純粋なままここにいる

「お、おは、おはよ、孤爪くん」

「館さん、もう体調は大丈夫なの」

「うん!もう大丈夫!」

「よかった」


そう言うと、うん。と小さく頷いて館さんは自分の席についた。どこか背中が小さく見える。館さんは明らかに気まずそうにしていた。前を向いているから、後ろの席のおれとは確実に目は合わないはずなのに、おれが館さんのことを見ているのがわかっているのか縮こまったまま。


「次の授業の先生容赦なく当ててくるし、前回の範囲のノート見る?」

「えっ!!……見る。出席番号的に今日私当たりそうだし」


恐る恐るおれの手からノートを受け取った館さんは、ロボットのようにカチコチになりながらなんとか動いている。ギシギシと体から音が鳴ってきそうだ。そのくらいぎこちがない。

館さんとのトーク画面には、未だに既読の文字は現れていなかった。そのことに関してはおれが悪いからとやかくは言わないけど、やっぱり悲しいと思う。あんなにも既読だけはつけてと言い張っていたはずの館さんを、既読もつけてくれないほどに怒らせてしまった。または傷つけてしまったのかと思うと申し訳なくなるし、胸のあたりが苦しくなる。

どっからどう見ても噛み合わず、ぎこちないおれたちのまま迎えた放課後。他のクラスメイトがいるから、教室内では特に何も話し合うことは出来なかった。

おれは今日ももちろん部活がある。だからあんまり時間はないけど、ほんの少しでも二人きりになれるのなら、短い時間でもいいから、何よりもまず謝らせてほしい。


「ごめん」


校舎内の人が通らない静かな場所。昨日メッセージで送った、あのかっこ悪い内容をそのまま言葉にして伝えた。館さんは黙っておれの話を真剣に聞きながら、時々相槌を打つように頷いたりして反応をくれる。


「私こそ、ごめんね」


いつもの元気がない彼女は震える声でそう言って、そしてキュッと口を結んだ。


「おれの事、バレーのこと、考えてくれるのは嬉しい。でもそれで館さんが変わるのは困る。今まで通りでいてほしい」

「うん」

「でも、やっぱり今回のは館さんのせいではないから」

「でもきっかけ作ったのは私だよ」

「それでもちゃんと言わずに勝手に溜め込んで館さんにぶつけたのはおれでしょ」


空気の冷え切ったここでは、たった数分いるだけでも体温の全てが奪われていく。せっかく風邪の治った館さんをここに長くはいさせたくない。言いたいことを全部言って、しっかり謝って、あの日の言葉の誤解を解きたい。


「あんなこと言ってごめん。好きじゃないとか、言ってごめん」

「…………」

「館さんもはっきり言って。傷ついたならちゃんと言って。もっと怒って」


館さんの冷えた手のひらを握りしめた。あの夜の冷たさが脳内に蘇る。痛い。凍えて軋む。でもおれよりも館さんの方が、何倍も何倍も痛かったんだ。

館さんの固く結ばれていた口元が僅かに緩んだ。乾燥するこの季節の空気にも負けず、うるうるに潤った館さんの唇は、今日もほんのりと赤くて綺麗だ。


「孤爪くんにあんなこと言わせるまで気がつけなかった私も悪いけど、それでもやっぱり怖かった。孤爪くんのこと考えてるように思ってたけど、何も考えられてないことに気がついた。孤爪くんにあんなこと言わせちゃって申し訳なくなった。嫌われたかなとか、これからどうしようとかたくさんたくさん考えて、それで、怖くて届いてるメッセージも読めなくて」

「うん」

「もっともっと孤爪くんのことちゃんと考えられるように頑張る。でも私はやっぱり、こうやって自分勝手に暴走しがちだから、孤爪くんも何か思うことがあったらすぐに言ってほしい。私ももっともっと言うようにするし」

「うん」

「……孤爪くん、本当に私のことまだ嫌いになってない?」


不安げに揺れていた瞳からきらりと光る雫が落ちた。こんな涙を流させてしまった自分に、こんな確認をさせてしまう自分に不甲斐なさを感じる。

嫌いになったかなんて、そんなの愚問だ。館さんはやっぱりおれのことをわかっているようでまだまだ全然わかってない。極度にめんどくさがりのおれが、こんなことをしてまで絶対に離れたくはないと思ってる。おれらしくないとわかっていても期待してしまうくらいに、一緒に過ごすことに価値を感じている。


「きらいになんてなるわけない。好きだよ」


自分でもびっくりするくらい。

おそらく「私も」と言おうとしたんだろう。口を開きかけた館さんの手を引いて思い切り抱き寄せた。おれの腕の中に館さんがちゃんといる。そのことにとても安心する。


「孤爪くん、私も、孤爪くんだけがずっと好きだよ」


素直に自分の気持ちをすんなりと口に出せる館さんの、三分の一もおれは口に出すことができてないと思う。しっかりと言葉にして伝えなきゃいけないことは解った上で、でも自分にあったやり方で、これからも彼女にちゃんとおれの気持ちを伝え続けられればいいと思う。

鈍感で暴走しがちで、口に出して言ってあげないとうまくわからない館さん。悟るのは得意なくせに、うまく言葉にできないおれ。お互いの良いところと悪いところをもっと理解しあって、補いあってやっていかないと、この先もこうやってすれ違うことも出てくるだろう。今回みたいにお互いの好きが拗れてしまうことだってきっとある。

でもそれが必ずしも駄目というわけでもない。もちろん無い方が絶対に良い。だけど、ぶつかり合って、足りないところを自覚しあって、またこうしてわかりあえたなら、きっとおれたちは今よりもっとお互いを理解しあえて、尊重しあえる、より良い関係を築けるはずだ。

わかってはいたけど、恋愛ってつくづく面倒臭いことの積み重ねだと思う。何も起こらない方が絶対にいいのに、必ず何かが起こってしまう。本当にいやだ。でも、それを本気で面倒くさがってしまったら終わりを迎えてしまう。それは、もっといやだ。

背中に温かい腕が回った。館さんはしっかりとおれを抱きしめ返しながら、いつも通りの元気な声でまたおれに好きだと言ってくれた。

おれには無理だ。恋愛なんて。ずっとそう思ってきたのに。

腕の中にいる彼女が安心したようにふわりと笑った。その笑顔を見たら、この先どんなことがあっても、彼女がいなくなること以上に無理だと思うことなんてないんじゃないかと思えた。


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