女に幸あれ 朝陽よ昇れ

「一体どうしたのよ、いきなり呼び出してさぁ」


そう言いながら待ち合わせ場所に指定した駅前の広場へと姿を現したなおピはいつも通り元気だった。「つか今日暑くない?」と胸元を引っ張ってパタパタと仰ぐ姿を見て、また決意が揺らぐ。人がいない方に移動して、開けた場所で立ち止まった。「カフェとかどっか入らないの?」というなおピに首を振って二人してそこで足を止める。


「ひそか最近ちょっと変だよ」

「そうかな」

「元気ないっていうか、なんか悩んでる?私がなんでも聞いてあげよう」


ポンと肩に手を乗せたなおピの真っ直ぐな目と、私を心配してくれる優しさが暖かい。嬉しい気持ちと同時に、これから告げる一言でこの笑顔が崩れてしまうんじゃないかという怖さが、また覚悟したはずの気持ちをぐらぐらと揺らした。


「なおピ、」

「どうした泣きそうな声なんか出して。もしかして誰かにまたなんか言われた!?」

「違う、そんなんじゃなくて、私じゃなくて……」

「なに、はっきり言いなさいよ」


なおピの彼氏が、他の女の人と腕組んで歩いてるの見ちゃった。

そう声に出した途端、ズキズキと傷んだ心が悲鳴を上げてポロッと右目から涙が零れた。泣いてばっかだ。今までも泣くことはたくさんあった。すぐにウルッと来てしまうような涙腺の弱さは自覚済みだけど、それにしてもここ最近はなんだか毎日のように泣いている気がする。

眉を寄せて、小さな声で「は?」と口にしたなおピは先程までの明るい表情を失っていて、「何言ってんの?さすがに笑えないんだけど」と震える声を出す。


「この前、立花くんとショッピングモールでたまたま会って話してたんだけど、その時、見ちゃった」

「……本当に私の彼氏なわけ?証拠は?」

「証拠はない。けど、絶対そうだった。追いかけて確認もしたの。あの距離で見間違えるはずないよ」


ボロボロと涙を流す私を見たなおピはグッと唇を噛む。私が嘘をついていないということを、きっとわかってる。


「……嘘だよ」


それでも信じたくないって思う気持ちも、私を疑いたくなる気持ちも、全部理解できる。


「嘘だよ、ひそかはなんでそんなこと言うの!?」

「なおピ、」

「もういい、聞きたくない!」

「なおピ!待って!」


走り出すなおピに手を伸ばした。右手がなおピの左手を掠る。だけど捕まえられなかった。一人その場所で立ちすくむ。後ろを向いて走り出したなおピの最後の表情が頭から離れなかった。

泣いているなおピに今の私はなんて声をかければいいんだろう。昨晩寝る前にたくさんたくさん考えたはずなのに、そのどれもが間違いな気がして、追いかけることができなかった。立ち止まった足元にパタパタと涙が落ちていく。ジワジワと滲んで広がる地面のシミは、私の心を覆う雲と同じ暗い灰色に染まっていた。


―――――――――――――――――――――


よろよろと教室に入ってきた館さんは、誰が見てもわかるくらいに落ち込んでいる。ふらふらと覚束ない足取りで席へとたどり着いて、こちらを見もせずに腰を下ろした。まるで周りが見えてないその様子に小さくため息を吐く。

こんなことが前にもあった。一番最初に二人きりであの公園に行った次の日。館さんは屍のようになっていた。今となってはもう懐かしい事件だ。


「また死んでんのー?」

「ひそか〜?」

「………………」

「だめだわ、もはや意識がない」


話しかけても何しても反応を示さない館さんに痺れを切らしたのか、今度はなぜかおれの席を囲み始めた。自分の席に戻ればいいのに。二人が来たことがわかっていても変わらずゲームをし続けるおれに怯むことなく「研磨はなにか聞いてる〜?」と話しかけてくるけど、おれも詳しくは何も聞いてない。


「昨日からなおとも連絡つかないのよ」

「今日も来てないしね」

「ひそかはこの間からなんかヘンだなぁとは思ってたけど、ついに今日はこんな状態になってるし」


腕を組んでうーんと悩む二人に、言うかどうか迷いながらもこれは報告しても大丈夫じゃないかと判断して口を開く。「……昨日、これだけ送られてきた」と言いながらメッセージアプリを開いて見せると「まじか」とハモった二人がまた頭を抱えこむ。

『なおピと喧嘩した』。珍しく絵文字も何もないシンプルな一文。突然送られてきたその一言には「そっか」としか返すことはしなかった。それから返信はなくて、既読のマークですら今もついていない。


「喧嘩の理由もわかんないんじゃあな〜」

「そもそもどっちがふっかけたのよ」

「わかんない」


難しそうな顔をして頭を抱え続ける二人に、「けど、特にどっちからふっかけたわけでもないと思う」とゲーム画面から目を離さずに告げれば、「まぁ二人ともそういうタイプじゃないしな」と笑いながら席へと戻っていった。

鐘が鳴るのを聞きながら、こういう時くらい何か話しかけた方がいいのかな、と思いつつも目の前で項垂れる背中に声をかけることはしない。

館さんは館さんになりに今悩んでいて、きっとあとであの二人が話を聞いてあげて、それから復活するんだろう。あの時、おれに対してそうだったように。


―――――――――――――――――――――


「ひそか、全部はっきり話しなさい」


放課後の教室で私を取り囲んだみぃちゃんとなっちは、黙り込む私の両肩をそれぞれの手で逃がさないようにと掴んだ。口調の割に声が優しいのは、なにか事情があるということを二人もわかってくれているからだろうか。


「なおと喧嘩したんだって?」

「………喧嘩、っていうか、うん。まぁ」

「ハッキリしないなー!」

「ごめん」

「責めてる訳じゃないって」


前からずっと言ってんじゃん、あんたは隠し事も嘘つくことも一人で抱え込むことも出来ないんだから、全部話しな!そう言ったなっちは私の背中を励ますようにバシッと叩く。「理由がわかったら、みんなでなおの所行こー」とみぃちゃんが笑いながらガラガラと前の席の椅子を引いて後ろ向きに座った。


「……話しにくい内容なんだけど」

「んー」

「私、この前なおピの彼氏が女の人と腕組んで歩いてるの見ちゃって」

「「………は!?」」


何それどういうこと!?詳しく話して!!そう言って私の肩を掴んでグラグラと揺らすなっちに「話すから、離して!」と言えばハッとした顔をしてごめんともう一度腰を下ろす。

あの日立花くんと見たこと、昨日なおピに話した時のことをありのまま話した。話の途中でまた涙が出てきてしまって、言葉に詰まる私の背を擦りながらみぃちゃんが「辛かったよね」と悲しそうに言う。私よりも、なおピの方が何倍も辛い。そう思いながらも、上手く言葉が出せなくて首を横に振ると、バンッと机を叩きたなっちが「行くよ」と聞いたこともない低い声を出した。……え?今どこから声出したの?顔も初めてみる怖さなんだけど!


「行くよなおの所に」

「………なっち?」

「許せん。そのクソ男が本当にクソかどうか確かめに行く」

「言葉が悪いよ〜せめてうんこ野郎とかにしよう」

「変わらないよみぃちゃん!」


早く立って、行くわよ!と言われるがままに早足で歩き出したなっちについていく。前を歩くその背中はメラメラと怒りに燃えていて、目に見えるように殺気立っていた。心強いけれどやっぱりちょっと怖い。みぃちゃんは「ここはなっちに任せよ」と笑っている。この状況で笑顔でいられるみぃちゃんも強い。


ピンポーン、と鳴らしたなおピの家のチャイムには反応がなかった。もしかしたら家を出ているかもしれないねぇとみぃちゃんと話している横で、構わずなっちはピンポンピンポンと凄まじい勢いでインターホンを連打し始める。


「いるんだろ、なお!出てこい!」

「そんな無理に押しかけなくても…!」

「うるさい!なお!居るんでしょ!?開けな!!」


ドガガガッと、まるで格闘ゲームをしている時の研磨くんのコントローラー捌きと同じようになっちが連打を続けていると、ドタドタと家の中から音がして、バァン!と壊れるんじゃないかという勢いで玄関の扉が開いた。


「うるっっっせーわ!!」

「なお〜!良かった生きてて〜」

「死んでたわさっきまで!あんたらうるさすぎんのよ!」

「なおピぃぃぃいいいい!!!」


うわ、重っ!と飛びついた私をしっかりと受け止めたなおピはすぐに現状を把握したようで、ハァとため息をついたあと「あんたらがいると静かに心を痛めることすら出来ない」と赤く晴れた目を擦りながら「上がんな」と家の中へと案内してくれた。


「話はひそかから聞きました」

「ウス」

「で、なおはその男とは連絡とった?」

「友達が別の女と歩いてるところ見たって言ってたけど本当?ってメッセージしたけど、既読だけ付いて返事がない」

「はぁ!?せめて言い訳くらいしてみせろよ!」

「おおおお落ち着いてなっち!」

「さっきからなっちが誰よりもキレててウケる」


なっちとみぃちゃんがいつも通りだから、……いや、なっちはちょっといつも通りではないかもしれないけど。それでもこの二人がこんな感じだからか、なおピもさすがに普段みたいに明るく笑いはしないけれど悲しそうな顔は見せなかった。

私が彼を見かけてから明日でちょうど一週間。また同じ場所に現れるなんてことは難しいだろう。話し合った結果、じゃあもう手っ取り早く相手の学校に乗り込もう!というなっちの強い要望により、急遽明日の放課後に彼の学校へと行くことになった。「なおはそれでいいの?」というみぃちゃんに、なおピは「ハッキリさせるしかない!悲しくて泣いてたけど、なんか今は怒りしか湧かないし!」と立ち上がって強く言い放つ。


「あと、ひそか」

「うん?」

「……あんたなんにも悪くないのに、昨日冷たい事言っちゃってごめんね」


なおピはいつもより少し小さな声で、シュンとしながらもはっきりとそう言った。真っ赤になった瞳が私を見ながらゆらゆらと揺れている。グワッと込み上げてきた感情がまた涙になった。もう、本当に泣いてばっかだ。「何であんたがそんなに泣いてんのよ!」なんてなおピもなっちも困ったように肩を叩いて、みぃちゃんが「なんだかひそかが浮気されたみたいになってる〜」なんて笑う。


「研磨はしねぇだろ」

「研磨がそんなことしたら、本当にもう誰も男を信じない」

「孤爪くんへの圧倒的な信頼…!」

「でもひそかもそう思うでしょー?」

「当たり前じゃん!」


わはははと笑う。こんな時でも。辛いはずのなおピまで。この子たちはみんな優しくて、明るくて、誰よりも強い。そんな三人がやっぱり大好き。悲しい姿は見たくないし、悲しくさせる人は許せない。私に出来ることがあるかはわからないけれど、まずは明日、真実を確かめてやる!


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