうだよね」
「でも苗字さんの新しい一面が覗けたというか、俺はやっぱりあなたの選ぶ言葉が好きだと思いましたよ」
「本当に? ありがとう」
「次はうちの出版社で出さないかって話を持ち掛けたいくらいには」
「あはは」

 他愛のない話で一通り盛り上がって、ハッと思い出したように時間を確認すれば、もう少しでここを出る時間になる。残りのドリンクを全て飲み干し一息吐くと、「久しぶりにたくさんお話し聞けて良かったです」なんて赤葦くんが穏やかな表情をする。

「会場で苗字さんと話してると角名がうるさいので」
「一気にいやそうな顔」
「苗字さんからも言ってやってくださいよ」

 眉を顰め嘆く赤葦くんにごめんねと笑いかければ、それだけですか? 甘すぎません? なんて呆れた表情を向けられる。順調そうで何よりですよ、と諦めたように呟いた彼に「おかげさまで」と返事をすると、彼はフッと息を吐きながら柔らかく口角をあげた。

「私はあの時赤葦くんが試合に誘ってくれて良かったってよく考えるよ。ありがとう」
「偶然の奇跡ってやつですね」
「あれがなかったら倫太郎くんに出会うのはもっと後だったかもしれないし」
「・・・なんですか、運命だとでも言いたいんですか」

 いつか巡り会うのは確定なんですね、ごちそうさまです、口から砂吐きそうです。なんて言ってなんて呆れた顔をした赤葦くんは、そろそろ行きましょうかと言って立ち上がる。先に歩き出した彼にすぐに追いつくと、「いいですね、そんな風に思える相手に巡り会えて」と私の方を向いて笑った彼は、今まに見た中でも一番嬉しそうで優しい表情をしていた。


◆◆◆◆◆◆


 肌に触れる空気はクーラーで冷やされていてひんやりと冷たい。それにも関わらず火照った身体は冷めることなく熱を保ち続けている。シーツの擦れる音が部屋に響いて、私と同じくらい熱くなった彼の身体が背中にピトっとくっついて、大きく太い腕がお腹へと回ってきた。

「倫太郎くん」
「・・・そっち向いてて」

 小さく囁かれたと同時に頸に顔を埋めた彼は、そのままゆっくりとそこに唇を押し当てる。触れるだけの簡単なそれはとてもくすぐったくて、思わず肩に力が入った。

「こんなこと言ったらアレだけどさ、たまにもう死ぬんじゃねぇかなって思うことあるんだ」
「・・・え?」

 突然の発言に驚き、後ろを振り返ろうとするとグッと腕の力を込められ阻止される。どうしていいか分からず、お腹の前で固定されたままの手のひらを自分のそれで包み込むと、フッと息を吐いた彼が「ごめん、言葉足りなかったよね」と申し訳なさそうに小さく笑った。

「幸せすぎてこのまま死ぬ気がするって、たまに本気で思う」
「・・・・・・」
「でも同時に何が何でも生きなきゃとも思うんだ、すごく」

 おかしいでしょ。そう言葉を続けた倫太郎くんの身体から力が抜けるのがわかった。そのタイミングを利用して、無理矢理体の向きを変える。向かい合って、いつも通りの色を見せる彼の綺麗な瞳を覗きこんだ。全てを吸い込み覆い隠すような漆黒の中に浮かぶ、鈍い眩さを持ったその存在。角名くんの醸し出す独特な雰囲気がそこに現れている。

「さっきもさ、なんかいきなり込み上げてきて、セックス中に泣きそうになる感覚って自分でも訳わかんなすぎて戸惑った」

 ははっと大きく笑った彼の頬に手を添えて、少し体を伸ばして口付けた。ピタリと笑いを止め静かに私を捉えるその瞳をしっかりと見つめ返す。ゴクンと彼の喉が鳴って、喉仏が大きく上下する。静かな部屋にはクーラーの音と私たちの呼吸音だけが奏でられていて、どちらかが口を開かない限りそれが変わることはない。

 頬に充てていた手を彼の後頭部へと回してゆっくりと引き寄せる。首元に当たる彼の吐息が少しくすぐったくて、その温かさに安心した。

「私もね、もう死んでもいいって思うこと、あるよ」
「・・・初めて聞いたな」
「幸せすぎて、もうここで死んでも悔いはないなぁって」

 熱い手のひらが冷風で冷えた私の背中の表面をなぞるように這っていく。ゆっくりと顔を上げた倫太郎くんが噛み付くように下唇に吸い付いて、そのままのしかかるように体勢を変え勢い良く覆い被さった。あまりにも早急なその行為に驚く間もなく溶かされていく。口内も思考も全てが彼に支配されて、何度も何度も繰り返され続けるそれに耐えきれず彼の胸を何度も叩くも、彼はこちらの要求を見て見ぬふりをし、そのままお互いの限界まで続けられた。

「・・・・・・っ」
「・・・苦しそうだね」

 息が詰まって声も出せず、小さく頷くことしか出来ない。二人して必死に肩を動かしながら酸素を求めて、再度最高潮まで火照った体温を共有するようにしがみついた。縋り付くように込められた腕の力に応えるように、彼の胸元に強く額を押し受けた。ドクドクと激しく大きな音を立てる彼の心臓が懸命に私に叫びかける。永い時間泳ぎ続けて、やっと流れ着いた共に過ごせるこの時代で、いつまでも二人で溺れていたい。


和歌解説
・幾かへり 露けき春を 過ぐしきて 花の紐解く 折りに会ふらむ
・・・幾度会えないと涙を流したことでしょうか。それでもようやく花開く春にあなたに巡り逢えました。


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