大丈夫や!倫太郎!
あのすたば事件から数週間、今日も練習試合が行われている。今回は会場が稲高やなくて相手の学校で、そこも兵庫の代表決定戦の上位常連の強い学校や。強豪同士とあって稲荷崎から少し距離がある練習試合でも応援に駆けつける奴らも多い。
「おじさん!」
「嬢ちゃん、やっぱり今日も来とったか」
体育館のギャラリーへと顔を覗かせれば、すぐに気づいた嬢ちゃんは今日も手を振りながら俺をそちらへと呼んだ。いつもの様に制服に身を包んで、アップをする倫太郎たちを見下ろしながら楽しそうに鼻歌を歌っている。
「今日の相手はまたクセ者揃いやな」
「春高で去年の3年生が抜けてから初めての試合ですよね」
「おう。稲荷崎と違って相手はレギュラーほとんどが3年生やったから、去年とは全く別のチームになっとるなぁ」
つまり敵の力がまだ未知数。コートに出揃った相手校の選手を見ながら、あーまた強そうなのが出てきたなぁとありきたりな感想を漏らす。
「何あの人、でっか」
「MBやな。190後半はあるんやない」
「ほぼ2m!そんなのもう完全に巨人だ!角名くんとかでも私からすれば巨人なのに!」
「せやなぁ。でも倫太郎はMBにしてはちょい小柄なんよなぁ」
試合が始まる。今日の練習試合は5セットマッチで、1セット、2セット、3セットとどんどん試合は進んでいくが一向に両者どちらも譲らずギリギリの戦いをしている。取って取られて、なかなか大きく差は開かないもののどうしてか今日は見てて窮屈な感じがした。なんやろ、倫太郎、今日全然打ててへんな。
スロースターターやからと前半は何も考えず見てたものの、さすがにいつもはこのくらい試合が進めば活躍の場面もかなり増えて敵のブロッカーを難なく交わしながら打ち込むスパイクが、あろうことか今日はことごとく止められとる。決定的なシャットは無いもののこんだけワンタッチを取られるのも珍しい。なるほど、相手は徹底的に倫太郎を研究しとるみたいや。
倫太郎の表情に焦った様子はない。けど少しずつ少しずつ追い詰められとんのか、いつもより決めに行くスピードが若干早い。4セット目を取ったのは相手校やった。これで2-2。このインターバルが開けたら最終セット。勝負が決まる。
そう思ったと同時にダンっと音を立てて立ち上がったのはセッターの侑で、ここからでは聞き取れないがギャーギャーと何かを叫んどった。内容はわからないにしろその怒りの対象はどう考えても倫太郎で、そりゃもう胸ぐらを掴む勢いで吠えている。
「え、角名くん大丈夫ですかね!?」
「大丈夫、やと思うけどなぁ」
「…………こういう時の角名くん、ちょっと心配」
手すりに顎を乗せながら眉をひそめて心配そうにする嬢ちゃんは、小さな声でそう呟いた。まぁ侑があぁなのは割といつものことやし、北くんが止めに入っとるからこの騒動はすぐ収まるやろ。ポカンとアランくんに頭を叩かれとる侑は未だプリプリ怒っとるが、先程のようなブチギレとる様子はもうない。問題はあれほどキレられても特に言い返す様子もなく今も冷静にいる倫太郎の方やな。
ほどなくして始まる5セット目。目に見えて倫太郎は不調やった。珍しくここから見とっても若干苛ついとるのがわかる。倫太郎は相手よりも自分自身に苛つくタイプや。1年の時もそうやったなぁ。自分を研究してきた相手に対してよりも、それを抜けない自分自身に焦っとるんやろ。隣の嬢ちゃんもいつもは賑やかに応援しとるが、今日ばかりは静かに様子を見守っとった。
メンバー交代も有り得るなぁと思ったが監督にその気は無いようで倫太郎が外されることは無い。ここまで対倫太郎として仕上げてきとる相手とはあえて戦わせておこうってか。さすが稲荷崎は監督も強気やな。そんなことを考えとった瞬間、ドゴッと大きな音がした。床に打ち付けられ転がるボール。してやった様な顔をする相手ブロッカーと、その場で自分の手を見つめながら息を上げとる倫太郎。ついに倫太郎のスパイクは綺麗にドシャットされて、取って取られての繰り返しやった点数がひっくり返った。あー、最悪や。何がってタイミングが。
久しぶりに練習試合で稲荷崎が負けたのを見たなぁ。何となく今回の試合は後に引きずりそうで怖いなと倫太郎が心配になる。心配をするだけでこちらは何も出来ない立場というのが何とももどかしい。
「……おじさん、時間あります?」
「うん?あるけど」
「ちょっとついてきてくれませんか」
歩き出した嬢ちゃんの後をついて行く。辿り着いた先は稲荷崎の選手らが使っとるバスが停まっとる駐車場で、早く準備を終えた選手らはもうチラホラ集まっとった。
「出待ちか嬢ちゃん!?」
「はい」
「…今の倫太郎にはあんま話しかけない方がええんちゃう?」
ドキドキしながら嬢ちゃんとその場におると、タイミングよく出てきた2年生らの中に倫太郎を見つける。嬢ちゃんを見て大きく目を見開いた倫太郎は少し気まずそうに視線を動かした後、不機嫌そうに顔を歪ませた。
「角名くん」
「………なんでいんの」
「見てたよ」
「………」
「角名くん」
「いいから早く帰れよ」
おい角名、と結が肩を抑えて止めに入るも倫太郎はこちらを見据えて動かない。角名が珍しいなぁと後ろでただ見とる双子は少しこの状況を楽しんどるな。
「私は、角名くんのバレーが好き」
「…………」
「好きだからね」
「何なのさっきから。帰れって言ってんじゃん」
「ずっと見てきたから」
「苗字さんも、今はちょっと一人にさせたげて」
「………見てきたって何を。知ったような口聞いてんなよ。勝手にわかったような顔するの本当にウザイんだけど」
「おい角名!」
「いちいちうるさいんだよ昔から!いい加減迷惑って何回も言ってんじゃんっ」
「そこまでや、頭冷やせ。他人に当たんな」
騒ぎを聞いて駆けつけた北くんが仲裁に入れば、やっと冷静さを取り戻した倫太郎はそのまま背を向けてバスへと歩いていく。待てやと慌てて追いかける結と、ひぇ〜角名も北さんもコワッと言いながら震える双子も後に続いていった。
「っ角名くん!見てるから、これからも!」
遠ざかる後ろ姿にそう声をかける。倫太郎は一瞬だけピクリと反応したが振り返ることも無くそのままバスの中へと消えていった。すみません、うちの部員がと頭を下げる北くんに「気にせんでええよ」と返す。全員が乗り込んで出発してったバスの姿が消えるまでその場を動かなかった嬢ちゃんは、見えなくなったのを確認してから「すみません」と力なく謝った。
「俺は全然平気やけど、嬢ちゃんこそ大丈夫か?」
「……大丈夫、角名くんは昔からあぁだから」
とりあえず駅向かいますかと歩き出す嬢ちゃんは落ち着いて見えるが落ち込んでいるのはわかる。「まぁ、こんなことしか出来んくて悪いけど、すたばでも飲むか?」と誘えば、いいんですか!?と幾分か明るい声を出してこちらを向いたので少し安心した。
「倫太郎は何であんなに嬢ちゃんに厳しいんやろなぁ」
駅前のすたばでドリンクを飲みながら純粋な疑問をぶつけると、「角名くんは小さい頃から私の事ウザがってるから」と嬢ちゃんはしょんぼりしたような声を出す。
「幼なじみかなんかなん?」
「家は近所でした。小学校の頃からずっと一緒で」
「へぇ…ん?倫太郎って確か地方出身やなかった?」
「そうですね」
あっけらかんとしてそう言う嬢ちゃんは、「私も角名くんも出身は愛知なので」とケロリと言い放つ。
「さすがに関西について行くのは出来なくて高校は地元で進学したんですけど、父親の転勤が関西に決まって今年から稲荷崎高校に転校しました」
「…漫画みたいな奇跡やな」
「でしょ?」
「やから俺もこんなに熱烈な倫太郎ファンやのに今まで見かけなかったんやなぁ」
「角名くんのバレーが大好きだから去年も大きい大会とかは遠征して見に行ってたけど、さすがに学校の応援席とかには行けないから遠くから見てました。今はこうやって稲高を応援する人達と一緒にいれるし、練習試合とか普段の練習とかもまた見られるようになって凄く嬉しい」
ニコニコ、嬉しそうに話す嬢ちゃんはさっきまでの落ち込んどる様子はもう見られない。とりあえず良かった。それにしても本気で倫太郎のバレーが好きなんやなぁ。話している時の表情を見とったらわかる。何だかこっちまで嬉しくなってきた。
それからは倫太郎のバレーのどこが良いだとか、今までの試合で感動したプレーはこれだとか、俺の知らん中学の時の倫太郎の試合の様子とかたくさんの話をした。あかん、めっちゃ楽しい。こんだけ倫太郎のバレーについて誰かと話しができる日が来ようとは。
今日の試合は倫太郎にとっては少し辛い課題になると思うけど、これを乗り越えた倫太郎が魅せてくれるプレーがさらに楽しみになった。
俺とお嬢ちゃんはいつだって見とるで、倫太郎のバレーボールを。