Trojan Horse.2



「で?」
「で、って……」
 本の入った袋を提げて歩を進める夜光は、鯛焼きを食べつつ隣りを歩く恋次を見た。
「何で恋次はついてきてんの?」
 恋次は眉根を寄せる」
「いや、お前が井上の家どこだって言うから、道案内をだな……」
「でも口頭で教えるのが難しいなら一人で行くから大丈夫って、さっき言ったじゃん」
 決して小さくはない戦いに巻き込まれている身の上の彼らだ。自由に現世を見て回る今の時間を各々で大事にしてほしいし、他人の時間を奪おうという気は、夜光には元々ない。連れて行ってもらえるのは嬉しいが、恋次の時間が減ることを彼女は懸念していた。
「んー……」
 口の中の餡を堪能しながら、恋次は唸った。途中までついていって、何かしらの理由をつけて夜光の足を止めてしまおう、願わくばそのまま共に浦原商店まで帰ろう、と考えていたのだ。
 織姫のところに用があるのか、と聞いたとき、彼女は先ほど「治療してくれたお礼を言いにいく、ついでにご飯も食べさせてもらう」と言った。しかし、織姫の作る料理は、あの日番谷冬獅郎でさえ無言のうちに逃げてしまうような品だ。本人は悟られないように必死であるが、実際問題体の弱っている夜光がそんなものを口にすれば、どうなるか分かったものではない。乱菊と似たような不思議な味覚と強靭なる胃袋を持っていたら話は別だが、残念ながら、否幸い彼女は正常で、乱菊が摩訶不思議な料理を振舞ってくれたときに、“乱菊さんは護廷十三隊に恨みでもあるんですか”と真顔で返していたほどだ。
「恋次〜、言いたいことあんなら言った方がすっきりするよ?」
 何も知らないこの五番隊隊長はにんまりと笑っているが、「井上の料理は破壊力しかない」と言ったところで、どうせ彼女は少し肩を竦めるだけに決まっている。厚意には従った方が開いても気持ちいいものだ、という夜光の持論の下にだ。
「ん? あれって……」
 ふと、恋次が前方に目を留める。つられて夜光も見ると、織姫の家の方角から一人の少女が歩いてくるところだった。
「あの子がどうかした? たしかに、霊力少しあるみたいだけど」
 この町は本当に霊力もった人間が多いねぇ、と嘆息する。
「遊子だ」
「ゆず?」
 首を傾げる彼女に一度、恋次は目を丸くしたが、そういえば夜光は破面となった黒崎一護と面識はあっても、他の関係者とはほとんど会ったことがないのだ。
「一護の妹、……だ」
「……何で自信なさげなの」
 苦笑してそう返しつつも、「そうなんだ」と夜光は納得したように頷いている。
 恋次が自信無く言ったのもやむを得ないことで、遊子はやや俯き気味に道路を歩いていたのだ。加えて、彼女も四年で随分身長も髪も伸び、雰囲気が変わっている。食卓を一緒に囲ませてもらったことがあるとはいえ、ここ数日でも夏梨ほど話したというわけではなく、とっさの判断をしかねてしまった。
(……元気ねぇな…)
 霊圧の揺れ具合から、彼は察する。次いで、自分の持つ袋の中に入っている鯛焼きに目を落した。
「あげたら?」
 微笑しながら提案してくる夜光に、面食らった顔をする恋次。
「全部顔に出てる。喜ぶんじゃない?」
 彼女に後押しされて、死神は口角を吊り上げる。そして、大股で歩き出そうとした、瞬間。
 何の前触れもなく、前方の道路に遊子が倒れ伏した。
「!!!」
「―――またっ!?」
 のしかかってくるような重み。空気の振動。胃の中をかき乱すような轟音。
 強大過ぎる霊圧に、恋次は目を見開いた。そして、背後で地面をこするような音がし、慌てて振り向く。こちらもまた目を見開いて、口に手をあてた夜光が袋をおろして、両膝をついて俯いてた。
「夜光!!」
「遊子が先だろ三番隊隊長!!」
 顔を歪めて叫んだ彼女は、徐に顔を上げる。蒼白だった。
「あたしなら大丈夫だから。あの子、黒崎一護の家に届けてあげなさい。霊圧源、先に行ってる」
 懐から義魂丸を取り出し、口に放り込む。すると、一瞬にして魂魄が抜け、義骸は勝手に動き出した。
「トントン、どっか隠れてて!」
「あーい」
 トントン、と呼ばれた義魂丸は緩く敬礼すると、ふわふわとした足取りでいずこへと去る。呼び止める暇もなく死神化して空へ上がっていった夜光を目で追い、恋次は歯噛みした。すぐ遊子に駆け寄り、抱き起す。
「おい! 大丈夫か!?」
「…………」
 泡を吹いて、完全に失神している。くそ、と恋次は顔を顰め、抱え上げて走り出した。こんなに強大な霊圧がのしかかってくるとは思わず、多くの霊力のある人間に影響を与えているだろうと思うと気が気ではない。一体何者だというのか。
 そこまで考えて、はた、と気付く。

『―――またっ!?』

 先ほどの夜光の反応は、初めて霊圧を感じた、というものではどう考えてもなかった。
 知ってる霊圧なのだろうか。しかし、思考を働かせるにはあまりに急であった。兎に角、遊子をクロサキ医院に届けたら、夏梨の無事も確認したいし、彼も今すぐに霊圧源に向かいたい気持ちでいっぱいである。


 キン、と澄んだ音が響くと、たつきの周りに“鏡門”が張られる。ルキアに向けられている彼女の瞳は淀んでいて、何を見ているのかわからない。焦点が定まっていないのだ。先ほどまでは明朗快活な物言いであったのに、今は冷や汗ばかりを流して浅い呼吸を繰り返している。
「少しはマシだとは思うが」
 強すぎる霊圧からの保護のつもりだが、果たしてどの程度効果があるものか。一番の方法は、やはり霊圧源を絶つことにある。
「…………ん、……ありがと……大丈夫……」
 かすれ声で答えながら力なく笑うたつきに、ルキアは苦し気に顔を歪めた。
 隣に立っている自身の義骸を見る。
「チャッピー、もしものときは有沢を安全な場所に運んでやってくれ。有沢、まずいと思ったら内側から適当に叩け。これは内側からならすぐに崩れるのだ」
 早口であることから彼女も焦っているというのを察したのだろう。たつきは大人しく頷き、チャッピーも「了解ですぴょん」と元気よく手を挙げた。
 瞬歩を遣おうとして、ルキアは気付いた。彼女が、すがるような瞳でこちらを見ている。だから、静かに笑んで見せた。
「……案ずるな。すぐに終わらせてくる」
 言ってすぐ踵を返し、彼女は瞬歩で消えた。死神の小さな背中を見送って、たつきは意識を手放した。


 ベッドに寝かせてやり、きっちりと掛布団もかけてやるのは、弓親が更木隊では珍しい常識人であるからだろう。他の十一番隊隊員であったなら、きっと彼を倒れたまま気にも留めずに放置して、霊圧源へ急いだはずだった。
「終わったかー、弓親?」
 耳垢を小指でとりながら、面倒くさそうに尋ねる一角。弓親は「ああ」と大したこともなさそうに肩を竦めつつ答えた。
 ベッドには、汗を大量に流した啓吾が横になっている。彼もまた、強大過ぎる霊圧に耐え切れず倒れてしまった人間の一人であった。とはいえ、啓吾も四年前に、藍染の霊圧を経験しているからか、周囲の空気が振動して崩れ落ちた後、小声で「霊圧」と呟いていた。状況判断ができているだけで、パニックには陥らないで済む。
「…弓、親……さん、一角……さん…」
「あぁん?」
「君の言う通り、これ、霊圧だよ。霊圧源行ってくるから、ちょっとくらい我慢しなよね。男だろう、キミも」
 会話もしようとせず、二人はさっさと部屋を後にする。
 浅い息を吐き出して、啓吾は霞む視界を彷徨わせた。
「………一護……」

 すぐに霊圧源へ急ぐはずだった。
 しかし、そんな彼らの進路を妨害する者がいた。それが予想以上に大きな障害で、一角と弓親は思わず口許を緩ませる。目の前にいるこの化け物の霊圧もまた、驚異的なものであったからだ。
「へへっ、こいつぁ……」
 首長竜のような出で立ちで、背中には悪魔か何かを模したような巨大な翼。口の中におさまりきらなかった鋭利な牙がいくつも、口の端から飛び出ている。目は赤く、射すくめるには十分な眼力を誇っていた。
 従獣(ヘラミエンタ)。破面のペット的存在、と一護は言っていた。つまり、霊圧源は間違いなく、破面。
「こりゃあ、今日は腹いっぱいになりそうだなぁ、おい!」
「一人で食べないでよ、一角?」
 一角と弓親は、斬魄刀を抜いた。
 強い者と戦う時間は、彼らにとっては至福の時間である。


「“三天結盾”!」
 織姫が叫ぶと、火無菊、梅厳、リリィがヘアピンから飛び出していき、日番谷の背後に逆三角形の光の盾を張る。そこに太い尻尾が振るわれてきたが、光の盾にはピシリと四方に広がるヒビが入るに留まった。止め切れるとは思っていなかったのだろう、衝撃に耐えようと体を構えていた日番谷の顔に、微かに驚きが浮かぶ。
「冬獅郎くん、大丈夫!?」
「ああ。すまない」
 トンと屋根の上に降り立ち、改めて目の前の化け物を見据える。次に、眉間に皺を寄せた。
「なんなんだ、こいつらは…?」
「従獣!」
 舜盾六花をまたヘアピンに戻しながら、織姫は叫んだ。
「破面のペットみたいな立ち位置なんだって、黒崎君が言ってたよ!」
 目の前の獣に、灰色の砂が纏わりつく。首の一部を破壊していたが、超速再生によってまるでなかったかのように即座に修復されてしまった。
 元の刀身に灰猫を戻して、日番谷からは少し離れた位置にある屋根に乱菊が着地した。
「ってことは、霊圧源は破面ってことかしら?」
「だろうな。さしずめ黒崎を連れ戻しに来たってところだろうぜ」
「じゃあ急がなくちゃ!」
 織姫が叫ぶと同時にヘアピンから今度は椿鬼が飛び出して、従獣へと向かっていく。翼に直撃したが、決定打は与えられそうにない。
「分かりやすい足止めですね!」
「だな」
 再び宙に跳ね、従獣の真上をとる。
「“灰猫”!」
 乱菊が斬魄刀を振るい、刀身が瞬間的に砂へと姿を変えて崩れ落ち、従獣の真上にふりかかっていく。手首だけを素早く曲げれば、数えきれないほどの傷を従獣に負わせた。しかしまた超速再生が発動し、少しずつ傷を閉じていってしまう。
「“氷輪丸”!!」
 同じように跳ねて従獣の真上をとっていた日番谷が、斬魄刀をかざした。それからすぐに天に黒い雲が現れ、渦を巻き、その中心から氷の飛龍がおりてくる。
「いけ!!!」
両手使い斬魄刀を振り下ろすと、氷の竜は猛威を振るって従獣に突撃した。
空中に白い冷気が立ち込め、一度、姿が見えなくなる。
「どうだ…?」
 霊圧は消えていないので警戒は解かず、しかしそれなりの傷は与えたのではと期待して様子をうかがう。
 冷気の中から突如として太い尾が伸びてきた。そう思ったときには既に遅く、尾は日番谷の腹部にめりこんでいた。
「があっ………!」
 恐るべき速さで落下し、日番谷はあるアパートの屋上に叩きつけられた。
「隊長!!!」
 叫びで何かが起きたということには気づいたのだろう。織姫はアパートに入り、すぐに屋上に上がってきてヘアピンをかざす。そのときに、薄れてきた冷気の中で再び、従獣が動いていることに気付いた。
「『唸れ、“灰猫”』!」
 注意をこちらへとそらすように、乱菊はいっそ派手すぎるというくらいの砂の竜巻を形成した。しかし、それも従獣の前足でいとも簡単に払われてしまう。
「冬獅郎くん!」
「ちっ!」
 手当てはあとでいい、と言うように織姫の手を振り払い、氷輪丸を握りなおして再び飛び上がる。
「はあああっ!!!」
 本気でいかないとやられる。強烈な一撃を受けた日番谷は、それを悟った。
 雄叫びをあげ、再び斬魄刀を振るう。


 方々で、霊圧の衝突を感じる。感じながら、目の前にいる彼らを、見る。
 聞きたいことは、山ほどあった。どうして従獣をこう何体も連れてくるのか。どうして自分一人を連れ戻すためだけに、このような無茶をするのか。どうして自分の周りにいる者全員を傷つけようとしてくるのか。
 しかし、質問より先に口をついて出たのは、呼び親しんだ彼らの名前。
 その声は、自分でも驚くほどに震えていて。
「………ガレット……ティファニー………」
 
 もう戻れない、と。
 一護は、気付いた。




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