Trojan Horse.6



 目が覚めたとき、俺は独りだった。
 周りが白い壁で、一瞬混乱したけど、自身の顔に手をやって割れた仮面を確認して、自分が破面だと思った。
 暫くして、バートンが来た。「ようやく目が覚めたか、ナリア」って、声をかけられた。それからいくつか話を聞いて、俺は、自分が「ナリア・ユペ・モントーラ」っていう十刃落ちの破面なんだってことを知った。
 俺が少しの警戒心を滲ませていることに気付いたバートンは、肩を竦めてこう言った。「混乱してる間は、それでいい」。だから俺は、じっくり現状を理解しようとした。
 情報は与えられるばかりだったが、疑ったりはほとんどなかった。ある日、ガレット・スミザーハースとティファニー・リック・コムが俺の部屋にやってきた。「初めましてだな、ナリア! これからよろしく!」「ああっ、狡い、ガレット! 僕が先に挨拶するはずだったのに。も〜」。嬉しかった。警戒していても何かと気遣ってくれるガレットとティファニーの存在が。
 あるときから、俺は部屋から出て、色んな破面と接するようになった。バートンに拾われたというロリ・アイヴァーンと、ガンテンバイン・モスケーダだけ妙に友好的でなかったが、ユウ・フェーン等はとても懐いてくれた。まるで家族のように、破面独特の冷たさを併せ持ちながらも、過ごせた。当たり前だった。以前、十刃として共に過ごした時間も、たしかにあったから。藍染のせいでその座からはおろされてしまったが、ずっと同じ場所にいたのだから、自然に接することができて当然だった。

 だから、今の今まで気付かなかったんだ。
 俺が、「そこにいる」という、異常さに。

 ガレットとティファニーが俺に、「初めまして」と言った、事実に。


*   *   *

「つーかまーえたー……」
 ドスの利いた声でそう呟けば、ガレットはルキアの首を絞める手に力を込めた。
「く、……っは、あ……!」
「このまま死ね。クソ死神」
 冷徹に告げられる。
「ま、まて、ガレッ―――」
「『踊れ! “星陰冠”』!!」
 上空から声が響き、ガレットは自身の重い鎖を軽々と片手で振り回せば、2000の光の針を容易に弾き返してしまった。
 見上げてみると、夜光が鬼道で従獣を牽制しながらこちらに斬魄刀を向けている姿が確認できた。
「ルキアを離せ!!!」
 怒鳴り声をあげて、従獣に向けていた掌をガレットに向ける。す、と息を吸うと、
「破道の三十一! “赤火砲”!」
 見る間に掌に赤い火の玉が膨らみ、大きな攻撃力を含んで放たれる。が、ガレットに当たるかと思われた寸前にして、そこにティファニーが響転で現れた。酷く冷たい瞳を細めたその様に、一瞬、夜光はゾクリと悪寒を感じる。
 青紫の右腕の鎌を、大きく振るった。その刃は火の玉を完全にとらえており、斬られると同時に火の玉がただの石に姿を変え、地上へと落下していくのを目の当たりにする。俄かには信じられない現象に、思考が遅れた。
 ティファニーの背後から伸びてきた大きな鎖が、考える暇も与えずに夜光の体に巻き付いたのだ。無論、それだけではとどまらず、確実に締め上げられていく。
「ぐ……ぁ、」
「夜…光…ど、の……」
 かすれ声を漏らすルキアにガレットは視線を戻し、あからさまな舌打ちをして見せた。
「喋んじゃねぇよ。気持ち悪りぃな」
 再び手に力を込め、目の前の死神の喉を通ろうとする空気を遮断する。苦痛に顔を歪めて、抵抗するべく込められていた力が、ふと手から抜けて行くことに気付くと同時に、彼はルキアを大きく振りかぶって下へと叩きつけた。
 派手に地面に叩きつけられたルキアから白い光が零れたかと思うと、卍解が解けてしまった。卍解状態を維持できないほどに消耗しているということである。また、修得したての能力だとするならば、日番谷のようにまだ不安定であったという可能性も否めない。
 彼女は体を起こしていたが、腕は傍目でも分かるほどに震えていた。目に見えての限界である。
「いっ……!」
 立ち上がろうとしたルキアは、顔を歪めた。どうやら足を痛めたらしい。
 ひゅん、と風を切る音がし、顔を上げれば空高く夜光が放り投げられた様が見えた。そして、そこに待ち構えているのは従獣―――。
「夜光殿!!」
「………、」
 ルキアの声に薄目を開けた夜光は、目の前に従獣の口が迫っていることに気付いていた。そして、ぱくぱく、と口を小さく動かす。自分にしか聞こえないような、小さな声で、
「………恋次直伝……」
 ―――零距離赤火砲

 ドォン!!!!
 夜光が爆発をしたのではないか、と疑ってしまうほどの大きな爆発音が響いた。煙で彼女の姿が見えない。
「ギュアゥオオオオオ!!!」
 皮膚は鋼のようであるが、口内ともなるとやはり弱かったのであろう。口の中の焼けつく痛みに、従獣が雄叫びをあげて空中をのたうつ。
 一方、爆炎の中からグラリと体を傾け、力なく空座町の中へと落下していく夜光を、彼らは目で追うことしかできない。
「松本、行け!!!」
 何が起きたかを瞬時に判断したのだろう日番谷が、部下に向かって叫ぶ。こちらも従獣を相手にしている身ではあるが、夜光の身の安全が心配だ。
「織姫、隊長のことお願い!」
 織姫が大きく頷いたが、それを確認もせずに乱菊は全力で足に力を込め、瞬歩でその場から消える。
「氷輪丸!!!」
 叫びながら振るわれた斬魄刀から、氷の飛龍が飛び出していく。
「椿鬼!!!」
 それの攻撃力を高めるのを目的に、織姫のヘアピンから椿鬼が飛び出して、氷の飛龍と共に従獣へ向かっていく。
 息を乱しながらそれを遠目に眺めていたルキアに影が被さる。彼女はそれで我に返り、改めて前を向いた。相も変らず冷徹な目をしたガレットが、見下ろしていた。
「………終わりだな。死神」
 ガレットが霊圧をこめると、手枷が外れてその部分が身の丈以上あるのではないかというほど巨大な刀の姿に変わり、それを高くかかげた。今あれをルキアに振り下ろされたら、彼女はひとたまりもないだろう。
 彼は一度、一護を看て、安心させるように微笑した。
 何故だろう。彼の笑みが、どうしようもなく恐れるに値するように思えてしまうのは。
「……一、護……」
「!」
 足元に視線を落とす。血を吐いたことで口の周りを汚した恋次が、うめきながら、震える手で一護の足を掴んでいた。
「阿散井……」
 声を出すことさえも苦しそうに、しかし、必死に、言う。
「…頼む……ルキア、を……」
「…………」

 ――――黒崎……恥を承知でテメェに頼む……!

 頭の芯が、揺れる。
 血塗れの恋次が、願う。本当は、自身の手で何とかしたいと思うけれど、そのプライドも捨てて、ただ、願う。

 ――――ルキアを……

「ルキアを……助けてくれ……っ…!」
 護らなければ、と、思った。あのとき。絶対に、護らなければと。
 ルキアを処刑になど、絶対にさせないと。

“俺の力は、護るための力だ”

 俺の力?
 俺の力は、何だ?

 掌に視線を落とす。この手からは、虚閃を放てる。他にも色々できる。死神のような力ではない、破面の力。その手で、彼は自身の斬魄刀の柄に、手をかけた。

 俺の力は、破面の力か?
 ――――違う。そんな、力ではない。俺の力は―――


 ガレットの刀が、振り下ろされる。しかし、彼の表情は、その途中で急変した。今更、刀を止めるつもりなどなかった。ところが彼の大刀は、いとも簡単に受け止められてしまった。それを、ガレットの後方にいたティファニーも目にし、固まる。
「………なっ……」
 斬月の下から、顔を覗かせる。
 先ほどまでは、死神と破面を比べるように見つめては戸惑った色を宿していた目だ。不思議なことに、今の目にそのような迷いは一点も感じられない。
「……よう……」
「っ……!」
 ガレットは一先ず刀を引き、何歩か飛び退った。
 その顔は、ただ、困惑に満ちていた。
「ナリア……!?」
 信じられない思いだった。先ほどから、決して戦いに加わろうという姿勢は見せていなかった彼が、突然刀を抜いている。しかも、その刀はこちらの刀を受け止めるために抜かれたものである。
「何やってんだよ……何で死神を庇うんだよ!?」
 いくら洗脳されていると言っても、こちらに敵意を見せていなかったのに。どうして突然、彼は明らかに死神を庇った?
 困惑しきっているガレットを他所に、一護はブンッと斬月を振って、構え直す。
「い……一護……」
 ルキアが顔を顰めつつ、目の前の背中に声をかける。しかし、彼はそれには答えず、ガレットを真っ直ぐに見据えた。
「“何やってんだ”はこっちの科白だぜ、ガレット。何で俺を連れ戻しにきたのに……」
 そう言って、一護は周囲に視線を投げた。
 血しぶきをあげながらも戦う一角と弓親。全身に火傷を負っているのであろう夜光を抱えている乱菊。織姫の援助を受けながら従獣に向かっていく日番谷。倒れ伏したまま、荒い息を吐き続ける恋次。跪いたまま、こちらを不安そうに見上げて来るルキア。
「朽木や阿散井…他の死神達をここまで襲う必要があるんだ。見ての通り俺は拘束されてるわけでもねえのによ」
「それは、バートンが」
「やめなよ、ガレット」
 バートンの名前が出てきたことに一護は少なからず反応を示したが、すかさずティファニーが止めに入った。歩み出てきた彼女は一護を見つめ、諦めたように息を吐く。
「つまり、バートンの言う通りで、しかも予想してたよりもずっと、強めの洗脳にかけられてたってことだよ、ナリアは。今僕達がナリアに何言っても、無駄なんだ。きっと」
 すると、ガレットは憎しみをこめて、ルキアと恋次に目を向ける。また、一護を看るときは慈愛がこもっていたが、彼は言った。
「待ってろ、ナリア。すぐに助けてやる」
 瞬時に、響転で姿を消す。
 しかし、予想していたかのように一護も響転を使い、恋次に向かっていたガレットの刃を、正面に回り込んで斬月で弾き返した。
「邪魔すんなナリア! お前、こいつらに操られてるんだよ!!」
「落ち着けよ!! 俺だってお前と闘いたくなんかねぇんだ! それに俺は正気だ! 本当に、こいつらは敵じゃねぇんだよ!!」
 ――――こいつらは敵じゃない。
 破面にそれを言ってどうする、と倒れたまま恋次は苦笑いを浮かべた。一方で、じんわりと、彼の言葉が心に沁みる。彼は迷うことなく、自分たちのことを「敵ではない」と言ってくれた。

『テメェらこそ、何者だ!?』

 本当に、最低の再会をした。けれど、今はもう分かってくれている。理解が遅い戦友だと、呆れる。呆れて、そして、嬉しい。
「死神は俺達の敵だ!!!」
 ヒステリック気味に叫び返すガレットに、一護は眉間の皺を深めた。
「っ……じゃあ、これでどうだ…?」
 柄を握る手に力をこめ、即座に霊圧を込めて斬月を振りかぶる。
「―――“月牙天衝”!!!!!」

 白い月牙が。
 ガレットの視界を、染めた。




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