天の川相向き立ちて我が恋ひし来ますなり紐解きけな




 雲ひとつない晴れた空に、星だけが輝いている夜。まだ梅雨が明けないこの時期にここまで快晴だというのはとても珍しい。毎年この日は星が見れないと嘆きながら人々は空を眺めているのに、今年は道ゆく人がみんな笑顔でこの星月夜を見上げていた。

 昼間はたくさんの人で賑わうこの街も、この時間となるとそれぞれの世界に閉じこもりながら静かに過ごしている。耳を澄ますと聞こえてくる波の音と、たまに飛んでくる笑い声が、盛夏となる前の貴重な涼しい夜に溶けていった。

「ごめん、遅くなった」
「大丈夫。お疲れ様」

 きっと練習で疲れているだろうに。小走で駆けつけてくれた角名くんは薄らと額に汗を浮かべていた。涼しい夜だと言っても夏は夏。織姫と彦星が交わるこの日に彼が関東にいるのは何の偶然か。

「俺が東京まで出ても良かったんだけど」
「ううん、いつも角名くんにばっかり動いてもらっちゃって申し訳ないし。たまには私にも来させて。って言っても電車で一時間ちょっとだけどね」

 初めて連絡を交わして二人きりで会ったあの日以来、彼は時間を見つけては会いにきてくれた。交通費だってばかにならないはずなのに。

「なまえさん」

 彼が私を呼ぶその声はほんのりと優しい。視線を向けると、真黒に浮かんだ月のように澄んでいる瞳を嬉しそうに細め、クールな印象の口元を少しだけ緩ませる。読めない雰囲気を醸し出し、感情もわかりにくいイメージを持つのに。

 体と表情、自分が持つ全てを使って口に出さずとも伝えてくる。穏やかな波のように打ち寄せてくる彼が放つ感情が心地よくて、後戻りのできない沖まで気がつけば流されそうになってしまっているのだ。

「短い時間だったけど、会えて良かった」
「こちらこそ。嬉しかったよ」
「・・・ねぇ、それは良いように捉えてもいいの」
「へ?」
「自分で言うのもなんだけど、結構拗らせてると思うんだ。本当はもっとはっきり言葉にして伝えたいんだけど、気持ちが強すぎて。こう見えてもちょっとためらったりしてんの」

 高い位置にある角名くんの顔を見上げる。漆黒のカーテンを靡かせるように背景を黒く染め、チカチカと瞬きを繰り返す無数のライトを背負った彼の指先がそっと頬に触れる。

 初めて会った日、突然抱きしめられた。試合会場では手を握られた。初めて二人で待ち合わせたあの日は頭を撫でられた。けれど、こんなにも大切そうに、壊れやすいガラス細工にするみたいに触れられるのは初めてだった。

「す、なくん、」
「うん。ごめん。突然」
「いえ・・・」
「急がなくていいから、少しずつでいい」

 俺のこと意識して。そう言って笑った角名くんの表情は、この幻想的な夜が明け、朝日が昇っても、それを何度も何度も繰り返しても、脳裏に刻み込まれて忘れられない。そんな一瞬の永遠を作り出した。


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 日暮れを惜しむように激しく鳴いているヒグラシの切ない声が響き渡る。煌々と輝く夕陽が辺りを優しく包み込み、透き通るように繊細な青紅葉を、秋を先取るようにして赤く染めた。

「でさ・・・聞いてる?」
「えっ、ごめん! ぼーっとしてた。なに?」
「ははっ、大丈夫だよそんな慌てなくて。どうかした?」
「・・・・・・あまりにも、綺麗だったから」

 見つめた先に広がる光景が眩しくて、思わず目を細めた。私の目線を追って同じ場所を見つめる角名くんは、日が暮れてもまだまだ落ち着きを見せない暑さを微塵も感じさせないような涼しげな表情をしている。

「なまえさんはいつもこういうものを見て詠むの?」
「うん。その時見たもの、感じたこと。それを閉じ込めるの。勿体無いから」
「もったいない?」
「こんなにも心を動かされるのに、その場だけで終えてしまうのはもったいないでしょ」
「・・・歌は永遠の命ってやつか」
「うん」

 はっきりと定まらない自分自身の気持ちを、まだどう言葉にすればいいのかわからない。それでも着実に前へと進んでいる。その先に見える後ろ姿は、私よりもずっとずっと背が高く、少しだけ両端の髪の毛が跳ねていて、振り返ると形の綺麗な切長の目をこちらに向け涼しげに笑う、彼の姿がある。

「もっと聞きたいな、なまえさんの歌」
「ほんと?」
「その歌たちはなまえさんそのものってことでしょ」

 一歩、彼の方へと近づいてみた。ゆっくりと足を動かして、離れていた空間を限りなく狭くする。掠った手の甲を角名くんが見つめているのがわかったけれど、そのまま前を向き続けた。淡く輝くオレンジに吸い込まれたかのようにそこから目線を逸らさない。

 包み込むようにして角名くんの大きな大きな手のひらが私の肩に乗った。それに自分のものを重ねてみる。視線は動かさないまま。熱帯夜に魘されるように体温が少し上がったような気がした。どうせならこの熱を触れ合った肌の先に注ぎたい。なんてことを思った。

「なまえさん、そのまま聞いて」

 そっと角名くんが口を開いた。優しく語りかけるように。言われた通りに前を向いたまま、耳だけを角名くんに集中させる。

「もうわかりきってると思うけど、俺はあんたのことが好きだ」
「・・・・・・うん」
「返事はまだいらない。今はただ、それだけ知ってて」

 好き、なのかもしれない。そう思っていた私の心は彼の言葉を聞いて確信へと変わる。かもしれないなんてそんな曖昧なものではなかった。好きなのだ。もう。彼とはまだ付き合いも短く、会った回数も多いわけではないけれど。

 自分から好きになったのか、全身を使って静かに叫ぶように私への気持ちを伝え続けてくれていた彼に、好きにさせられたのか。そんなのどちらでもいい。経験したことのない感情が氾濫するように溢れてきて、とめどなく流れていく。

「やっと、直接伝えられた」

 どうしてだかはわからない。わからないけれどジワジワと涙が込み上げてきた。溢れるほどではないけれど、確実にそれが瞳を覆って視界がゆらゆらと揺れる。やっと。そう言った彼の声がひどく胸に響いた。少しだけ力の込められた肩に置かれた手のひらが、わずかに震えているのを感じた。

 そうしてしばらくお互いの時間を共有した。会えなかった今までを埋めるように。同じものを見つめながら、同じ場所に立って。

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