We never call him but he answers us.2



 あまり気乗りはしないまま、俺はその日を迎えた。尸魂界に行くために、ユウが昼寝し始めた瞬間を見逃さず、自室を離れた。正直、なんであいつは俺の部屋でいつも寝るんだ。赤ん坊じゃあるまいし。…いや、懐いてくれてるんだけどさ。
 俺は、自分の何かが消え、壊れることような予感があって、尸魂界に行くことを拒んでいた。でも、いざ行こうとしてみると、案外俺自身は落ち着いていた。ただの、「偵察」だ。ちょっと探査神経(ペスキス)で死神共の霊圧の大きさを探ってくればいい。もし戦わなきゃいけねぇような…いや多分そうなるだろうけど、そのときは俺は遊び程度に戦って、相手の力量を分析して、虚圏に情報として持ち帰ればいい。情報なんて、多けりゃ多いほどいいに決まってるからな。
 それに、俺は破面で、あいつらは死神。敵同士だ。何も、迷うことなんかない。
 そう考え出すと、尸魂界に行くことをそこまで拒む必要もないような気がしてきた。だから、気乗りはやはりしないけれど、かなり普通に尸魂界に足を踏み入れることができた。
 相手は、敵。俺の、敵。そう割り切れば、どんなものも怖くない。何故、今更になってこんなことに気付いたんだろう。

 尸魂界で、自分がどうなるのかを深く考えもせず、俺は来た。
 予め分かってさえいれば、俺は絶対に、来なかったのに。
俺はまだ、分かっていなかった。自分が、いかにヤバイところにいるのかってことを。



 大して強くも無い風が、邪魔に思えた。
 それほどに、この空間は静かだ。だが、皆が目を見開いている。唾を飲み込む音さえも、全員の耳に届きそうだ。
「……すげぇな…」
 ポツリ、と一護が呟く。
「まだ俺来たばっかなのに、こんなにすぐ集まるなんてさ」
 探査神経を研ぎ澄ましてみた。
 かなりの霊圧だ。さすが隊長格である。
(……一人、いねぇな…)
 まず、自分の前に並んでいる十一人の隊長格の霊圧。そして、一番隊隊舎の方から感じられる、異常な大きさの霊圧で、計十二人分。
 ふと、脳裏に、自分の肩を掴んでいた、あの変な赤髪の死神が蘇る。彼の霊圧は、かなりの大きさだった。
(…あいつか…)
 あまり、隊長という風格ではなかったが、思い当たるものがそれくらいしかなかった。
 納得し、改めて彼等を眺め、眉を顰める。
「…何で攻撃してこねぇの?」
 また、彼等もそうだった。
 現世に赴いた時と同じように、驚愕して固まっている。
 たしかに、突然破面が現れたら、驚きはするだろう。しかし四年前に戦闘したことがあるはずなのに、死神達の驚き方は尋常ではない。
「黒崎一護」
 ――――ピクッ。
 一護が、振り向く。
 夜一の真似をしたのだろう、随分と髪が伸びた、二番隊隊長兼隠密機動総司令官・砕蜂が、なるべく平静を装って尋ねる。
「貴様、その格好は…どういうつもりだ」
 見ていて、明らかに無理をしていた。何とか声を抑えてはいるが、心の底から怒っているのが一目瞭然だ。
 険しい顔つきの砕蜂に対し、負けないくらい顔を顰める。
 ――――“どういうつもり”…って…?
 ザワリ、と一護の中で何かが蠢く。
「質問の意味が分からねぇ」
 なんだろう。何か、気になる。
 ――――この、女の隊長…さっき、俺のこと、何て呼んだ?
「ま、いいや。自己紹介まだだったよな?」
 オレンジの髪をガシガシと掻き、溜息を一つ。
「俺は破面の、ナリア・ユペ・モントーラ。よろしく」
 同時に、全員が息を呑んだ。
 別人ではない。間違いなく、黒崎一護だ。なのにどうして、聞いたことのない名を名乗るのか。
 呆けている中、砕蜂が一思いに叫ぶ。
「取り押さえろ!!!」
 どこに控えていたのか、隠密機動が一瞬にして彼を取り囲み、抜刀する。

 ――――今の一護は、一護はではないのです!

 哀しそうな顔で、悲痛な声でそう話したルキアを思い出す。直感なのか、檜佐木が慌てて叫んだ。
「待て! だめだ!!!」
 刹那。血を散らせたのは、隠密機動の全員の方だった。
「何っ!?」
 砕蜂にすら、見えなかった。否、分からなかった。
 一護は今、刀を抜いたのか?
「こんなもんかよ…」
 明らかにつまらなさそうに、落下していく彼等を見送る。
 すると、上昇した霊圧を頭上から感じることに気付き、彼は空を見上げる。そこには、凶悪な笑みを浮かべている十一番隊隊長・更木剣八と、その肩にのる同隊副隊長・草鹿やちるがいた。
「いっけぇ、剣ちゃん!」
 一護はとっさに、振り下ろされてくる斬魄刀を響転(ソニード)で避ける。
「よう一護! なんで行方不明だったテメェが、んな格好してんのか分からねぇが、随分腕上げたみてぇじゃねぇか!!!」
 声を発しているだけで、空気が震えるほどの霊圧。
 だが、彼はそんなことを気にしている余裕はなかった。
 ――――行方不明だった、俺…?
一護は密かに喉を鳴らして、混乱しそうになる頭を必死に回転させる。
(イチ…ゴ…? また、この死神も…俺をそう呼んだのか…?)
 名乗ったはずだ。自分は、ナリア=ユペ=モントーラだと。それなのに、どうしてこの死神は、なおも自分を“イチゴ”と呼ぶ?
 やはり、虚圏で考えた時と同じで、何かがたりないような気がしている。そんな自分も、気持ち悪い。
(何でだ…!? 知らねぇはずなのに…何で…!?)
 次に、下方から勢いよく上がってくる霊圧に気付き、あわてて横に跳ねてかわす。
 斬魄刀を抜いた、日番谷だった。
「黒崎! どういうことだ!? 説明しろ!」
 一護が、目を見開く。

(ク、ロ………サキ……?)


 ――――クロサキ イチゴ


 間違いない。たりないものは、それだ。
「何故テメェが、破面になってやがる!?」
(俺が……破面に…『なった』…?)
 自分は元々破面だ。でなければ――――一体、何だ?
 一応斬魄刀を抜きつつも、戦況を眺めていた夜光が眉を顰める。
(…なんだろ…?)
 変な感じがした。
 丁度そのときに、下から雛森が、夜光の傍らにまで舞い上がってきた。
「隊長!」
「桃…」
「…あれって…」
 雛森は、日番谷が刀の切っ先を向けている、その対象を見て言葉を失う。
「…死神代行の、黒崎…一護さん…? でも、なんであんな…」
「…やっぱり、あれ、恋次とかの言ってた死神代行なんだ? ……一応、桃も構えておいた方がいいよ」
 夜光の言葉に頷き、彼女も斬魄刀・飛梅を抜いて構えた。
 日番谷が、必死に声を届かせようと、叫ぶ。
「黒崎!!!」
「っ…うるせぇ!!」
 一護が抜刀し、日番谷を斬りつける。しかし彼は、それを氷輪丸で辛うじて受け止めた。ほとんど、偶然だった。
「死神ってのは、どいつもこいつもこんなに馴れ馴れしいのかよ!? 人を意味分かんねぇ名前で呼びやがって!!!」
 喉に詰まったものを吐き出すように、叫ぶ。
 刀を交えて静止したまま、日番谷は一度眉根を寄せたが、すぐにハッとした。
「お前、まさか記憶が」
 しかし、その言葉を紡ぎ終える前に、彼は一護に下腹部を斬りつけられた。鉄の味が口中に充満し、紅い液体を吐き出すと、体のバランスを崩して落下する。
「隊長!」
 乱菊が傷を負った日番谷を受け止め、一護を見上げる。
「一護、あんた…」
 その科白を耳にし、歯軋りした。
(この、副隊長の、女もかよ…!? また俺を、“イチゴ”って呼ぶのかよ…!?)
 “イチゴ”とは、一体、何だ?
 ふいに、再び殺気を感じたので、彼は飛び退いた。
 刃毀れをした斬魄刀を振り回し、剣八が舌打ちする。
「折角抜いたのに、何で逃げんだよ一護? つまんねぇだろうが!」
 手加減をやめれば、この程度、一護にとっては大した敵ではない。しかし―――
(…恐い…?)
 無意識のうちに抱く感情に、愕然とする。
 剣八を見て、恐怖感を抱いているわけではなかった。何か、かつて、彼を前にして、恐怖し、震え、怯え、逃げ出したくなったような気がする。
 ――――会ったことがないはずなのに?
「更木剣八」
 低く落ち着いた声が響く。
「あぁ?」
 面倒臭そうに振り向く剣八にならって、一護も顔を向けた。抜刀した白哉が、そこに立っていた。
「兄は下がっていろ」
「んだと!? テメェ、一護と殺りあいてぇからって、一人占めする気か!?」
「笑止。そんな下らぬことを、私が考えるわけがなかろう。大人しく下がれ」
 口論を始めた二人を眺め、一護は呆れたように腰に手をやった。
(…そういえば、この二人、仲悪りぃんだっけ…)
 そう思ってから、僅かな間、一護は呼吸をするのも忘れた。
(待て…今、俺……何て?)
 ――――『そういえば』?
 額に手をやる。汗が止まらない。
「ふざけんな! 俺ぁ、今の一護と殺りあいてぇんだ! 記憶はねぇみてぇだが、自棄に強くなったみてぇだからなぁ!!!」
 白哉に向けられた剣八の言葉が、頭の中で反響した。眩暈がする。
 ――――記憶が、ない…?
 足元がふらつかないように、足に力を込めた。それでも頭がグラグラする。
「黒崎サン」
 突然の声に、身構える。
 浦原は、刀も抜かず、ただこちらを見つめていた。
「あ、ナリアサンって呼んだほうが、いいっスか?」
 自分としては、たしかにそっちの方がしっくりきた。
 しかし返答はせず、一護は彼の出方を窺う。
「―――霊圧、乱れてますけど?」
「!!!!」
 言葉が出ない。慌てて霊圧を安定させる。しかし、大して戦ってもいないのに、一護の息は上がっていた。
 これ以上、彼等の言葉を聞いていたら、自分は確実に壊れる。
 そう思った一護は、左手を差し出して、死神達に向けた。霊圧の光が、そこに集中していく。紛れもない、虚閃(セロ)の予備動作だった。しかも感じられる霊圧からいって、ちょっとやそっとの怪我じゃ済まされないような破壊力を誇るものだ。
 瞬間、七番隊隊長・狛村左陣が霊圧を上昇させ、斬魄刀・天譴(てんけん)を掲げ、叫ぶ。
「卍解! 『黒縄天譴明王(こくじょうてんげんみょうおう)』!!」
 鎧兜を身に纏った巨人を召喚すると、それは彼の動きに連動して、巨大な刀で放たれてきた虚閃を迎え撃つ。しかし、かなりの威力の赤黒い光線は威力を殺すことなく、じりじりと大刀を押し返していく。
「ぬぅっ…!!」
 全身に力を込めるものの、あまりに鋭い霊圧に、『黒縄天譴明王(こくじょうてんげんみょうおう)』の腕や肩に切り傷ができ、血が流れ出る。すると、使い手である狛村にも同じ傷ができた。思わず、苦しげな声が漏れる。
 誰もが、助力を試みようとした中で、一足早く動く。
「卍解」
 バサリ、と彼等の視界に、入ってくる少女。
「『白焔虹星陽冠(はくえんこうせいようかぶり)』…!!」
 体の右半身を、薄紫色の着物で包み、その上から真っ赤を腰に括りつけたような姿。
 両手首には、先ほどまではなかった黄金に輝くブレスレット状のものが絡み付いており、右手には、一護が昔所持していた斬魄刀・斬月よりも二回りほど大きい刀が握られている。その刀身は、真っ白な炎で形成されていた。
「瑠璃谷(るりのたに)!」
 檜佐木の声に、卍解した夜光はニッと笑う。
 『黒縄天譴明王(こくじょうてんげんみょうおう)』と一緒になって、彼女は『白焔虹星陽冠』を振るって、虚閃を押し返し始めた。
「すまぬ、瑠璃谷隊長!」
 狛村が礼を述べると、
「いーよ、別に。あたし、犬好きだし」
 と言って、力を込める。
 狛村は、あとで五番隊に出向いて、自分は狼であることを、三度目になるが教えに行こうと決意した。
 夜光は虚閃を迎え撃ちながら、何となく先ほどの一護を思い出した。
(…あの、オレンジ頭の人の、目…)
 まだ、あのときはそこまで霊圧は、乱れていなかったが。
(…何か、悩んでた……、っ!)
 脳裏を過ぎる白い存在。つぶらな瞳。笑う自分。
(……バカ、集中…!)
 力が緩みそうになった自分を叱咤する。
 それから数分としないうちに、虚閃は止まった。
 一護は肩で大きく息をしながら、こちらを見ている。睨んではいなかったが、それでも穏やかな視線を向けてきてはいなかった。
「ホウ、どうやら虚閃は本物のようだネ。これは面白い。君を解剖したくなってきたヨ」
 一人、見当はずれなことを満面の笑みで言う、十二番隊隊長・涅マユリ。
 彼を卯ノ花が軽く手で制し、躊躇い勝ちに口を開いた。
「黒崎さん…何があったか、説明してはくださいませんか?」

 ――――クロサキ。

「俺は…」

 ――――クロサキ イチゴ。

 一歩、後ずさる。固く目を瞑った。

 ――――行方不明。
 ――――記憶がない。

「俺は……っ!」
 そのとき。
 一護と死神達の間に、割って入ってくる影。
「大丈夫か? ナリア」
 髑髏のような割れた仮面を、冠の如く頭に被ったような破面。――――ガレット=スミザーハースだ。
「破面…!?」
 死神の間に、言い知れぬ緊張が奔る。
「ガレット! …ああ、なんとかな」
「らしくねーなぁ。なーんか偵察の割に帰ってくんのが遅せぇと思って来てみたんだけど…」
 ガレットが死神達を見回して、とくに卍解した二人を注視すると、笑った。
「なるほど。こりゃ凄げぇわ」
「だろ?」
 一護が苦笑する。以前は彼等死神に向けられていたその表情を、対を成す破面に向けていると思うと、意味も無く哀しく、腹立たしかった。
「君が彼に何かしたのかい?」
 編み笠をひょいと上げながら、京楽が尋ねる。
 ガレットは眉間に皺を寄せた。
「何言ってんだ? 死神さんよ」
 チラ、と一護を見やる。
「ナリア、“偵察”は済んだか?」
 つまり、彼等死神の情報はとれたか、ということだろう。
「ああ。大体は」
「そっか。じゃ、長居は無用だな」
 言って、ガレットは何も無い空間に、そっと指を触れる。解空(デスコレール)によって、そこに裂け目が生み出され、虚圏へ帰る道を開いた。
「あ…待て!!!」
 砕蜂が叫ぶ。
 夜光と狛村は顔を見合わせ、こくりと頷きあうと、同時に動いた。
「たああぁあぁあっ!!!」
「はああぁぁぁあっ!!!」
 去ろうとする二人に向かって、ガレットに対しては本気で、一護に対しては若干緩く、それぞれの大刀を振り下ろす。
 しかし、一瞬早く、一護とガレットは消えてしまった。
「うむぅ!?」
 狛村が慌てて刀を横に逸らす。
「わっ、ヤバっ!?」
 夜光も慌てて刀を横に逸らす。
 互いの攻撃をぶつけ合わずには済んだが、二人自身が派手に衝突した。体の小さい夜光が、軽々と吹っ飛ばされる。
「縛道の三十七! “吊星”!」
 雛森がとっさに縛道を用い、霊圧の床を作り出した。
 その真上に彼女はぶつかり、ようやく落下が止まる。
「大丈夫ですか!?」
「いっつつつ…間に合うと、思ったんだけどなぁ…ってて…」
 衝突したためだろう、額にできた傷に手をやり、顔を顰める。そして、血のついたその掌を見つめ、夜光は表情を曇らせた。
「……―――――――――…………」
「…え?」
 雛森が、不思議そうな顔をした。それに気付き、自嘲気味に笑ってみせる。
「何故、黒崎が…」
 息を荒げつつも、日番谷が呟く。
 彼が一護から受けた斬撃の傷は、かなり深かった。血が未だに滴り落ちている。
「それはまず治療をしてからにいたしましょう、日番谷隊長」
 スッと日番谷から夜光へと、卯ノ花が視線を移す。
「勿論、瑠璃谷隊長、あなたもですよ?」
 霊圧の床から体を起こした。
「え、大丈夫ですよ? 卯ノ花さん。頭だからちょっと出血多いけど、この程度で四番隊にお世話になるわけにも」
「来ていただけますね?」
「………ハイ…」
 卯ノ花から、有無を言わさぬ調子の上に満面の笑顔で言われた夜光は、大人しく頷いた。そして、傷を負った日番谷、狛村、夜光と、隠密機動の者達、その付き添いの乱菊と雛森らは、四番隊隊舎へと向かい、残りの無傷で済んだ隊長格は、今回のことを総隊長に報告すべく、一番隊隊舎へと向かった。




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