恋という字を辞書で引いたぞ

突然だけどおれの話をしようと思う。おれ自身の話、というか、おれが初めて館さんを認識した日の話。

高校に入って初めての夏休みはそれはもう散々だった。中学の時とは比べ物にならないくらいの運動量。周りはみんな出来る人達ばっかりで、吐きそうになりながら毎日バレーして走ってバレーしての繰り返しだった。

体育館の中は蒸し暑くて、まだ部員に心も開ききれてなかったおれは休憩のたびに体育館の外で風に吹かれていた。もう辞めようかな、でもそしたらクロ困るだろうしうるさいしな、もう少し続けてみるか。なんて休憩毎に考えてはため息をついていた。


「水分はちゃんと取れよ」

「うん、わかってる」


たまにおれの様子を見にやってくるクロはもう十分に水分を取ってるっていうのにもっともっとと勧めてくるからちょっとうざい。ドラマとかでよく見る勝手にお酒を勧めてくる嫌な上司みたいだ。

二人して日陰に座り込んで風に吹かれた。ぬるい風だけど蒸し風呂みたいな体育館の中よりは全然マシで、全身にかいた汗が少しずつ冷やされていって気持ちがいい。目をつぶって休んでいると隣にいたクロが「あの子毎日いんなー」と少し遠くの花壇に目を向けながら話しかけてきた。


「知らない」

「お前毎日ここにいるでしょうが、周りに興味示しなさいよ」

「疲れてそれどころじゃないし」


まぁ、たしかに言われてみればいたかも。チラッとその人の方に視線を向ける。暑いのに長袖のワイシャツを着て限界まで袖をめくっている。頭おかしい、半袖着ればいいのに。それなのにスカートはギリギリまで短くて、見ているこっちが勝手に気まずくなるくらい。周りよりも明るい色をした髪の毛をくるくるに巻いた彼女は、小さなジョウロで水道と花壇を何度も往復しながらせっせと花に水をあげている。


「美化委員とかなのかな」

「環境委員じゃね?」

「あぁ、そっちか」


なんか意外。ああいう人ってそういう面倒な作業とか嫌いそうだし。そういう委員会は選ばないイメージが強いのに。委員会の仕事とかって交代制じゃないのかな。あの人以外花壇の水やりをしてるの見た記憶ないと思う。特に気に留めてなかったからそれも確かではないけど。


「一年かあれ」

「そうなんだ」

「おいおい、同じ学年でしょうが」

「他のクラスの人とかわかるわけないじゃん」


そろそろ休憩時間が終わるからとゆっくり立ち上がった。クロも一緒になって腰を上げる。だるい。けど不思議とバレーをしてる最中はそうは思わない。きついし暑いし疲れるけど、プレー中はだるくない。不思議だな、と思いながら今日もまた残りの部活に取り組んだ。

それから何日も何日も過ぎて、夏休みも中盤。今日も花壇に水やりをする知らない女の子を見ながら休憩している。ほぼ毎日のように水をやるあの子は一体何をしてるんだろうとここまでくると流石に気にならなくもない。おれには関係ない事だし別に何が理由でもいいんだけど。

そうして勝手に休憩のたびに観察を続けてさらに数日が過ぎた時、花壇にいる人が変わった。声が大きくてうるさくて、ギャーギャー笑いながら水をあげている。今までの人と同じタイプ。カテゴリにすると所謂ギャルなのは変わらない。そんなに水やりって楽しい?と疑問になるくらいにここからでもよく聞こえる通る声でゲラゲラと笑っていた。

変な人。やっぱああいう人たちって頭おかしいんだ。おれは分かり合えないな。と若干引きながら手元のボトルに口をつけた時、「なおピそれ水やりすぎ!水浸しじゃん!」と同じように大きな声を出してケラケラと笑いながらいつもの女の子が顔を出した。

夏休みで部活以外の人はほぼ校舎にはいないし、グラウンドから少し離れているここは体育館を使うおれたち以外に人はいないので少し離れていても声がよく聞こえる。まぁ、あの人たちの声が大きいっていうのもあるけど。


「ダメなの?水いっぱいやった方が元気に育ちそうじゃん!」

「ダメだよ適量っていうのがあるんだよ!あげすぎると逆に枯れちゃうの!」

「なにそれ、わがままだなぁ植物って。でもこんな暑いんだからすぐ乾くんじゃね」

「私が毎日頑張って育ててるお花なんだから枯らさないでよね!?」

「ひそか、最初は押し付けられて嫌々だったはずなのにしっかりのめり込んでて偉いじゃん。一人でガーデニング部とかしなよ」

「ソロ活動とかやだ!みんなでワイワイするかせめてイケメンと二人が良い!」


こんなに暑いのに元気だな。初めて声を聞いた。女子のうるさい声はキャンキャン響いてあまり好きじゃないけど、ここからだとそのうるさい声も通常の大きさに聞こえてそんなに耳障りじゃない。それにしても聞こえてくる会話の内容からして二人ともバカみたいだ。

研磨、とおれを呼ぶ声が聞こえて振り返った。休憩終わんぞとクロが歩いてくる。もうそんな時間かと腰を上げてついてしまった砂を払った。「お、二人に増えてら」と花壇の方を見ながら笑ったクロの言葉は無視して体育館へと向かった。

それからまた数日が経過した、その年一番暑い日だと言われたある日のこと。おれと館さんが初めて言葉を交わした日。たぶん館さんは覚えてないんだろうけど、おれには忘れられない出来事だった。特にこれといった内容じゃないのに、それからなんだか頭から離れないような感覚になるやつ。上手く言葉で表せなくてもどかしい。

どうやって言えば良いかわからないから、その話は次までちょっと待って。


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