古も今も変はらぬ世の中にの種を残す言の葉




「角名!? 生きとるか!?」
「・・・・・・なんとか」
「良かった無事か。とりあえず水飲め。こんなとこにぶっ倒れとったらほんとに死んでまうぞ」

 こいつがここに越してきて二年目の夏のことやった。その年は猛暑続きで作物も被害を受け、町中が良くない雰囲気に呑まれそうになっていた。久しぶりに角名の元へと訪れてみれば、いつも俺を生意気に出迎えるその姿が見当たらない。どっか行きよったんかなと勝手に上がり込んで待つことにしたが、どうやら家の中の様子がおかしい。急いで辺りを見渡せば人の足が見えた。駆け寄ってみればそれはこいつの足で、慌てて名前を呼んだらなんとか意識はあるものの、か細い声で息も絶え絶えに辛そうな表情をしていた。

「少しは落ち着いたか」
「本当に死ぬかと思っちゃった」
「俺は死んどんのかと思って本気で焦ったわ」
「すごい形相だったもんな」

 人が本気で心配してやっとんのに、それをバカにするようにニヤニヤ笑う角名を睨みつける。コエーと言いながら静かになったそいつに、「そんだけ喋れるようになればもう心配いらんやろ」と呆れたように言えば、弱々しい声で「でも本当にあんたが来なかったら危なかったかも。ありがとね」なんて素直に口に出した。

「灼熱地獄ってこんな感じなのかな」
「何言っとん」

 茹だるような暑さの中で高熱に魘されるのは俺の想像する数倍辛いと思う。もしかしたらこいつの言う灼熱地獄っちゅーのもあながち間違いではないのかもしれん。きっと以前のこいつなら、絶えず死ぬ死ぬと連呼しながら諦めかけた様子でもっと駄々をこねていたと思うが、こんな時でも明るく振る舞ってこの状況さえも楽しもうとしているように見えた。

 ずっと共に居るからわかる、こいつのさり気ない成長と確かな意識の変化をもたらした一番のきっかけは、やっぱあの歌なんやろ。こいつが言うように、いつかどっかでその歌を詠んだ女の人と本当に巡り会えたとしたら、その時は俺もその人に礼を言いたい。一瞬でも良え、一言だけでも良えから、こいつの考え方を変えたその人に俺からの感謝の言葉を。


◆◆◆◆◆◆


 秋が深まると同時にシーズンが始まる角名くんは、あれからまたすぐに忙しくなってなかなか会えない日々が続いた。冬を超え、春が近づいた今日。やっと角名くんの時間が取れるようになったこの日、私たちはお互いに少し足を伸ばして兵庫へと来ていた。

「初めまして、角名の高校の部活のチームメイトやった北信介です」
「初めまして、苗字なまえです。よろしくお願いします」
「・・・二人とも流石に硬すぎません?」

 笑いを堪える角名くんの脇腹を肘で小突くと、イテっと大袈裟な声が飛んでくる。角名くんには事前に聞いてた。この人が角名くんと私の歌を残し、あの歌集の最後に一文を添えてくれた人であることを。

「角名くんからお話伺ってます」
「そか。なら話が早いな」

 立ち話もなんやから早よ入り。そう言って私たちを家の中へと招いてくれた。今は誰もいないらしく楽にしてくれて良いと言ってくれる北さんは、私の想像していた性格よりもだいぶ穏やかだった。角名くんは北さんのことを昔は世話焼きの怖い人で、今は逆らえない人だと言っていたけど、物静かで礼儀正しく、あらゆる所作が丁寧で、雅やかという表現が良く似合う。

 振りかざした刀が空を切るような音を立て、切先のように鋭く、研がれた刃物に冷酷に敵を映す。話を聞く限りではそんな人なのかと思っていたけれど、サラサラと流れる清流のせせらぎのような柔らかな音を立て、手を浸せば真夏の暑さも忘れさせる自然の涼しさを持って、濁りのない透明な川面に月を映す。そんな人だった。

「角名には負けるけど、俺もあんたにはずっと会ってみたかったんよ」

 なんせ千年も前からずーっとあんたの話聞いとったからな。と隣にいる角名くんの顔を見ながら面白そうに笑うその人に、角名くんがムッと少しだけ口を尖らせる。

「苗字さんとのこと話してみろって何遍も言うとるのにあんまりあんたのこと話したがらんから、苗字さんから直接話聞けるの楽しみにしとった」
「そうなんですか?」
「・・・恥ずかしくない? こういう自分のこと話すのって。苦手なんだよ」
「お前の気持ちも事情も何もかんも随分前から知っとるのに何今更恥ずかしがっとんねん」
「それが逆に恥ずかしいんですって」

 気まずそうに顔を歪めた角名くんは、私たちを交互に見ながら「あんまり俺の恥ずかしい話はしないでくださいよ、北さんもなまえさんも」と小さな声を出した。私がいなかった頃の昔の角名くんのこと、高校生のときの角名くんのこと、私の知らない彼の話を聞くのはとても面白い。居心地が悪そうな角名くんが、「もうその辺で良くないですか」と眉を顰める。その姿に北さんと二人で笑いあった。

「苗字さん、ほんまにありがとな」
「私は別に、お礼を言われることなんて何も」

 真っ直ぐな瞳がこちらを向く。圧の強いその眼差しはその人柄をよく表していると思う。凛とした声はブレることなく耳へと入り、そして心地よく全身を巡る。この人の放つ言葉には強い感情が曲がることなく素直に乗っていると思った。側から見ればあまり表情に変化がなさそうでわかりづらいかもしれないけれど、飛んでくるその目に見えない気持ちがビシビシと私の肌に突き刺さって、柔らかに侵入してくる。

「角名のこと変えてくれたんは間違いなくあんたや、苗字さん」

 フッと微笑んだと同時に空気が軽くなる。角名くんもそうだけど、この人も相当不思議な人だ。厳しそうに見えて誰よりも優しく、冷たそうでいて何よりもあたたかい。こんな人がずっと傍にいてくれたことは、角名くんにとってとても意味があり頼もしいことだったのではないかと思った。

「こちらこそありがとうございます。あの歌集があったから、今の私はこうしてまた歌を詠めてる。そして角名くんに巡りあえました」
「苗字さんが想像通りの人で良かった、角名のことこれからもよろしく頼むわ」

 ゆっくりと口角が上がって、綺麗な瞳が細められた。木漏れ日のような穏やかな表情を向けられ、自然とこちらも笑顔になる。隣で私たちの会話を静かに聞いていた角名くんは、居心地の悪そうな顔はもうしておらず、少しだけ気恥ずかしそうにしながらも柔らかな表情で私たちのことを見ていた。

 彼のことを今も昔も気にかけてくれている人。その人の作り出す空間はこんなにも居心地が良い。ひだまりのような淡い光に銀色の髪が静かに光る。触れる感情の全てが温かい。

用語解説
・古も 今も変はらぬ 世の中に 心の種を 残す言の葉
・・・変わらない悠久の時の流れの中に、和歌は言葉によって心の種を残していくものである。


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