うち渡す遠方人をちかたひとに物申す我そのそこに白くけるは何の花ぞも




「治って進路どうするの」
「どうした急に」
「ちょっとね」

 高校二年の冬となれば、進路に関しての悩みも増えるわけで。このままここにいるのか、愛知に帰るのか、大学に行くのか、就職するのか。いろんな選択肢がある中で一番頭を悩ませていること。バレーボールを続けるか否か。

 わざわざ愛知から一人ここ兵庫へとやってきて、血反吐を吐く思いで練習に打ち込んできた。全国大会にだって何度も行ったし、間違いなく高いレベルでやってきたと思う。だけど今後どうするかと問われると明確な答えが導き出せない。スパッとやめるのか、今みたいな感じじゃなくサークルとかで遊び程度に続けるのか。実業団、はちょっと迷う。目指せないわけではないと思う。でもそれを選択して一体どうするんだろう。

 侑みたいに、自他共に認めるくらいの実力がはっきりと目に出来ていれば、俺ももっと上を目指すと言えるんだろうか。高校ナンバーワンと言われている訳でもないし、このポジションじゃ身長だって低い方だ。ブロックだってスパイクだって、全国を見渡せば同年代にはもっともっとすげぇ奴らがたくさんいる。俺なんかよりも強くて、俺なんかよりももっと努力してるような奴らが、ゴロゴロと。

 同年代だけでこんなにいるんだ、プロの世界に飛び込めば更に上がうじゃうじゃいるんだろう。期待して飛び込んで、好きな気持ちをへし折られるような現実を突きつけられて、強い挫折を経験するくらいならば、今ここで良い思い出として終わらせた方が楽なんじゃないかと、どうしたって考えてしまう。

 バレーボールは好きだ。その気持ちに間違いはない。でもこれ以上続けるべきか否かは正直迷うところだ。スパッとここでやめるのも、それはそれでアリなのかもしれない。

「俺は調理の専門とか行こうと思っとる」
「・・・・・・え、バレーは? しないの?」
「高校で終わりやな」

 ハッキリと言い切った治は、「あっこれツムには言わんといてな。まだ言ってへんから」と呑気に弁当の続きを食べ始める。家族よりも先にそんなに重要なことを俺が知っちゃっていいのかよ、と思いながら、寂しいような悲しいようななんとも言えない感情と、どうしてだという驚きで頭が混乱した。

 せやから未練が残らんように、あと一年しっかりやり切ったるわ。と、口元に米粒を付けながら治は大きく笑った。飯のこと以外は何考えてるかよくわからないし、ぽわぽわしてる事が多いけれど、意外にも自分の考えを誰よりもハッキリと持っている。治はやっぱり強いやつだと思った。

 俺はあんな風に自信を持って、何かがしたいと言えるのだろうか。


◆◆◆◆◆◆



 あの日から一月が過ぎた。あれからもとにかくたくさんの歌に触れてきたけれど、どれもいまいちピンと来ない。良いと思ってもあの人の歌以上に響くものが見つけられなかった。

 冬がやってくる。頬を撫ぜる風は、肌を切るような冷たさを伴って俺の横をすり抜けていく。乾いた空気で喉が少し痛い。もう今日は何もしたくねぇなと思うのに、そういう日に限って夜に用事が入ってんだよな。そしてこういう日に限って決まってこの人はやって来るのだ。

「生きとるか」
「勝手に殺さないでくれるかな」
「そんな所でピクリとも動かんのが悪いやろ」
「今日は何の用ですか」
「特になんも。様子見にきた」
「じゃあ大丈夫です元気なので。お帰りください」

 最近失礼な態度に磨きかかっとるぞ、と少しイラついたような声が聞こえてきたけど、無視するようにゴロンと転がって背中を向けた。だらしな、そんなんやと今に神さんに見放されるで、と肩をはたかれるが顔は上げない。

「いないよ神様なんて」
「んな寂しいこと言うな」
「いないよ、いたら俺の心はもっと救われてるはずだ」
「・・・んな寂しいこと言うなって」

 体勢を変えて仰向けに大の字になる。なんとも言えないような顔をした男は、一体何を思ったのか知らないが、そのまま腕を伸ばして俺の顔面をガシッと掴んだ。は? 痛いし。何してんの?

「痛い痛い痛い痛い窒息死する」
「そんな風に喚いてるうちは死なんから大丈夫や」
「意味わかんないんだけどっ」
「・・・そんな幽霊みたいな顔しよって」

 鞠か何かだと勘違いしてるんじゃないかと疑うほどに、ギリギリと俺の顔を力を込めて握ってくる。マジで痛いんだけど。鼻もげそう。頭おかしいんじゃないのこの人。顔が潰れると抗議しても、「良かったな、色男にでもなれるんちゃう」なんてクソ失礼なことを言い出す始末だ。本当にこれが俺じゃなかったら、あんたの首が飛んでもおかしくないんだけど。わかってんのか。

「そんな感傷に浸る余裕があんなら、一つ歌でも詠んでみろや」
「何で皆そうやって、すぐに何でもかんでも自分の感情を歌にさせたがるのかな」
「皆になんか言わんわ、お前だから言うとるんやろ」

 そう言うと、パッと顔から手を離した男は馬乗りになるみたいにグワッと勢いよく跨ってきた。は? 重。どけよ。顔が開放されたと思ったら、今度は体が痛くて仕方がない。なんでこんな体勢で男を見上げてるの俺は。なんでこんな男に見下ろされてるの俺は。

「お前があの作者と繋がれるとしたら、それは歌しかないやろ」

 男は珍しく声を荒らげた。胸ぐらを掴まれ真っ直ぐな目を向けられれば、どうしていいか分からなくなって言葉に詰まる。何でそんなに必死になってるんだ。俺のことだろ、ほっとけばいいじゃん。ゆらゆらと揺れる瞳は、俺がただ勝手にそう感じているだけなのかもしれないけれど、不安げに見えた。

 あんたには、関係ないじゃん。突き放すようにそう言った。これ以上来ないでくれ。来られても困る。胸の奥がざわざわする。踏み込み過ぎちゃいけない。何かにのめり込んで良いことなんてあるか? ないだろ。全てを賭けたその結果、自分の手に残されたものは何もない。なんて虚しくなるのは絶対にごめんだ。お前が珍しく何かに執着しとる。それがどんなもんでも、手放さん方がいい。そう言った悲しそうな声は耳に入れたくなかった。

「・・・執着、してると思う?」
「阿保みたいにしとるやろ」
「この俺が?」
「お前以外に誰が居るん」

 この一ヶ月、何も手につかなかった。まさに心ここに在らずという表現がぴったりと当てはまるような。でもそれには、初夏の暖かい風の心地良さに眠気を誘われて意識を持っていかれそうになる様な、そういう暖かな色味なんて無かった。木枯らしに吹かれて、全身が凍りついたせいで五感全てを奪われたように感覚が冷えてなくなっていく様な、そんな喪失感に似ていた。

「お前、また大変なもんに惹かれよったな」

 はははと笑う顔が憎かった。好き好んでこんな事になってる訳じゃないんだぞ。勘弁してくれ。ただの執着で終わりたい。周りの奴らが紫式部の源氏物語にハマるみたいに、そういう感じで終わりたい、のに。

「・・・うちわたす 遠方人をちかたひとに もの申す我 そのそこに 白く咲けるは 何の花ぞも」
訳:そちらにおられる方にお聞きしますが、そこに咲いている白い花は一体何の花なんでしょうか

 呼吸が浅くなって握った拳に力が入った。緊張、してるのか。他人にこの感情の名前の正解を尋ねるなんて卑怯だと思われたか。だけど自分で答えを導き出してしまったら、認めざるを得ないだろ。案の定男は「俺に言わせようなんて狡いやつやな」と眉をひそめた。なんとでも言え。俺が狡賢いのなんか、とっくの昔から知ってんじゃん。

「春されば 野辺にまづ咲く 見れどあかぬ花 まひなしに ただ名のるべき 花の名なれや」
訳:これは春に咲くいくら見ても飽きない素晴らしい花ですが、何のお礼もなしには名前は教えられません

 ニィっと意地悪く男が笑った。うわ、心の底からムカつく。このまま殴ってやりたい。ハァーとドでかいため息を吐きながら、襟元を掴まれて半分起き上がっていた体を勢いよく倒した。ドンッと床が大きな悲鳴をあげるが気にしない。目の前でいまだに口角を上げニヤニヤと笑う心底うざったい男を殴る気力はおろか、嫌味を言い返す気さえ起きなかった。

「残念やったな、へたれてないで自分で導き出せ」
「・・・・・・帰れよ」
「そうするわ、お前もこれから用事あるんやろ」
「まじで行きたくねぇ」
「アイツらはお前に会いたがっとったで」
「俺は会いたくない。宮の奴らはうるさすぎる」
「それは否定出来んなぁ」

 止まることの無い何度目かのため息を吐いた時、身支度をし終えた男が「そうや」とこちらを振り返る。まだ何かあんのと不機嫌に反応すると、「お前にとっては良い情報やと思うけどな」と、また少し悪そうな薄い笑みを浮かべた。

「あの歌人の名前、なまえって言うんやと」
「・・・・・・・・・え、ちょっ、それ本当?」
「せやで。この一ヶ月間死ぬほど情報探してやったんや。感謝せぇ」

 それ最初に言えよ。最重要だろ。と言おうとしたけれど、この人は多分、この流れを全部読んであえて今まで言わなかったんだろうなと思った。それがまたムカつく。まぁ必死に探してもこれしかわからんかったけどな、と今度こそ笑いながら手を振って歩いていった。

 忙しいはずなのに、その合間を縫って一ヶ月も動いてくれたのかと思うと、素直に感謝せざるを得ない。どんどん離れていく背中に小さく「ありがとね」と呟いた。きっとこの距離じゃ聞こえてないだろう。そのくらいの声量だったはずなのに、男はヒラヒラと後ろ手に手を振った。怖、地獄耳にも程があるだろ。

 ほんの少しだけ、冬が遠ざかったような気がした。

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