今も昔も

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使い慣れた駅で降りて、見慣れた道を歩いていく。角を曲がるとすぐに見えてくるその家の表札に書かれた宮という字は、ほんの少しだけ汚れていた。

これからまた忙しくなりそうだから一回顔でも見せとくかーなんて、そんなこと普段は全然思わんのにふと思い至って実家へと帰ってきた。玄関にはサムのもんと思われる靴が一足。同じタイミングでお前も帰って来とんのかい。


「腹減った!」

「うっるさ、何やねんいきなり」


勢いよくリビングへと駆けていけば、台所に立っとったサムが呆れたような顔をして振り返った。挨拶もそこそこに、美味そうな匂いに誘われるようにフラフラと足を動かし、湯気のたつそれらを一つ摘んで口へと入れる。口の中で蕩けたそれにうま!と素直な感想を溢せば、「食うならちゃんと皿に盛って食えや」と怒られた。こいつ北さんとおかんみたいなこと言いよる。


「むっちゃ腹へったわ。これ全部食ってええやつ?」

「おかんとおとんの分残しとけよ。あとそっちの煮物は明日北さんとこにも持ってくから食い尽くしたらしばくで」

「こんな大量にあるもん食い尽くせるか。お前やないんやから」


サムの後に続いて皿に盛ったそれらを持って向かいに座る。そいやおかんとおとんの姿がない。サムはそのことには触れずに黙々と食べ進めている。二人はどこにいるのかと尋ねてみれば、旅行やと返事が返ってきた。


「さっきグループでやり取りしとったやろ」

「まだ見てへんわ。せっかくいきなり帰って驚かせたろ思っとったのにタイミング悪いなー」

「……同じ日に同じ考えでここに来た自分に腹立つわ」

「何でやねん。俺がいて良かったやないか」

「何も良えことないわ。喧しいだけやろ」


一人寂しく飯食うよりは良えやん。感謝しろ。そう思いながら、同じタイミングでこいつがここに来てなかったら俺も一人やったんかと気づいてしまって、感謝しろと言ったのが途端にブーメランのように感じて何だかちょびっとだけ悔しくなった。


「こんなんなら家でしのぶと一緒に飯食えば良かった」

「俺やってお前しかおらんのわかってたら家でみなの手料理食っとったわ」

「んなこと言うなら食うな」

「嘘嘘めっちゃ美味いで」


誤魔化しながら口をつけた味噌汁にほんの少し違和感を感じる。いつも飲んでるのとは違って少しだけしょっぱい。別に濃すぎるとかそんなんやなくて、みなの味付けが薄味やから、それと比べると味濃いなって思うだけ。この味噌汁もめっちゃうまい。


「これサムが作ったやつ?」

「せやで」

「サムの作る飯っておかんの味するよな」

「どゆこと」

「そのまんまやん」


サムの味付けっておかんの味付けとそっくりや。煮物を一つ口の中に放り込む。噛むたびに味がじわじわと口の中に広がってくる感覚がたまらん。そんでこの味は何だか優しくて懐かしい。みなの作るもんが優しくないというわけでは決してない。ここに来ると食べられる、ガキの頃から慣れ親しんで来た味。彼女のそれとはまた違う、もう一つの俺の好きな味。


「みなが作るのとは味が全然ちゃうから俺はすぐわかるけど、お前は自分の味で食べ慣れとるからそんなにわからんのかもな」

「そんなに一緒なん?お前が味の違いわからんだけちゃうんか」

「ハァ?失礼なやつやなー。おとんにも聞いてみぃ」


よくおかんの飯を食うと懐かしい感じになるなんて言うけど、それは本当のことやと思う。安心するっちゅうか、何だろな。とにかくなんか身体中の力が抜けていく、そんな感じ。気取らなくて良え場所なんやって思わせてくれる味。サムの飯にそれを感じるのは微妙な気持ちになるけど、でもこいつの飯は実際におかんの味にめっちゃ似とるし、間違ってもまずいとは思わない。

みなの飯は美味い。俺からすれば、彼女の飯が一番美味いとさえ思える。けど、この味は美味いとか不味いとか、一番二番とかそういうんじゃない何かを感じる。


「ツムが作っても同じ味になるかもしれんで」

「んー、でももうみなの味に慣れてもうたからこの味にはならんかもなぁ。今度試しに作ってみるか」


生まれた時からこの味で育ってきた。俺ん家の味といえばこの味やった。でも今は、今の俺の“いつも通り“はみなの作る飯の味になった。久しぶりに食べるこの味に懐かしさとか安心感とかいろんなもんを感じる。けど、それが俺にぴったり当てはまる「これやな」って感覚とはも少し違う。

例えば遠征に行った帰り。全然違うもんをひたすら何日も食べてきて、そのまま実家に帰って来て飯を食っても、きっと「あー懐かしくて安心して美味い」としか思えないと思う。そんで家に帰ってみなの作った飯食って初めて、俺は「帰ってきたな」って思う気がする。こう言ってしまうと何だか寂しく聞こえるかもしれへんけど、決してそうじゃないのはわかって欲しい。

俺の当たり前はいつの間にかみなになった。俺の帰る家として一番に思い浮かべるのは、いつの間にか彼女と過ごすあの空間になった。この味を懐かしいと思えるのは、つまりそれだけ俺がみなのことを受け入れていて、そしてみながこんな俺と一緒にいてくれているという一つの確かな証拠。


「でもやっぱたまに飲むとむっちゃこの味も恋しくなるんよなー」


おかわりした味噌汁に口をつけながらもう一度その味を噛み締めた。俺が今まで生きてきた人生の中では、この味を食べてきた回数の方が圧倒的に多い。彼女の味を知ったのはまだたったの数年前で、それまでのもっとずっと長い期間俺はこの味で育ってきた。だけど、きっとこの先みなの作った飯を食う回数がこの味を食べた回数よりも多くなっていくんだろう。もう今でも懐かしい味となってしまったこの味が、さらにもっと懐かしく感じる味へと変わっていく。

最初はみなの作る味噌汁は少し薄いなぁなんて思いながら飲んでたのに、今ではその濃さが当たり前になって、それまでの当たり前だったこの味に違和感を感じるまでになった。俺とみなの過ごした時間の証拠を、この舌で感じ取る。そしてそれと同時にここん家で過ごした記憶をこの舌で取り戻す。

たまに飲むとこの味が恋しくなるのは、それは、きっと俺の中にある記憶たちが反応しとるからや。ここでおとんとおかん、そんでサム、たった四人で毎日暮らしとった時の記憶が自然と俺のことを呼び止めるから。


「サムの味噌汁で落ち着くなんて言いたかないけど、なんかまぁ、落ち着くわ」

「前半いらんやろムカつくな」

「一番美味いのはみなの味やけど」

「そんなんわかっとんねん。いらんことばっか言うやん。少しは黙れや」

「何キレとんの」


懐かしいおかんの味、おかんの味に似てるサムの味、当たり前になったみなの味。今と昔、どっちの大事なもんも全部飲み干して自分の中に蓄えていく。どれが、なんてそんなことが言いたいんやなくて、どれも全部俺にとっては一つ残らず大事なもん。

ググッと腹の中に一気に全て流し込んだ。止まらんくなったわと言ってまたおかわりをする俺に、呆れた顔でサムが「こぼすなよ」と声をかける。いちいちムカつく言い方してくるけど、チラッと盗み見たその表情は穏やかで、腹の底が少しだけ痒くなった。

口に含んだ味噌汁がじわじわ腹ん中をあっためていく。みなの作るそれよりも少しだけしょっぱい。これが、少し前まで俺にとっての当たり前だったもので、今でも大切な俺ん家の味。



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