a man of his word.5



 集まっている者たちの視線が、一斉にある地点に集中する。同時に、灰色の羽織をなびかせ、太陽光を反射し輝く金糸の像を皆の目に焼き付けながら、彼女はそこに瞬間的に現れ、降り立った。
「おかえりー」
 のんびりとした声で、ヒラリヒラリと手を振る蘭を、桐生は鋭い目で見返した。舌を出して肩を竦める彼も、大体の用件は察しているのだろう。見かけがどんなに飄々としていようと、伊達に彼は「王族」に居続けているわけではない。
 ふと、桐生は常に行動を共にしている二人を目にとめて、息を吐いた。
「ありがとう、来てくれて」
 いえ……。
 首を振ってから、一人の少女が口を開く。
「でも、どうしたんですか? あたしたちまで呼ばれるなんて……」
「全くだ。私たちは、お前たちほど上の階級じゃない」
 釈然としない様子である二人の問いには答えず、横合いから龍桜は尋ね返した。
「十四郎さんはどうした?」
「ここにいる」
 あらぬ方向から飛んできた声に、彼らは振り向く。
 長い白髪を一つにまとめている浮竹が、丁度歩いてきているところだった。以前と比べて、何かもっと大きい力強さが、傍目でも分かる。
「これで全員揃ったぞ、桐生」
 集まったのは、桐生を除いて合計九人。彼らを順に見つめて、彼女はそっと咳をしてから、このように言葉を紡いだ。
「とうとう、陛下から直々の命が下ったわ」
 その言葉に対しては、顔を引き攣らせる者、口角を吊り上げる者、無表情を突き通す者、顔を俯かせる者と、反応は様々であった。
「ま、そろそろ来るとは思ってた、僕たち、そういう風に噂してたしね。ね、じーじ!」
 軽く蘭は言い放って、無言のままでいる老爺に同意を求める。長い白髪と白鬚は、まるで仙人のような出で立ちだ。彼は話をふられたが、かすかに片眉を上げるにとどまった。杖の代わりのようにして、常に手に握りしめて地面に突き立てている木刀に視線を落とし、それ以上の反応は示さない。細められた瞳に、何か言葉を見出すことは難しかった。
 そのとき不機嫌な顔をしたのは、茶髪の御河童頭に大きな群青色の瞳が印象的である、小柄な美しい女性だった。
「いちいち話の腰折らないでくれる、蘭。キモイ」
 彼女は、外見にそぐわない毒舌を蘭に浴びせたが、とうの本人はひょいと肩を竦めるだけだ。このようなことは日常茶飯事なのであろう。
「あなたたちも話の腰折ってるってー。話ならあとで聞いてあげるから、ちょっと静かにしましょ。ね?」
 あきれ顔で彼らの会話を見ていた長身の女性は、困ったようにかすかに笑う。肩にかかるほどの青紫がかった髪が美しく、彼女の周りには静かな時間の流れを感じることができた。
「んで? 一応、霊王陛下の命令なんなのか教えろよ」
 険しい目つきをした男が、面倒くさそうに話題を元に戻した。逆立てられている茶髪に、少しつり上がった紫の瞳は一見すると怖い印象を与える。全体的に華奢な体つきであるものの、着物の隙間から見え隠れする腕にはかなりの力を備えているであろう筋肉が僅かながらも見られた。
「ま、大体、わかってるけどよ?」
 彼は二人の少女を一瞥してから、小声でそう付け足した。
 全員が沈黙したことを確認し、桐生が徐に口を開く。
「……“零番隊の手で、黒崎一護を殺せ”……」
 空気が、張りつめる。
「そんな……そんな、バカな!!」
 たまらず、短髪の少女が声を上げた。
 一緒になり、もう一人の少女も言う。
「嘘でしょ!? だって…!」
「だっても何もない」
 決して大きいとは言えない声量だ。それでも二人が口を閉ざすのは、龍桜の言葉に滲んだ、彼ら自身の立場とその意味を思い出すからであろう。
 しかし、彼はそっと、浮竹と視線を合わせて、苦笑した。外見からは全く分からないが、霊王の命令に納得できていないのは明白だ。それでも終始無言でいるのは、浮竹もまた、自身の立場を理解している証拠だ。やはり彼は、零番隊に来るべきして、来たのだ。
「……貴女たちには苦かもしれない。でもね、覚えていて」
 桐生はゆっくりと、二人の少女に歩み寄る。それぞれの肩に手を置き、腰をかがめて真っ直ぐに視線を合わせる彼女は、子を前にした母を思わせた。
「貴女たちは、『零番隊の死神』なんだってこと」

*   *   *

 クロサキ医院の近くにある空き地にまでやってきて、日番谷はくるりと踵を返し、石の塀に体をもたせかけた。買い手が見つからないのであろう、四年前からあるこの空き地は、雑草が滅茶苦茶に伸びている。
「……分からねえか」
 訝しげに空き地に足を踏み入れる一護に、日番谷は軽く溜息を吐いた。
「ここは、俺とお前が初めて刀を交えたところだ」
「俺が、あんたと……?」
「厳密には、そこの道で戦って、俺がお前をここに、刀で弾き飛ばした」
 破面は、ゆっくりと、瞬く。彼の纏う薄汚れたマントが、風に従い揺れている。
 破面は、ゆっくりと、瞬く。記憶を手繰り寄せるように、開かない引き出しを開けようとするように。
 
  出ていくときは、堂々と出ていきゃいいじゃねえか!
  なんでやましいことしてるみてぇな真似すんだよ?

  お前、なんで一人で行こうとしてんだよ?
  何をそんなに思い詰めてんだ?

 日番谷は、あのときの苛立ちをはっきりと覚えていた。
「はっきり言って、あのときからお前は鬱陶しかった。他人の事情も知らないで踏み込んできて、不愉快なことこの上ねえ」
 記憶にないとはいえ、ここまで言われてしまうと彼もまた機嫌は少し悪くなってしまう。かと言って、何も知らないので言い返すことができるようなものでもなく、ただ憮然とした様子でそっぽを向くだけだ。
「……だが……」
 覚えているのは、苛立ちだけではない。
 日番谷はポケットに両手を突っ込んだまま、続ける。
「……結局、お前が一番、いつも正しいところに立っていた」
 言葉の調子は何一つ変わっておらず、彼の表情にも変化はない。しかし、言葉の纏っている温度は明らかに異なっていて、一護は驚いた。
「情けねぇ話だ。お前と比べて、俺たちはその数十倍の年齢だってのに、お前の思考はいつも俺たちを裏切ってきた」
 黒崎一護という人間が死神となり、尸魂界にやってくるようになってから、傍目では分かりにくくとも明らかになにかが変わっていった。彼が動くたびに、必ず、何かが変化を遂げていた。
「一見秩序を乱しそうな考えでも、最終的にお前の考え方が最も厳しく、正しく、優しかった」
 基本的に、彼の起こす行動は全て、尸魂界においては掟に反することばかりだった。しかし何故だかいつも、彼の行動は最後には、皆の結論と同じところに集結していた。否、彼の言動に感化された死神達の意志が、自ずと同じところへ向かうようになっていた。
「お前が尸魂界の柱を形成する一部になっていたことは、返事はどうあれ誰もが認めていることだろう」
 翡翠の瞳は、一度も彼から外されずに向けられている。
 ふと、日番谷の眉間に皺が寄った。
「その柱の一部がいきなり欠け落ちて消えたら、皆焦って、血眼になって捜す。しかし、見つけたと思ったらその“欠片”は、欠け落ちる以前と姿を変えていた。
 一護の体が、かたくなる。
 目の前の少年が、何を言わんとしているのか分かった気がした。
「希望を見たと思ったら、“欠片”は前と同じ柱の部分には嵌らない。そんな馬鹿なって思うだろうぜ。何せ、少し前まではたしかにそれは、『よく見知った“欠片”』だったんだからな」
 無意識のうちに、ゆるゆると視線が下がっていく。少年の視線から逃れようとしたとkろで、責任から逃れることができないことは、わかっている。
 記憶のない破面は、歯を食いしばった。
「……俺は……」
「もう姿の違う“欠片”をどうするかなんて選択肢は、二つしかない。一つは、諦めてその“欠片”を捨てて、欠け落ちた部分を他のもので補った柱でやっていこうとすること。そしてもう一つは」
 日番谷が、一護に近づいていきつつ、口を開く。
「もう一度、その“欠片”が柱に嵌るように、形を修正すること」
 はっとして、彼は顔を上げた。目の前にまで歩いてきた銀髪の少年は、相変わらずの仏頂面に、やや呆れのようなものを含んでいた。
「尸魂界は前者を選んだ。俺たちは、後者を選んだ。それだけのことだ」

 『それだけのこと』

 それが、どれだけ重いことなのか。どうしてか、記憶のないはずの一護には、分かった。
「尸魂界に逆らった俺たちの心配はするな。記憶を取り戻すことに専念しろ」
 俺たちに対する後ろめたさが、会うたびにダダ漏れだぞ。
 心底迷惑そうに、日番谷は彼を睨んだ。
 大きな組織に対して、たったの複数人で対抗しようとすることの恐ろしさは、よく分かる。それは破面でも同じだ。
「……ありがとな、日番谷」
「何度も言わせるな。俺たちはてめぇを信じて、ここまで来ただけだ」
 一護をその場に残し、日番谷は足早に空き地を出た。

 一人で歩きつつ、空を見上げた。青い空と白い雲が、丁度良い比率で空を支配している。それはとても美しい。少年は、目を細めた。
「……柄にもねーことしたかな」
 ひゅうっと、風が通り抜けていく。
 今の季節にしては、少しだけ冷たすぎる風が。

  “いいんじゃない、それで”


*   *   *

 暫し呆けたように、自動販売機の前に立つ、長髪の少女を見つめていた。
 視線に気づいた彼女は、こちらを振り向いて口許に笑みを浮かべる。それによって、たつきは我に返った。
「……驚いた。今日は一人なの?」
「ああ。一人で空座町を見て回りたいらしくてな。今頃どこかをウロウロしている」
 たつきは、違和感の正体に気付いた。ルキアの姿が、先ほど鰻屋に行った際に見た黒い着物ではない上、随分はっきりと瞳に映すことができるのだ。
 彼女が何を思っているのかを察したルキアは自分の姿を見下ろしながら言った。
「義骸に入っているのだ。今はお前たち人間とほぼ変わらない状態。以前、私が空座第一高等学校に通っていたときと、同じだな」
 なるほど、と頷く。
「死神も、そういうの飲むんだね」
 言われて、彼女は自分の手に視線を落とす。林檎ジュースの紙パックが握られていた。ルキアは、自動販売機を指示した。
「尸魂界にはない、画期的な機械である上、味も美味い。現世に来るとつい買ってしまうのだ」
 まあ、と前置きし、
「相変わらず、どうやって飲むのかはいまひとつ分からぬのだが」
 紙パックの裏についているストローを取り外し、それと銀の穴とを交互に見比べているルキアに苦笑すると、たつきは彼女から紙パックを取り上げ、ストローを伸ばして刺してやった。「おお、すまない」と嬉しそうに受け取る死神。
「こうやって見ると、朽木さん、本当に高校生やってたときは無理してたんだね」
「む?」
「ほら、“ですわ”とか、言ってた。どこのご令嬢なんだろうって思ってたよ」
 実際、尸魂界での朽木家という貴族に属するルキアは、所謂「ご令嬢」というものなのであろうが、「そうか?」と彼女は肩を竦めてみせる。
「あれは予定外だったからな。一日で習得した現代語としては上出来ではないか?」
「現代語、ねぇ……」
 この死神は、一体何から現代語を学ぼうとしたのだろうとたつきは首を傾げた。勿論、それがあるホラー漫画であることなど、彼女は知る由もない。
「そういえば、すまなかったな。突然厄介払いのようになってしまって」
 一瞬、ルキアが一体何を謝罪してきたのか分からなかったが、すぐに理解した。一護のバイト先であるうなぎ屋に案内して、そのあと日番谷達がやってきた際に共に逃げ出した。しかし、結局逃げる必要はなかったとみて、啓吾や水色、たつきは帰れと言われてしまったのだ。たしかに、話には聞いているとはいえ、尸魂界が関わってくる話し合いに参加することができるとは思えなかった。
「いいよ。それに、その様子だと、本当に一護の仲間が増えたってことでしょ?」
「ああ。日番谷隊長達も、一護のことを信じていると言ってくださった」
 ルキアは、林檎ジュースをストローから吸った。自然と顔がほころんでいるので、よほど美味しいと感じているのだろう。
「そうだ。本匠や国枝、小川、夏井達は、元気にしておるのか?」
 これには、たつきはひどく驚いた様子を示した。
「……よく、覚えてるね?」
「短い間とはいえ、学校では世話になったからな」
「みんな元気。千鶴も、今は資格試験とかで忙しいみたいだけど、一護のこと心配してる」
「そうか。相変わらず、放送禁止用語ばかり飛び出す言葉を話すのであろうな……」
 しみじみと言うルキアであるが、千鶴の認識はなかなか酷いものだとたつきは苦笑するしかない。
「ねえ、朽木さん。あたしたちも、一護の力になれることないのかな」
 突然にそう尋ねられて、死神は無言でストローに口をつけた。やがて、
「……もう、力になってくれているではないか」
 え、とたつきがルキアを凝視する。
 目の前の死神は、微笑した。どこか憂愁を帯びたその笑みが何とも言えず、美しい。そんな雰囲気を一変させ、彼女はパッと表情を明るくした。
「そうだ、有沢! 今日も少し暑いな。どこか美味い甘味処を知らぬか!? 久しぶりに食べたい気分だ!」
「か、甘味処? カフェのこと? 織姫と一緒によく行く店なら、この近くだけど……」
「本当か!? では、連れて行ってくれ!」
 ……元気づけてくれてるのかな。
 たつきは無言のうちに笑い、「いいよ」と言った。

*   *   *

 集会場に来てみると、集まったのは自分自身とティファニーだけであった。ちなみに、ずっと彼が連れていたユウは、今回ばかりはやむを得ないので、不本意ながらもロリに預けてきたのである。
 正面に座る、バートンに視線を向ける。
「来たか、二人とも」
「僕たちだけでいいの?」
 ティファニーも、どこか戸惑ったように視線を巡らせている。
「ああ。……ナリアのことで話がある。お前たち、仲良かったからな」
 ずっと行方不明のままでありナリアの名前が出てきて、二人の表情がふいに引き締まる。
「まずは見てほしい映像がある。これだ」
 パッと、映像が集会場の壁に照射される。彼らが捜し続けている、オレンジ色の髪をした破面が、二人の少女を前にしている。
【心配すんな。お前らのことは、俺が必ず護る】
 ナリア・ユペ・モントーラの背中には、彼らの知らない、身の丈ほどある無骨な斬魄刀の姿があった。思わず、ガレットが唾を飲み込む。
「な、なんだよ、これ……ナリア……なのか……?」
「どうして、ナリアが人間の子供なんかを……」
 バートンは低い声で言った。
「情報によると、複数の死神が今、現世に来ているらしい。恐らく、ナリアは奴らに洗脳か何かされている。このままでは、いつあいつが殺されるか分かったものじゃない。いいように利用されて、最終的に生かしてもらえるとは思えない」
 映像を消し、バートンはガレットとティファニーに向き直る。
「準備ができ次第でいい。ナリアを救いに現世へ向かってくれ。あいつは、我々の大切な仲間だ」
 二人は、力強く頷き、早々に踵を返そうとした。が、
「いいか、従獣(ヘラミエンタ)も好きに連れて行っていい。ちゃんと準備していけ。死神が複数いるなら危険であることに間違いはないし、洗脳されているなら最悪、お前らはナリアと戦うことに」
「わかってる!!!」
 ガレットが、鋭く怒鳴ってバートンの言葉を遮った。
「バートン……僕たち、ナリアを助けるためなら、ちょっとのムチャは許されるのよね?」
 振り向いたティファニーの瞳は、昏い光が灯っている。
 バートンは、答えた。無論、と。




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