Trojan Horse.4 時間は、従獣(ヘラミエンタ)と破面が現世に現れるより少し前に、時間は遡る。 大型病院のある病室に、二人の白衣の男――病院であるからには双方医師なのであろうが――が、険悪な雰囲気の中、ベッドを挟んで対峙していた。 「この病室に入っていた患者はどうした?」 無機質な声が響く。対して、発言した男に似た若者は、まっすぐに見返して言う。 「申し訳ないと思いつつも、別の空いている病室に移ってもらった」 「私の許可なしに、か」 言葉は咎めるようであり、しかし調子はやはり無機質なものである。 「明日、明後日には退院予定の患者だ。あんたの許可なんか必要ない」 「まだ医師免許もとっていないお前が、患者を勝手に動かすことに問題がないと?」 「こうでもしないと、あんたは僕と会話してくれないと思ったんだ。やむを得なかった」 竜弦は、微かに眉間に皺を刻んだ。 本当に、明日明後日で退院できるかどうか。油断すると実は病状が悪化していた、ということなどよくある。だから、彼はこの病室にいた患者を定期的に検査しに来ていた。しかし、いざ来てみれば肝心の患者はおらず、代わりに、息子の雨竜が窓縁に腰かけて待ち構えていたのだ。 石田は、後ろに隠し持っていたファイルを出して、ペラペラと捲る。竜弦の眉間の皺が、いっそう深くなる。しかしそんなことは気にも留めず、あるページで手を止め、一枚のカルテを引き抜く。乱暴に、目の前のベッドに放った。 「竜弦。これは、どういうことだ」 何気なく患者名に視線を落とし、それは黒崎一護に関するカルテであると気付く。内容も大したことは書いていない。ただ、医者としてごく一般の患者と同じように書いただけだ。この病院に運び込まれた段階では最早彼は手遅れであり、延命措置のような治療を施すことも不可能だった。そのことも含めて、備考欄には「事故死」と書いて終わっている。何も、不自然なところはない。 「何のことだ」 「とぼけるなっ」 語気を強め、ベッドの上に置いたカルテを掴んだ。 「この僕でさえ、黒崎の死には動揺したんだ。そのときにこのカルテを書いたのはお前だ。よくもやってくれたな」 竜弦から、微かにタバコの香りがする。院内禁煙なので、彼はよほどイラついたとき以外は病院の外で吸っている。しかし、患者に対してタバコの香りがする医者というのはいかがなものか。 「もっと具体的に言ったらどうだ、雨竜」 「初めは全然気づかなかった。でも黒崎の死には何かが関係してると踏んで、僕は何度もカルテを見直した。気付いたときは驚いたよ。あんたがカルテの捏造をしてるなんてね」 「捏造? 人聞きの悪い事を言うんだな」 「ああ。医者として褒められることじゃないね。だがあんたはやったんだ。これこそ、捏造した黒崎のカルテだ」 手にもっていたカルテをベッドの上に落とし、竜弦を睨む。 「僕が初めのうちに読み返して探りを入れていたのは、このカルテ。道理で何も浮かんでこないわけだ。偽物のカルテなら、どうしようもない」 「不自然なところは何もない」 石田が鬼の形相を浮かべ、再びファイルを開くと、もう一枚カルテを引き抜いた。そのカルテの患者名も、「黒崎一護」となっている。 「こっちが、本当の黒崎のカルテだ」 竜弦は眉も一切動かさず、このように返す。 「患者一人に複数枚のカルテを使うのはよくあることだ」 「僕が本当のカルテを見て、見落とすとでも思ったのか!?」 とうとう声を荒げ、ファイルを病室の床に叩きつけた。激しい音を立て、ファイルに入れるのではなく挟んだだけの数枚のカルテが床に散らばり、つけていた付箋の何枚かが外れた。 「病院内では静かにしろ、雨竜」 「誤魔化すな竜弦!」 「誤魔化してなどいない。話はこれだけか?」 竜弦は肩を竦め、話は終わったといわんばかりに踵を返した。しかし、病室から出ようとした彼のその行動は、かなわなかった。戸口には、色黒の大男が立っていたから。今度こそ、彼は面食らったように目を見開いた。 「……すまないが、話を聞かせてくれない限り、俺はここを通さない」 チャドが、あくまで静かに告げる。 竜弦は目を細め、呆れたように溜息を吐いた。それは、やり場のない後悔を吐き出すようでもある。 それから間もなく、そこにいた三人が表情を急変させた。感じたこともないような霊圧に、石田とチャドが双方戦ったことのある、例の化け物の霊圧が大きくのしかかってきたからだ。しかし、竜弦の予想に反して、二人は一切その場を動こうとはしない。 「………行かなくていいのか?」 「滅却師が死神の手助けをしろと? 勘違いしてるみたいだけど、僕は今でも死神のことは嫌いだ」 「石田」 心にもない事を言うな、と言いたげにチャドが抗議の声を発する。 「だが」 眼鏡を中指で押し上げ、石田は一度だけ、窓の外を振り返った。すでに方々から霊圧の衝突を感じられた。 「嫌いである以上に、僕は彼らの力を信じている」 やはり死神を信用しているんじゃないか。竜弦は密かに一人苦笑した。 「僕らがいなくても彼らは負けない。なら、僕等が今するべきことは、黒崎の死の真実を確かめることだ」 竜弦は顔を上げた。目の前にいる息子の瞳に、迷いはない。 参ったな、と柄にもなく彼は、心の中で困り笑いを浮かべる。 黒崎を初め、この目は苦手だ――。 「教えろ、竜弦! 一体黒崎の身に何が起きた!?」 本当の一護のカルテ。そこに記載されていたのは、途中まではごく普通のカルテとは変わらない。しかし、最後の備考欄には、延命措置の不可能であった実態や、一護の怪我や、事故死の記載がない。 代わりに、彼の名前に一文字分のスペースを空け、たった二文字。 書かれていたのは――― 「黒崎は、本当は何が原因で死んだんだ!!?」 『黒崎一護 消滅』 * * * ガレットが、目にもとまらぬスピードで斬魄刀を振るってきた。それに、こちらもまた目に留まらぬスピードで斬魄刀を振るい返し、刀身同士がかち合い、火花が散る。 「へー。あんた意外と女のくせに力あんのな。吃驚だわ」 白雪乱舞天の柄を一瞬で持ち替え、相手の一閃を払いのけてから突き出す。その切っ先がガレットの首筋の鋼肌を簡単に砕き、一瞬にして氷漬けにした。 半ば慌てて跳び退った破面だが、自身の首に何気なく手を触れてみて、氷の冷たさを感じると同時に、 「こりゃ驚いた。傷を凍らされたら超速再生も使えねえ」 こちらを静かに見つめてくるルキアに、嗜虐的な笑みを浮かべる。 「嫌な能力だな。死神らしいぜ。けど、こんくらいじゃ俺たちは退かねぇ」 ガレットは斬魄刀を肩に担ぎ、一度、ルキアの後ろにいる一護に目をやる。 「何が何でも、ナリアは返してもらう!」 ――――助けに来たぜ ルキア ほんの、一瞬。 ルキアの瞳が、揺れた。 「ルキア! 前!!!」 横から飛んできた声に我に返り、死神は慌てて自らの斬魄刀をかざし、破面の斬撃を受け止める。 「戦いの最中に集中途切れるとは、ナメられたもんだな! これだから死神は嫌いなんだ!」 「やかましい!」 怒鳴って再び、ガレットを弾き返す。隣に跳び上がってきたのは、夜光だ。 「油断しすぎ。向こうまだ斬魄刀解放すらしてないんだからね?」 「……申し訳ありません…」 「らしくないよ」 背中をポンと叩き、夜光は瞬歩で消えた。かと思えば、かなりの上空から強烈な霊圧の衝突が発生したことに気付き、ほとんどの者が顔を上げる。 新たに現れた従獣と、それに対峙した瑠璃谷夜光だ。 「貴様……一体、何体の従獣を呼んだのだ!」 ルキアが大声で問えば、答えたのはガレットではなく、彼の隣りに再び並び立ったティファニーの方だった。しかしそれは答えたというより、問いを問いで返したと言った方が正しい。 「どうして死神が僕たちのペットの総称を知ってるのかな?」 「どうせナリアから無理矢理聞き出したんだろ。セコい奴ら」 恋次が瞬歩でルキアの近くに戻ってきて、舌打ちをする。 不快なのだろう。彼らからしてみれば、自分たちはナリア――一護をさらった敵なのだ。本当の彼の仲間は自分たちであるはずなのに、別の、ましてや破面に文句を言われる筋合いなどなかった。その、恋次の気持ちは痛いほど分かるし、ルキアも先ほどまでずっとそうだった。 しかし、一瞬だけ、ルキアは迷ってしまった。何故なら、彼ら破面は予想よりもずっと、一護を「ナリア」として見ていたとはいえ、一個人として、仲間として大切にしていたことを感じたから。自分たちが一護に対するものと同じように、彼らもナリアに対する思いを持っていたから。自分たちだって、もし破面に死神の誰かをさらわれたりなどしたら、死にもの狂いで助けに行くだろう。 振り向いて、もう少し低い位置で何もできずにいる破面を見下ろす。困惑した表情の一護が、こちらを見上げていた。当たり前だ。彼にとっては、どちらも敵であり、どちらも仲間なのだから。どちらの味方をすればいいのかなど、決められるはずがない。かといって、仲裁に入れるはずもない。死神と破面は、相対する存在であることは、崩すことのできない定義だ。虚を昇華するために死神がおり、その死神に虚は抗う。 (……一護……) 「迷うなよ、ルキア」 心の内を見透かしたように、恋次がはっきりと言った。それに、ルキアはギクリと顔を強張らせる。 「一護は、俺たちの仲間だ」 「恋次………」 「聞き捨てならねぇな」 心底不機嫌そうに、ガレットが斬魄刀の切っ先をこちらに向け、ティファニーは射るような瞳をルキアと恋次に投げた。 「ナリアは俺たちの仲間だ。その、わけわからない名前も気に食わない。ナリアが、お前らからのその呼び名でどんだけ苦しんだと思ってるんだ!」 『変な名前でさんざん呼ばれて、戸惑っただけだ』 「僕たちから大事な仲間を奪っていったのはきみたち死神だよ。僕たちは死神を許さない」 次の、瞬間。 鮮血が、迸った。一護が目を見開く。 「ナリア。帰ろう?」 見えなかった。ずっと味方だったから、バートンの命令でいつも行動を共にはしていなかったから、ティファニーの本気を見たのは今が初めて。一護は目で、追えなかった。 前にいて微笑みかけてくるのは、かなり距離をとっていたはずの、ティファニー・リック・コム。 そして、鮮血を散らせたのは、二人の、死神。 「ルキア!!! 恋次!!!!!」 ティファニーが表情を曇らせる。 こんなに近くにいるのに、叫んだ一護の瞳に映っていたのは、ティファニーよりも遠くにいる二人の死神であった。同時に、ガレットも確信した。 「ティファニー、とりあえずナリアを連れて帰ろうぜ。洗脳を解くのは向こう戻ってからだ」 「わかってるわよ」 そっと、彼女が一護の腕を掴む。とっさに一護は強く反抗できず、恐れの含んだ顔を上げて、その破面の顔を見ることしかできない。 ティファニーはどこか悲しげに、しかし優しく言葉を紡いだ。 「今のナリアには、訳が分からないかもしれないけど……大丈夫。僕たちが、絶対に元に戻してあげるから」 ――――元に戻す? 「僕たちが仲間だって、きっと、思い出してくれる」 ――――思い出す? 響転ですぐ近くまでやってきたガレットも、そっと、痛くないように、一護の腕を掴んだ。 「俺たち、お前とは戦いたくないんだ。ずっと心配だった」 虚ろな瞳が、二人の破面の間を往復する。 「……バートンも、待ってくれてる。だから。……今は俺たちの言うことを聞いてくれ」 「ナリア、僕たちが敵にしか、見えないよね? それは、仕方ないよ、洗脳されてるんだから……でも、本当は、そうじゃないんだ。分かって欲しい」 「ティファニーの言う通りなんだ……今は俺たちのことを、敵だと思っててもいい。でもとにかく……今は。……一緒に帰ろうぜ、ナリア」 ――――帰る? 「…………にを……」 一護が、とうとう震える唇を動かした。 ガレットとティファニーは顔を見合わせ、しかし急かすことはしないように努める。ティファニーが、彼の肩に手を置いた。 「ん? 何? ナリア」 ゆらりと頭が動き、ブラウンの瞳が、女性破面をとらえる。 「………何、を……?」 「え?」 ガレットがきょとんと目を瞬かせた。 ゆらりと頭が動き、ブラウンの瞳が、今度は男性破面をとらえる。 「元に戻すって……何を……?」 二人の破面が、言葉を失う。 「思い出すって………、…何をだよ…?」 言ってる意味を理解したのか、優し気であった破面の顔が一瞬にして強張った。 「帰るって……?」 『一兄、帰ろう!』 『お兄ちゃん、おかえりなさい!』 『グッモ―――――ニン!! イッチゴ――――――――!!!!』 「どこにだよ……!?」 抵抗するように、一護の体に力がこもる。思いもせぬ反抗に、ティファニーとガレットはギョッとした。 「ナリア……!?」 「お前、まさかそんなことも」 「「縛道の六十一! “六杖光牢”!」」 慌てて、破面全員が響転でその場を離れた。誰もいないところに十二の光が現れ、突き刺すような動きをするも、肝心の的がいないことで不発で消滅した。 「無事か一護!?」 「ったく、油断も隙もねー奴らだぜ」 再び、一護を庇うようにして立つ二人の死神に、慌てて呼びかける。 「く、朽木、阿散井! お前らこそ大丈夫なのかよ…!?」 「あぁん!? 俺たちを何だと思ってるんだ?」 「あの程度、大したことはないぞ。このたわけめ」 しかし、ルキアの肩からは痛々しく血が流れているし、長い髪の一部が切り落とされてしまっている。恋次は首近くでも斬られたのか、顎の辺りに飛び散った血がひどく目立った。また、二人は肩で息をしていた。勿論卍解状態を保てないほどではないとはいえ、痛手を受けていることに間違いはない。 「おい」 トーンの低い声が響いた。前を見てみれば、ガレットが鬼の形相でこちらを睨んでいる。 「お前ら、ナリアにどんだけ細工したんだ? 許さねぇぞ俺は……!」 ギリギリと歯を食いしばる、彼。 「はは……笑い話にもなりゃしない……。………ぶち殺すよ。君たち」 見たことのないような冷たい目をした、彼女。 それに受けて立つといわんばかりに、ルキアと恋次は斬魄刀を構えた。 破面もまた、斬魄刀を構えた。 「ナリア。怪我しねーよう、どっか行っててくれ」 あくまで、一護に向けては優しい声音を浴びせる。 ……ガレット……。 記憶のない死神代行は、声には出さず、呟いた。 「斬魄刀を解放する。……加減、できないから。ナリア、これだけは言うこと聞いて」 慈愛に満ちた声が、一護に向けられる。 ……ティファニー……。 記憶のない死神代行は、声には出さず、呟いた。 ……知ってるよ 「『ねじり切れ……」 「『塵と果てろ……」 お前らが、俺の仲間だってこと…… 前へ 次へ 目次 |