We never call him but he answers us.1



 ふぅ、と溜息を吐きながら、廊下を歩く。随分と久しぶりに身に纏った、その白い羽織が異常に重く感じられた。
(…居辛いっスねぇ…本当に…)
 この感覚も、かつて十二番隊隊長に就任したときに味わったが、度合いは今回の方が遥かに上だった。
 多分、浮竹が十三番隊隊長をやめる際に、隊士達に言い聞かせ、浦原を受け入れるようにと命令したのだろう。他でもない、皆の大好きな隊長の願だ。隊士達は浦原が十三番隊に来たとき、満面の笑顔で迎えてくれた。二人の三席・仙太郎と清音も、何かと気を遣ってくれ、就任二日目には彼をお茶に誘いに来た。
 だから、とても辛いのだ。
(まァ…こうなろうだろうとは、思ってましたが…)
 あのとき、副隊長のひよ里は堂々と浦原を嫌がり、受け入れられないと全態度で示していた。隊士達の目の前で、よろしく、と差し出されてきた浦原の手を派手にひっぱたいたくらいだ。おかげで、どの程度心を開いてきてくれているのか、年月を重ねる中で逆に分かりやすかった。
 だが、今回の隊士は受け入れようと努めてくれているのだ。内心では、嫌で嫌で仕方が無いのが、何となく感じられてしまう。気にしないのが一番なのだろうが、それは難しかった。
「……はぁ〜…」
「あー! 隊長!」
 前を見てみると、仙太郎と清音がドタバタとこちらに駆けてきていた。
「どうしたんですか? 溜息なんか吐いて!」
「慣れられねぇんスか!? 俺で良ければ話聞きます!」
「ああっ、小椿ずるい! あたしも!」
 ほら、始まった。明らかに無理して、話しかけてきている。
「大丈夫っスよぉ、ただちょっと疲れただけっスから」
 だから、喧嘩しないで。
 わざとしている喧嘩の仲裁に入るのも、酷である。
 何より、十三番隊は、あまり浦原の性に合っていない。のんびりとしたこの隊と、研究ばかりの十二番隊。隊士の特徴を見ても、全く異なっている。
「そういえば、清音サン。昨日の緑茶、美味しかったっスよ。ありがとう御座います」
「わぁ、本当ですか!?」
 そうやって、あまり嬉しくなさそうに喜ぶ。
「何ーっ!? オメー、隊長にワイロ渡しやがったんだなっ!?」
「“ワイロ”って何よ! 人聞き悪いわね! 贈り物でしょー!?」
 羨ましそうでもなく、二人はズルイと言い合う。
(……キツイっスねぇ…どうも…)
 浦原が一人、苦笑した、瞬間。
「えっ!?」
「なっ!?」
「これは…!?」
 三人の表情は急変し、天を仰ぐ。
 知っているが、知らない霊圧だった。馴染みのあるもので、しかしそこに、虚のようなどす黒いものが混ざっている。
 ――――…一護が、破面になってるのは…知ってるか?
 浦原の脳裏に、恋次の言葉が過ぎっていった。
「……清音サン。仙太郎サン」
 空を見上げて呆けていた二人は、慌てて隊長に視線を戻す。
「は、はいっ!」
「何ですか!?」
 隊首羽織を翻し、言う。
「ちょっと見てきます。できるだけ、隊舎から出ないでくださいネ」
 そして浦原は、瞬歩で消えた。


 無心になってやっていたら、あの恐るべき書類は全て片付いてしまった。
 感覚的にはあっという間でも、体は長い時間たっぷり働いていたので、妙にだるい。目も疲れていて、日番谷は眉間を軽く揉んでから緑茶に口をつけた。
(ったく……色々起こりすぎだ…)
 片付いた書類の山を、見る。後から後から入ってきた書類の枚数により、いつもより随分量が多かった。これを全て終わらせたと思うと、自分は想像できないような長い時間、ずっと書類と向き合っていたのだなと理解できた。
 浮竹の零番隊への昇進。朽木ルキアの強制帰還及び投獄。浦原喜助の永久追放の免除及び十三番隊隊長就任。
 普通、こんなに沢山のことが数日そこらで起こることがあろうか。多少の静かさをもっていた瀞霊廷の死神が落ち着きを失ってドタバタするのも当たり前だ。
「たーいちょっ♪」
 高い声と共に、目隠しをされる。すると、必然的に彼女の胸が、日番谷の後頭部に押し付けられる形になる。
「…何やってんだ、松本」
「やだ隊長、何で分かったんですか!?」
「逆に訊くが、何故分からねぇと思うんだ?」
 背後にいた乱菊が、彼の横に移動して、茶色の器を取り出した。中には、色とりどりの甘納豆が盛られていた。
「…どうしたんだ? それ…」
「さっき雛森が届けてくれたんですよ。三十分くらい、ここに居座ってたんですけど、気付きませんでした?」
「……」
 自分の集中力に、呆れた。
 相手が雛森とかならまだしも、マユリ等が入ってきて、それに気付かない間に執務室を改造されたりしたら、たまったものではない。
「…でも、珍しいな。あいつがこの忙しいとき、自分の隊放って他隊に来るなんて」
 この数日間で様々なことが起こり、それに関する資料や書類が、全隊に大量に渡されている。処理に追われている隊は少なくなく、五番隊もその一つであったはずだ。
「それが…瑠璃谷隊長が怖いらしくて」
「瑠璃谷が? 雛森と仲良かっただろ」
 夜光は元々、上とか下とか、そういった関係を一切気にしない。それに彼女は雛森と同じで、本が大好きだ。二人揃って休暇をとり、図書館に行ったりもしていたはずだ。日番谷達から、雛森に関する事情を聞いたときもにこやかに頷いていたし、彼等が念を押したこともあってか、夜光はとても雛森のことを大事にしてくれていた。雛森も彼女に懐いていたし、怖いなどという言葉を聞いたことはない。
 乱菊が、首をひねる。
「さぁ。よく分からないんですけどねー…」
 何があったのだろう。
 一応様子をみに行ってみようと、日番谷が湯呑みを置く―――。
「っ!?」
「!!?」
 二人は、体が重くなったような気がした。
 霊圧だ。それも、これは、ただ彼の霊圧というわけではなく…。
「松本! 警備を固めとけ!」
「はい!」
 斬魄刀を携え、二人は執務室を飛び出すと、それぞれの行く先へと足を向けた。


 五番隊隊舎の裏庭で、夜光は隊首羽織を脱ぎ捨てて、竹刀を巨木に向けて幾度も幾度も振るっていた。
 彼女に恐る恐る近づいていく隊士は、たった今あみだくじで決まった哀れなる死神である。
「あ、あの…隊長…二番隊から、書類が…」
「隊首室の前に重ねておいて。あとでやるから」
「で、ですが、もう重ねてある書類の量が、あまりに―――」
 夜光が、隊士を睨み付ける。普段は温厚だが、今はその面影がなかった。どちらかというと、十一番隊寄りだ。
「っせぇな! 置いとけっつってんだよ!!」
「ひぃ!!! す、すみませんそうします重ねます喜んで――――っ!!!」
 隊士は猛ダッシュでその場を後にする。
 頬を伝う汗を鬱陶しそうに拭うと、夜光は再び竹刀を両手で構える。
(…ムカつく…)
 ギリッと歯を食いしばる。
 竹刀を高く振り上げる。
(………ああっ……もう……)
 目を血走らせて、
(本っ当に、腹立つっ!!!!!)
 一気に、振り下ろした。しかし、所詮竹刀だ。巨木の幹は、少し傷つけられただけで、微動だにしなかった。
 肩で大きく息をし、岩の上に置いていた水筒を手に取り、飲んだ。
「あ〜…イライラする…」
 何にここまで腹を立てているのか、自分では分からなかった。
 だが、ルキアを尸魂界に連れ戻してから、夜光はずっとこの調子だった。自分はただ、総隊長の命令に従っただけだ。隊長として、正しいことをやったのだ。
「…っもう!!」
 力一杯、水筒を地面に投げつけた。
 どうやって発散しても、し切れない。仕事が手につかない。隊士には申し訳ないと思いつつも、つい八つ当たりをしてしまう。
(…でも…仕事、しなきゃだよなぁ…)
 長い溜息を吐き、隊首羽織と水筒を拾い上げると、隊首室へ戻ろうと足を進める。
 すると、
「えっ…!?」
 突然の霊圧の出現に、体を硬直させる。
 彼女には、見に覚えの無い霊圧だった。死神のような、しかし虚のような、妙な霊圧。
 発生源は、瀞霊廷の上空だ。瞬歩を使えば、そう遠くはない。
「っ…ああ〜、もう、バカ!!!」
 夜光は瞬歩を使おうとして、やめた。
 斬魄刀を部屋に置いていることを思い出したのだ。大急ぎで隊首室に戻り、竹刀を投げ置いて、立てかけていた斬魄刀をひっつかみ、走りながら隊首羽織を羽織って、星陰冠(せいいんかぶり)を背中に負う。
 縁側から上空へと、飛び出した。

 その、霊圧の発生源へ向かう途中、夜光はふと足を止めた。どこからか、叫び声が聞こえる。視線を巡らすと、ある小窓から聞こえてくることに気付いた。
(…なんだろ…?)
 本当は、寄り道などするような状況ではないはずだが、好奇心の大きい彼女は、そっとそこに近づいた。そして、顔を強張らせる。そこは九番隊隊舎牢の小窓であることを、悟ったのだ。
 叫び声は、間違いなくルキアのものだったから。
(………往生際が悪いよ、ルキア…)
 下唇を噛み締め、夜光は踵を返すと、霊圧の発生源へと向かった。


 鉄格子の近くに立っている見張りは、オロオロしながら、延々と壁を叩き続けるルキアに声をかける。
「あ、あの…朽木副隊長…そろそろ、お止めになられた方が…」
 しかし、その声は彼女に届いていない。
 手錠をつけられた両手で、何度も同時に壁を叩いて、小窓を見上げながら叫ぶ。
「一護! 一護!! おるのか!? 聞こえるか!? 護廷十三隊に危害を加えてはならぬ! そんなことになれば、お前は本当に尸魂界の敵になってしまう! お前がそんなことをしていいはずがない! 一護!!!」
「朽木副隊長! 霊圧を封じられた状態での興奮は、お体に負担が!!」
 必死に声を張り上げる見張りを振り向き、睨む。
「ならば私をここから出せ!!!」
「も、申し訳ありませんっ!!!」
 それはできない、と首を横に振りながら、土下座する。
 歯噛みし、ルキアはまた壁に向き直ると、両手を前に突き出した。手錠の鎖が、チャラ、と音を立てる。
「破道の三十三! “蒼火墜”!!!」
 ポヒュッ…。
 鬼道を用いても、霊圧が封じ込められていて、威力は全くといっていいほどない。普段通りなら、この程度の壁を破壊することなど、造作も無いことだろうに。
「くそっ!!!」
 だん、と壁を殴る。震える拳に、力を込めた。
「一護…」
 虚に囚われた、魂。自分に襲い掛かる、大切な人。吸い込まれるような、黒い瞳。そこに映る、自我なき感情。
 自分が向けた、刀。それに刺さる、あの人。

 ――――悪い。キツかったろ。

 徐に置かれた、自分の背に感じられる、温もり。

 ――――ありがとな。

 自身の血に塗れながら、掠れた声で言う。

 ――――ありがとう。

 淋しくないと言いつつも、淋しそうな顔で礼を述べた、霊力を失っていく一護。
 重なる。海燕と、一護が。
 重なる。あのときの自分と、今の自分が。
(…嫌だ)
 体が、震える。
(…どうしたら、いいのですか…)
 壁に額をくっつけた。霊圧が、感じられる。
(分かりませぬ…)
 力なく、へたりこむ。
 自分はもう、副隊長なのに。あの人と同じ階級に、なってしまったのに。
(分かりませぬ……海燕殿…!)
 今でも、かつての師に頼りたくなる自分が、どうしようもなく情けなかった。


 各隊の隊長格が、上空に集まった。
 そして、夜光以外の誰もが目を見開いている。
 彼等の視界にいるのは、破面の姿をし、右目が割れた虚の仮面で覆われ、オレンジ色の髪をした男だった。彼は現世に来たときと同じように、マントを身に纏ったり、フードを被って顔を隠したりはしていなかった。だから、一目見て、誰もが唖然とする。
(オレンジの髪……ってことは…あれがルキアや恋次が捜していた、死神代行…?)
 しかし、どこからどう見ても、破面だ。
 夜光は訝しげに眉を顰める。
「隊長! 警備、整って…」
 下から大急ぎで飛び上がってきた乱菊が、彼を目にして固まる。
「…ちょっと……何、で…」
 走馬灯のように、頭の中で、故人であり、幼なじみだった市丸ギンとの思い出が流れて行く。彼もまた、破面と似た白い服を身に纏って、乱菊らと敵対して。自分を殺すと見せかけて、鬼道で気を失わせて、無茶をして。自分を護ろうとして、散っていった。
(…ギン………)
 血を吐いて、霞んだ瞳で、乱菊を見上げていた。それまでも、あの幼なじみと刀を交えるなんてことはしたくなかったのに、彼は自分を護ろうとしてくれただけなのに、必然的に敵対してしまった。
 嫌な予感が、止まらない。
 時が止まったような彼等の中で、日番谷が、やっとの思いで声を発した。
「…黒崎……?」
 目の前にいるのは、紛れもないあの死神代行なのに、何故か確信がもてない。
 ブラウンの瞳が、彼等を順に映していく。
 眉間の皺は、相も変わらず深かった。





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