a man of his word.4



 やれやれ、と目の前の細い光を見つめた。隙間から漏れているこの光の形のおかげで、ここに扉があることがわかる。何気なく振り向いて、瞳を瞬かせた。数刻ほど前まではそこにいたはずの零番隊の死神が、忽然と姿を消している。さすがにここからはもう帰れるでしょう、という意味だろう。それでも、一言くらいは残していけばいいものを、と声に出さずに笑った。
「さあて、帰りますかね……」
 六日ぶりの、尸魂界だった。

 何とも言えず、浦原は首をかしげる。
 たった六日の間に、自分が地下監獄最下層第八監獄“無間”へと行ってる間に、一体何があったというのか。瀞霊廷は酷く荒れていて、落ち着きがなかった。
 途中で薬を持って走る山田花太郎と遭遇したので、大体の話は聞いたが、ある意味異常であった。
怪我人が何人かいるというし(だがいずれも軽傷らしい)、日番谷先遣隊と瑠璃谷夜光が命令違反で現世へと赴いたというし、しかも朽木白哉と京楽春水、雛森桃の三人が現在失踪中らしい。席官の死神に尸魂界中を探させているのだが、まだこれといった目撃報告はないという。
 思わず笑いそうになってしまったのが、穿界門だった。一体何があったのか、穿界門は外見上、大きな炎に包まれて燃えていた。内側から“鏡門”がはられているらしく、実際穿界門自体は燃えていないらしいのだが、そうは言っても容易には近づけないらしい。よほどの鬼道の使い手でないと、ここまでの火焔を操ることは難しいというのに。ただ、それのおかげで、疾走した三人の死神はまず、現世に行ったということは有り得ないので、探す範囲がかなり縮小されたという意味では、助かったというしかなかった。
 だが、現時点で尸魂界の戦力は格段に落ちている。三番隊、五番隊、六番隊、八番隊、十番隊の隊長と、五番隊、九番隊、十番隊の副隊長が抜けてしまっているのだ。今の状態で破面の奇襲を受けたらと思うと、背筋が寒くなるのも無理のない話である。
(色々あったんスねぇ……)
 まるで他人事のように思いながら、浦原は十三番隊隊舎に戻ってきた。
「隊長ぉ!?」
「ど、どこに行ってたんですかぁ!!?」
 書類処理に追われている様子の清音と仙太郎が立ち上がって、浦原を迎える。
「すみません。ちょっと藍染サンのところに……」
「へぇ、そうなんですか、ってなんでだああぁぁッ!!!!??」
「うっさい小椿!!!」
 喚く仙太郎の腹に肘を食らわせ、しかし清音も眉根を顰めている。
「でも、どういうことなんですか? 藍染って……」
「いえ、ですから、色々あって……」
「あ、そうだ!! 隊長、大変なんです! 実は」
 先ほど花太郎から聞いた話を延々と再びされ、浦原は苦笑しつつ最後まで聞いた。途中、何度か仙太郎との喧嘩の仲裁にも入ったが。
「わかりました。すみません、大変なときにいなくて。アタシも色々指示は出すので、とりあえず待っててくださいね」
「「はい!!!」」
 浦原は、さてどうしたものか、と考えを巡らせながら隊舎の離れである雨乾堂に入った。机には書類が山となって積まれている。留守にしている間に溜まったのだとはいえ、こういった事件が発生しなければまだ少なかったであろう、と思わず溜息が出た。
 そのとき、何やら遠くで騒がしい音がしていることに気付いた。また何か起きたのだろうか、と浦原は首を傾げ、雨乾堂から出てみる。
「痛いっ!!!!」
 瞬間、浦原の視界が暗転する。
 初めのうちは何が起きたのか分からず、彼は文字通り目を白黒させていたが、
「何ボーっとしとんじゃこのハゲェ!!!!」
 盛大な怒鳴り声を受けて、意識が一気に覚醒した。
 驚いた顔をして、痛む鼻を指で押さえながら、小柄な彼女を見上げた。死覇装に身を包んだ彼女を、こうしてまた見ることになるとは思っていなかった。
「久しぶりやな、喜助」
 猿柿ひよ里は、雀斑の浮いた顔に相変わらずの不機嫌そうな表情を浮かべたまま、ぶっきらぼうにそう言った。

*   *   *

 一護が気を失ってしまったのでは仕方ないということで、浦原商店の死神らは一度解散することとなった。頭の端には夜光のことがあったものの、乱菊と恋次はまだ残っていたし、一護を看るために残っているルキアらも、夜光のことは任せてくれと言ってくれた。隊長である彼とて、ここのところドタバタしていただけに、少しの休息を体が求めていた。ならば丁度良いので、彼もまた自分の時間を、わずかな時間でも過ごすことに決めたのだ。また、気がかりなこともいくつか、現世にはあった。
足を止め、ゆっくりとしたペースで視線を上げていく最中に、溜息が出た。たしかに、四年程度では変わることはないかもしれない。しかし、あまりにも外見の変化の無さに、つい嘆息したのである。
 中から、ドタバタと音がする。恐らく、霊圧を感じたので確かめようと思ったのだろう。それは玄関の方へと近づいていく。彼が玄関口に目を留めると同時に、開け放たれた。少女が目を丸くする。
「………よう」
 短く挨拶すると、彼女の唇から、ごく自然に漏れた。
「……冬獅郎……」
 四年ぶりに出会った黒崎夏梨は、髪が長く、身長も自分より高くなっていた。


「何か飲む? お茶とか、ジュースとか、色々あるけど」
 椅子に腰かけながら、「いらん」と即座に答えた日番谷だったが、夏梨は勝手に「やっぱオレンジジュースがメジャーだよな」などと呟きながら、コップに橙色の液体を注いだ。
 テーブルへと持っていき、コップを彼の前に置くと、夏梨も正面の椅子に座った。
「久しぶりだね。前髪下ろしてるし、ちょっと大人っぽくなった?」
 前髪はたしかに今は下ろしているが、大人びたのはそっちだろう、と日番谷は思う。雰囲気自体は四年前と変わらずだが、所謂大人の女、というものに近づいてきていることは傍目でも明らかだ。尤も、だからといって乱菊のようになったわけではないのだが、あれは例外である。
 彼女は、ふいに喉の奥で笑った。
「身長は、かわんないけど」
「うるせぇ」
 伸びてるに決まってるだろう、と返そうと思ったが、やめておいた。そうは言っても、実際問題、夏梨の方が身長が高いのだから、説得力に欠けてしまう。
 オレンジジュースに口をつける日番谷を、真っ直ぐな目で見つめる。
「……何しに来たの」
 その瞳は、兄にいているな、と思った。
「一兄絡み?」
 コト、とコップを置く。
「……一兄を、殺しに来たの?」
 日番谷は、眉間に皺を寄せた。
 対して、夏梨も負けず劣らずな険しい表情を浮かべている。
「ルキアちゃんと恋次から聞いたの。尸魂界で、一兄の処刑命令が出てる・って」
 一度、日番谷は呆れた。人間にまでそのようなことをばらしてどうする、と。しかし、考えてみれば夏梨は一護の妹で、成程聞く権利くらいはあるのかもしれないと考え直す。同じように、自分がここにわざわざやってきたこともまた、他の死神は信じられないといわんばかりに目を見開くであろうことは、容易に想像がつく。
「……殺しに、来たんでしょ。冬獅郎は、『隊長さん』だから」
 視線を逸らさない。それは、二人ともだった。
 やがて、長い沈黙を経て、日番谷が息を吐き出した。
「違う」
「…………え」
「俺はあいつを処刑する気はない」
 目を見開く夏梨。小さく、首を横に振った。
「嘘」
「嘘じゃねえ」
 揺れていた少女の瞳が、戸惑ったようにまた、彼のことを見返した。
 日番谷はコップを持ち上げ、
「それに、もう黒崎には会ってきた。今、あいつは浦原商店で休んでる」
 言って、オレンジジュースを一口飲んだ。
 少年の発言を聞いた夏梨が、肩から力を抜き、ずっと前のめりにしていた体を後ろに倒して、全体重を椅子の背もたれに預けた。
「…………よかった………」
 ずっと夏梨の体中から発せられていた、緊迫した霊圧が緩んだ。自覚して放ったものではないのだろうが、隊長である日番谷でも肌にかすかな痛みを感じるほどだった。兄妹揃って強烈な霊圧を所有しているものである。
「俺も、阿散井や朽木と同じ立場だ。尸魂界で一騒動起こして、どうにか現世に来れた」
「いいのか? そんなことして」
 処刑に来たのではないと聞いて心底安心したにも関わらず、夏梨は眉根を寄せて日番谷を見返した。
「良くねえ。立派な重罪もんだ。俺の立場が隊長ってんなら、尚更な。でも」
 再びコップに手を伸ばし、少し揺らしてやると、ジュースはちゃぷ、と音を立てた。
「俺たちは、お前の兄貴に借りがある。それもかなりな。だから、俺も、俺の部下も、他の連中も……実際、尸魂界の大半が、今回の処刑命令には納得できていない」
 多分―――総隊長も。
「そうなんだ……」
 知らないところで、兄は本当に凄い存在であったのだということを痛感する。
 感心したように幾度も頷いている少女を見て、不憫に思った。たしかに夏梨は、この四年で随分成長している。けれど、外見上見えなくとも、年齢は日番谷の方が彼女の数倍なのだ。

 ――――夏梨に、怪我だけはさせんじゃねぇぞ

 いつだったか、一護に言われたことを思い出す。冬で雪が降った頃だから、たしか、彼が完全に死神の力を失う少し前だ。霊骸の事件が起きる前に、日番谷が休暇をとって現世に来たときだ。

 ――――…………よかった………

 どれだけ、押しつぶされそうになったのだろう。兄が、死んだとき。再び出会って、彼の記憶がないと知ったとき。兄の処刑命令が下されていると、聞いたとき。
「……なぁ、」
「ん?」
 顔を上げた夏梨の目の下には、僅かに隈があった。よく見てみると、顔色も少し悪い。満足に寝ることができていないのだろう。
「……いや、何でもない」
 日番谷は席を立ってコップを夏梨に手渡し、玄関へと向かう。
「なんだよ。もう帰っちゃうのか? 夕飯、また食べに来ない?」
「黒崎の記憶を取り戻すための食卓だろう? 遠慮しておく」
 玄関の戸に手をかけ、静止する。チラリと後ろを見ると、彼女は泣きそうな顔で俯いていた。
「……心配すんな。お前の兄貴だろ?」
 以前の同じように言うと、夏梨はか細い声で「うん」と言った。
 玄関の戸を開けながら、こう言葉を投げかける。
「……よく、頑張ったな」
 戸を閉めるとき、中から押し殺したような、喉のつまる声がしたが、日番谷は聞こえないふりをした。

*   *   *

 ベッドの上で胡坐をかき、そこに座る、義骸に入った二人の死神を無言で見つめる。
「……なんだ? じろじろ見やがって」
「何か、言いたそうだね?」
 一角と弓親が揃って言うと、啓吾は「いや…」と言葉を濁した。
「今回は、そのー……何をしにいらっしゃったのかな〜、と……」
「何って、一護の野郎の目を覚まさせに来たんだよ」
 あっけらかんと答える。
「早くしないと、手遅れになっちゃうからね」
 弓親の科白に、啓吾は首を傾げた。
「……手遅れ?」
「あれ? 聞いてない? 彼の処刑命令のこと……」
 啓吾は少し呆けて、大慌てで弓親に詰め寄った。
「しょ、処刑!? 一護の!!?」
「そ、そうだよ。尸魂界で決まったんだ。彼は危険すぎる。殺せ・って」
 彼は、目を剥く。
「な、なんだよそれ!? あんたら、一護の仲間じゃねぇのかよ!?」
「規律に反したら敵。君たち人間と、同じだよ」
 淡々と返す弓親に、啓吾はわずかな憤りさえ覚えた。
「だから、俺らはあいつの味方だ」
 一角を見れば、彼はつまらなさそうにこちらに顔を向けていた。ある意味、呆れているようでもあった。
「言ったじゃねーか。一護の目を覚まさせるって。……俺も弓親も、命令違反で現世に来てんだ」
 命令違反……。
 四文字を口の中で転がして、
「命令違反って、それはそれで、まずいんじゃ?」
「おい……お前、俺たちに一護を殺してほしいのか?」
 げんなりとした顔つきのまま、溜息に混ぜて一角は言った。
 どうも、一護の周りの人間もまた、彼と思考が似ている者が多いようだ。あるいは、一護のせいで周りが変わったのか。自分の都合のいいようにことが運べば良いと思っているが、一方でその際の相手のデメリットにまで頭が回る。お節介だ。
「でも……あの、ありがとうな」
 突然の感謝に、一角と弓親は互いの顔を見合わせる。
「あの恋次ってやつも、ルキアちゃんも、ここんとこずっと、しんどそうな顔してたからさ。井上さんや石田やチャドみたく、俺たちは戦えない。俺たちは、何もできないから」
 一護のことがあってから、高校を卒業して以来ぱったり連絡が途絶えていた友人らとのコンタクトが、再び増えた。水色とたつきも同様にだ。あまり千鶴と連絡をとることはないが、彼女はたつきとまめに連絡をとっている。どこかでは繋がっていた。そして、繋がっていて皆、同じことを思っているのだ。
 自分たちは、役立たずだ、と。
「一護の奴の力になってくれる奴が増えて、悔しいけど、でも、嬉しいんだ」
 啓吾は、彼なりに悩んでいた。今の自分たちに、一護にやってやれることはないのか。どうしてあげたら良いのか。しかし、悩んだところで答えは一つしかなかった。すなわち、“何もしない”ということだ。余計な手出しをして、さらにややこしいことになることを啓吾は、否、啓吾達は恐れた。かつてのアルバイト先であるうなぎ屋に連れて行ったのは、石田達が頼んできたからだ。君たちの方が顔が利く。そう言われて、たしかにそうかもしれないと思ってやっただけのことだ。
 言われたこと以外は、何もできない。それが、彼らの現状だった。
 弓親は、少し髪をかき上げて天井を見上げた。天井の掃除は疎かにしているのだろう、張り付いている埃が見られた。
「……力が全てじゃないんじゃない」
 不思議そうにこちらを見てくる啓吾の方は、向かない。
「僕や一角は、更木隊の隊士だからそうかもしれないけど、現実では力以外が重要な役割を果たすことだってある。よく、心を一つにする、とか言うけど、そういうのもそうさ」
 たしかに啓吾は、織姫らのような特殊な力を使いこなせはしないし、有しているのかは分からない。普通は有していないだろう。だが、彼には霊力がある。他の人々にはできないことを、彼は本当は平然とやってのけている。
 それは、今の一護の姿を、その瞳に映す、ということだ。
 本来ならば、『普通の人間』ならば、それは叶わないことだ。どんなに一護と仲が良くても、今の彼は霊力を持つ者にしか見られない。限られた人間にしか、今の一護とは会話をすることすらできない。
「覚えておくといいよ。君は、『彼の近くにいてあげられる人』だ」
 最初は、よく分からない、と言いたげに首をかしげていた啓吾だが、やがて彼は恥ずかしそうに頭の後ろを掻いた。
「……ありがとうございます。弓親さん」
「何が? 僕は事実を述べただけだけど?」
「寒いこと言ってんじゃねーぞ、弓親」
 痒い痒い、と一角は己の腕をひっかく。
 そこで、ふと、啓吾は初めに自分がした質問を思い出した。
「……で、どうして一角さんと弓親さんは、ここに?」
「ああ!? だから言っただろ、俺たちは尸魂界の命令を破」
「いやそうじゃなくて、どうして、俺の家にいるんスか?」
 暫く沈黙し、一角はカッと目を見開いた。
「居場所がねえからだ!!!」
「なんという簡潔さ!!!!!」
 だが、そうなのだ。彼らは現世に来ると、居場所がないのだ。浦原商店にいれば良い、という話もあるのだが、あそこには色々と喧しい人間がいるし、何となく、元十二番隊隊長が住んでいたというだけで異質に思えてしまう。
 そういえば、いつも騒いでいる義魂丸の入った人形には会わなかったな、と一角は頭の端で思った。
「まあ、そういうわけだから。また少しだけ、お世話になるよ」
 啓吾は無言で頭を抱えた。
 時間がたてば、アルバイトから姉のみづ穂が帰ってくる。彼女は一角(のハゲの部分)がとてもお気に入りなのだ。一角と再会したときの家の中の騒動が容易に想像できてしまい、啓吾は既に泣きたい気持ちに駆られていた。

*   *   *

 クロサキ医院を出て空座町を歩く日番谷は、やはり現世と尸魂界とでは、時間のたち方が随分違うということをしみじみと感じていた。当たり前といえば、あたりまえなのだ。彼らにしてみれば、五十年前はまだ「少し前」の部類に入り得るが、現世ではそうはいかない。五十年というと、人間の平均的な一生の半分以上を占めていることになる。流魂街出身の死神であるからには、己も現世にいたことがあるのだろう。しかし、何だかんだ、人間もあっけない生き物だと思うのだ。
 一軒の家の前まで来て、足を止める。古くなった瓦屋根を見上げた。たった、四年。たった四年で、癒えは古くなる以外に変わりようはないのだが。気にしてしまうのはそこに住む人間の方だ。
 インターホンに手を伸ばしかけて、家の中から大きな笑い声が響いてきたことに気付き、戸惑う。
「……?」
 首を傾げ、改めてインターホンを鳴らした。
 何拍かの合間があり、引き戸がガラガラと音を立てて開かれる。温和な空気を纏った老婆が、顔を出した。
「あらあら、冬獅郎ちゃんじゃないの。久しぶりねぇ」
「ハルばあちゃん……」
 日番谷は、少し驚いた顔をした。
 ハルは、日番谷の知る霊力をもつ人間の一人だ。かつて、まだ一般隊士であった頃に現世に来た日番谷が、偶然出会ったのが最初だ。一人暮らしで、霊が見えるために気味悪がられ、縁もあまりない。だから、現世に来た際には必ず、日番谷は彼女の元を訪れるようにしている。だが、ずっと忙しかったこともあり、ここに来たのもまた、四年ぶりだ。
「どうかしたのかい?」
「あ、いや……誰か、いるのか?」
 家の奥から何やら賑やかな声がしていた。ハルの元へやってきて、今までこんなことは一度もなかった。
「ああ、ほら、前に冬獅郎ちゃんと来た、夏梨ちゃんのお友達よ」

 ――――今度は、あたしも友達連れてくるよ!

 雪の降ったあの日、夏梨は約束通り友達を連れてきたのだろう。
「元気な子たちでねぇ。高校に行き始めてからは忙しくなってるのに、時間を見つけてはこうして休日は来てくれるの」
 声で、サッカーを共にやったあの夏梨の友達だということはすぐにわかった。
「……知ってる。うるせー奴らだよな、あいつら」
「あら、冬獅郎ちゃんも知り合い? なら、きっと喜ぶわ。あがって」
「お邪魔、します……」
 こちらに背を向けて家の中へと入っていくハルの背中を見て、日番谷は自分が最初に感じたものが本物であることに、気付いた。
 ハルは、小さくなっていた。

「あれ!? 冬獅郎!!?」
「うっそ!?」
「わ、ほんとだ!」
「久しぶりだなー、冬獅郎!!」
 ハルに続いて部屋に入ってきた銀髪の少年を見た彼らは、口々に叫んだ。
 四年で夏梨が変わっていたように、彼らもまた変わっていた。以前と比べてもっと複雑そうな服を着て、腰に鎖がジャラジャラとついていたりする。声変わりもしていて、前より少し低い。
 しかし、見慣れた四人だった。戸羽龍平(リョーヘイ)、宇坂和哉(ウサカ)、上原敬(ドニー)、東条院平太(ピン太)。項の部分を剃っていたりしたのに、今ではただ普通に短髪であるだけ。眼鏡だったのに、コンタクトにかえている。アフロだったのに、ストレートで長くなった髪を後ろで結っている。丸刈りに近かったのに、リーゼントの出来損ないのような頭になっている。皆、容姿はそれなりに変化していた。が、性格自体は大差ないようで。
「お前、全然来なさすぎ!! あれから何回サッカーの試合あったと思ってるんだよー!」
「冬獅郎がいれば怖いもんなしなのにさあ〜」
「連絡しようにもお前の電話番号とか知らないし、それくらい教えろよぉ」
「ぼくたち、冬獅郎のこと待ってたのにぃ」
 相変わらず五月蠅い彼らに、日番谷は首を振る。
「俺には俺の予定がある。大体、俺に頼る前に自分たちでどうにかできるようにしろ」
「あれ? 冬獅郎……」
 突然、ドニーが日番谷のことをじろじろと見つめる。
「……縮んだ?」
 その言葉を聞いた瞬間、日番谷のこめかみに青筋が浮かび上がる。
「縮んでねぇ!! てめぇらが伸びすぎなんだ!!!」
 彼ら四人の身長は、夏梨とは比にならないほど伸びていて、今では日番谷が完全に見上げるような状態だ。
 やはり、現世と尸魂界とでは、時の経ち方が違う。
「まあまあ、冬獅郎ちゃん。怒らないで。はい、これ」
 台所から戻ってきたハルは、腰を下ろした冬獅郎の前の机に、茶褐色の皿を置いた。中には色とりどりの甘納豆が盛られている。
「へー! 冬獅郎、甘納豆好きなのか!!」
「じじくせー!」
「うるせえ」
 文句を垂れながらも、彼らも甘納豆をとって口に含んでいる。
 日番谷も甘納豆を食べて、「美味い」と笑った。自分たちを温かな笑顔で見つめているハルを横眼で見た。
(痩せたな、ハルばあちゃん。でも……)
 痩せた、というだけではない。
 全体的に、やはりハルは小さくなっていた。
「冬獅郎、黒崎には会った?」
 ドニーに尋ねられて、我に返る。
「ああ、会ったが」
「どんな感じだった?」
 ウサカが身を乗り出した。
 どんな感じだった、と言われても、上手く説明できるような言葉がない。日番谷が口ごもっていると、
「……俺たち高校バラバラなんだけど、ピン太だけは黒崎と同じなんだ」
 リョーヘイの言葉に、ピン太を見る。彼は視線を逸らした。
「……あの、あいつの兄貴のことあってからさ。……夏梨の奴、笑わないんだよ。学校で」
 脳裏に、つい先ほどあってきた夏梨の顔が浮かぶ。
 強がりながら、しかし涙を流す彼女の顔が浮かぶ。
「遊子っての、いるじゃん。双子で。いつもあいつの近くにいてやろうとしてんだけどさ、夏梨も夏梨で、全然笑わねえから。大丈夫、としか言わねえし」
 日番谷は、こんなところでもか、と思った。
 ――――黒崎。お前は、まだ死んじゃ駄目だったんだ。
 思っても仕方のないことを、思った。


 靴に足をひっかけ、引き戸を開けた。
「じゃあ、ハルばあちゃん。また来るから」
「ありがとうねぇ、いつもいつも……」
「いや……」
 そこで、視線を彷徨わせる。
 先ほど気付いた事実。それは、ハルの霊圧が、四年前と比べて弱くなっているということ。家に寄ってくる霊の数が、前よりも減っているということ。それが何を意味しているかは、死神の誰もが知っている。
「……ハルばあちゃん」
「夏梨ちゃんを」
 ほとんど被せるようにして、ハルは口を開いた。
 穏やかに、目を細める。
「お願いね。冬獅郎ちゃん」
 目の奥が、何故か痛かった。
 俺は今、何を言おうとした?
「……うん」
 日番谷は、やっと頷いた。
 多分、言いたいことは沢山あった。でも言えないのは、生きる世界と死んだ世界との間には大きな壁があることを思い出したから。自分が現世にいるせいで、境目を見落としかけていた。けれど、ハルの方はもう気付いているのだろう。自身の体のことを。
「ハルばあちゃん」
 上手く笑えているかは分からない。けれど人の運命は変わるはずがないから、と。
「元気でな」
 対して、ハルはやはり、柔らかく笑った。
「甘納豆準備して、待ってるわね」
 流魂街の老婆を、思い出した。

 ハルの家から道路へと出ると、思わぬ人物と鉢合わせた。
 マントを着た、破面。
「……あれ、あんた、たしか……えーっと……」
「……日番谷冬獅郎だ」
「ああ、そうだ。日番谷、な」
 頷いている一護に背を向け、歩き出しかけて言った。
「黒崎。話がある」
 ついてこい。
 一人の死神と一人の破面は、ひたすら無言で歩き続けた。




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