No matter how hard I try, I can't be saved.5



 織姫の鼻歌に、ぐつぐつという音が被る。これ以上増えなくてもいいのに、彼女はキッチンでまだ何かをやっているらしい。
 テーブルの周りを囲むようにして座っているのは、石田、チャド、恋次、ルキアの四人だ。汗を流し真っ青になっているのは、四人全員が該当する。
「……阿散井…」
 石田に睨まれ、恋次は鍋から目をそらさず答えた。
「何だよ…?」
「一体何があってこうなった…?」
 無言である。
 彼等から怒りや恨みといった思念が込められた視線をぶつけられたが、恋次とて被害者の一人だ。
 ルキアが鍋を見つつ、ごくりと唾を飲み込んだ。
「…何を入れたら、この色になるのだ…?」
 泡を浮かばせては消えていくその鍋の中は、面白いほどに紫一色だ。ルキアは紫といえば、葡萄か茄子かしか思いつかないのだが、いずれの色とも異なっている。
 “毒々しい”というより、鍋の中身そのものが最早“毒”だ。
「完全に、罰ゲームだな…」
 チャドも冷や汗を流している。鉄骨などを受け止めても無傷であったりするアイアンボディの彼といえども、内側からの攻撃をも跳ね返せるとは思えなかった。
 本当は、一護の情報をもっていそうな(もっていなくとも彼の本質を知る)者は、呼んでしまおうと考えていた。だが、啓吾にせよ、たつきにせよ、水色にせよ、皆は断固拒否したのだ。
 石田達も拒否したかったのだが、彼等は織姫直々の招待である。行かないわけにもいかなかった。
「おまたせ〜!」
 コンロの火を消し、笑顔でテーブルの方へ戻ってくる織姫。…ちなみに、謎のメニューを持って、である。
「えーと……」
 ただでさえ死ぬ確率は高いというのに、彼女の持つ器の中は、辛うじてアイスであるだろうということが分かった。そもそも、何故アイスを作るのに火を用いるのかが、理解できない。
「あ、これ? デザート! でも冷蔵庫にスペースがないから、ちょっとそこに置かせてね!」
 おぼんごと絨毯の上に置く。凄まじい異臭に、彼等は顔を顰めた。
 織姫は石田の隣りに座ると、何だか突然無性に懐かしくなって、頬を緩める。
「なんか、四年前みたいだね!」
 お別れをしたときのルキアは、とても淋しそうだった。もう会えないのだろう、と無条件にも石田達は思っていた。だから、死神の二人をまたまじえて、こうして話せる今が、実は信じられなかった。
「…そう、だな」
 ルキアが悲しそうに笑う。
 チャドとルキアの間には、丁度一人が入れそうな、不自然な空きがあった。
「……次のときは、死神一人が増えての、鍋だな」
 石田の科白に、皆が頷く。そうであって欲しい。
 もう人間としての彼が死んでしまった事実は覆らない。でも、魂魄はまだ消滅したか健在なのか、謎だ。それなら、彼のことだからきっと健在、そして死神になるに決まっている。死神代行ではなく、本物の死神だ。
「あいつだけ鍋を食べに来ないのは、不公平だしね」
「うん、そうだね!!」
 即答して笑う織姫だが、彼女は石田の言葉の、本当の意味を理解していない。
 理解している側である恋次は一人、付け足された言葉に関して、恐ろしい奴だなと目を細めた。
 なんとしてでも。なんとしてでも、一護を見つけなければ。
 考えて、全員の中の空気が張り詰める。
 織姫はなんとか場を和ませようと思ったのだろう、パン、と手と手を合わせ、景気よく音を鳴らした。
「じゃあ、そろそろ食べよっか!」
 その言葉を聞いた瞬間、全員の表情が凍りつき、別の意味で、空気が張り詰めた。
「あれ…? どーしたの、みんな?」
「え!? い、いや、なんでもないよ、井上さん」
 石田が引き攣った笑みを浮かべると、織姫はその彼の器をとった。
「はい、石田君!」
 たっぷりと謎の具をとり、器を石田に返す。彼の顔色は真っ青になるばかりだ。器にとるときだけでも、鍋から謎の物体がいくつか顔を見せたので、彼等の恐怖心はいっそう大きくなった。
 無論彼だけでは留まらず、織姫はご丁寧にも全員がその鍋の中身をよそってくれた。もうここまできたら、観念して食べるしか道はないのか。
(夕飯でこんなことになるなんてな…)
 チャドが現世に未練がないかを考え始める辺り、織姫の料理の破壊力は絶大なのだということが分かる。しかし、とうの彼女には全く悪気がない(寧ろ好意的な)行動であるので、余計に始末が悪かった。
「――――?」
 ルキアが何かを感じ、顔を上げる。他の彼等も、不思議そうに天井を見上げた。

 霊圧…?

 そして次の瞬間、皆が目を見開く。
 何か不思議なものは、たしかにある。しかし、この霊圧は忘れるはずのない人物のものだ。
 今まさに箸に手をつけようとしていた誰もが、素早く立ち上がる。
「恋次っ!!」
 隣りに置いていた斬魄刀を乱暴に掴み、ルキアがベランダへと駆ける。
 確認しなくては、今すぐに。この霊圧が、また何処へと消え去ってしまう前に。
「先行くぜ!」
 石田達に振り返らず告げ、彼もまたベランダに出る。
 二人は、弾丸の如くそこから飛び出した。
「俺達も…」
 チャドが言うなり、玄関へと走り出す。
 その後ろに、織姫と石田も続いた。


 空座町北部の上空に、薄汚れたマントを身に纏い、フードを被った男と、同様の姿をした少年がいた。少年は町中に下りて行きたそうに男を見上げるが、彼はそれをよしとはしない。頬を膨らます少年を、男は笑って撫でた。
 しかし、その表情は急変した。何かが、こちらに物凄い勢いで近づいてきていることに気付いたのだ。
 少年が不安げに、男にしがみついた。
 すると、瞬歩でそこに現れたのは、死神――――ルキアと恋次だった。
 男は訝しげに眉を顰める。
 対し、ルキアと恋次は二人揃って表情をゆるめた。見慣れない姿をしているのが、間違いなかった。フードの下からチラ、と見えるオレンジ色の髪。こちらを見ているブラウンの瞳。そして、馴染んだ彼の霊圧が、この男を、黒崎一護であると証明していた。
 聞きたいことは山ほどあったが、彼の魂魄が消滅していなかったことにとにかく安堵する。深く息を吐き出し、ルキアは微笑んだ。
「無事……だったのだな、一護……」
 一歩、近づく。
 すると、一護にしがみついていた少年が、ビクリと身体を震わして彼の後ろに隠れた。
「……大丈夫だ。な?」
 優しげに言葉をかけてやる。
 コクリと頷く幼年は、ルキアと恋次を見て明らかに怯えていた。
「何だァ、そいつ? 一護の知り合いか?」
 恋次も彼が見つかって嬉しいのだろう。最近とはまるで違い、覇気のある声をしていた。
 問いかけに、一護は二人に向き直った。
 こちらを険しい顔つきで、睨み付ける。
「テメェらこそ――――何者だ!?」
 
――――え?
 
ルキアと恋次は黙り、呆然とする。
 今、彼は、何と言った?
「答えろ!」
 一護そのものだった。
 少年を護ろうと、心の底から思っている。彼のために戦おうと考えている。敵を必ず退けようと決意している。
 …しかし。
 一体、誰が予想しただろうか。その敵の対象が、仲間である自分達とされるなど。
 そこで、遥か下ではあるけども、石田達が走ってきた。幸い織姫のマンションからそこまで遠くではなかったので、人間の足でも早々に追いつくことができたらしい。
 彼等も瞬時に空に立つ男が一護だと気付いた。しかし、それにしても様子がおかしいと思い、眉を顰める。
「ど…どうしたのだ、一護?」
 冗談だと思い、もう一度、呼びかける。
 一護は警戒心を強め、
「さっきから“イチゴ、イチゴ”って……それ、俺のことか?」
 そう、訊く。
 信じられない、の一言に尽きた。一護はその名でさえ、“それが自分のことか”と言ってきたのだ。こちらには、敵意を向けたまま。
「誰と勘違いしてるかなんて知らねぇが…」
 ――――勘違いなんかではない。
 恋次の喉は、カラカラに渇いていた。
「俺の名は、ナリア…」
 彼はフードを外した。
 皆が目を見開く。オレンジ色の髪、ブラウンの瞳、眉間に相変わらず刻まれた皺。そこまでは、以前の彼だった。
 そして、一護の右目から頬にかけてまでを覆った、虚の仮面が露わになった。
「ナリア=ユペ=モントーラだ」
 思わず、恋次は勢いよく彼に掴みかかろうとした。
 当然だろう。
 皆が今、目にした一護の姿。それは、四年前に呆れるほど沢山目にした、破面そのものだったのだから。
 しかし、カチャリ、という独特の音を聞いて、恋次の動きは停まった。
 一護が、腰にさした斬魄刀の柄に、手をかけていることに気付いたのだ。
「近づくな。近づけば斬る」
 少年を、護ろうとしている…。
 その姿を見、ルキアは震えた唇で言葉を紡いだ。
「貴様……斬月は…どうしたのだ…」
 眉間の皺を、一層深く刻む。
「…何のことだ?」
 あまりのことに、彼等は息を呑んだ。
 そのとき、ずっと一護の背後に隠れていた少年が、彼の手を引っ張る。
「ナリア兄ちゃん…」
 怖いよ…。
 少年の瞳が、自分にそう訴えていた。あまりここに長居するのは、よくない。
「分かってる…行くぞ、ユウ」
 一護が何も無い空間に、そっと人差し指を触れた。すると、そこに裂け目が生み出され、現世以外の何処かへと通じる扉を開いた。かつて破面のウルキオラ・シファーが現世から虚圏へと退散する際に用いた、解空(デスコレール)である。
 ユウと呼ばれた少年は、その裂け目に入り込む。一護も続いて入り込もうとし――――肩を、掴まれた。
「っ!」
「行かせねぇ!」
 恋次は強く、彼の肩を掴んだ。絶対に行かせない、その思いから、自然と力は強まる。
「ナリア兄ちゃん!」
 ユウが泣きそうな声で叫ぶ。
「ユウ、先に帰れ! 俺もすぐ行く!」
「……っ…わかった!」
 一歩後ろに下がったのを確認して、一護は手を強く振った。すると、そこにあった裂け目は素早く消え去り、ユウの姿は見えなくなった。
 静寂が訪れ、一護は恋次の手を払い除けもせず、ポツリと言った。
「……離せ。死神」
「……断る」
 彼は振り向き、心底鬱陶しそうに恋次達を睨んだ。
「じゃあ、どうすんだ? テメェらから、どういうわけか殺気も敵意も感じねぇ。…何のために俺を引き止めるんだ」
 ギリ、と奥歯を食いしばった。
 目を吊り上げ、睨んでくる彼の瞳を真正面から受け止める。
「決まってんだろ…! 何処の世界に、仲間が敵の下に行くのを止めねぇ奴がいんだよ…一護!!!」
 “イチゴ”…。
 コイツは、またその意味の分からない名で俺を呼ぶ。
「…もっかい、言う。離せ」
 語気を強めた。しかし、彼もまた、同じように返す。
「断る! 何度訊かれてもな!!!」
 ふっ、と。一護が顔を伏せた。
「…………そうか」
 彼は、顔を上げると同時に斬魄刀を抜いた。それは綺麗な軌跡を描き、恋次の肩から腰辺りまでを、鮮やかなまでに無駄のない動きで傷つけた。
「恋次っ!!!」
 一瞬にして斬りつけられた恋次は、血しぶきと共に落下していく。
「“三天結盾”!」
 この状況で、よくこの判断ができたものだ。織姫のヘアピンから、火無菊、梅厳、リリイが飛び出し、三天結盾を張って、落下してきた恋次を受け止めた。
「…!」
 改めて舞えを向くと、一護がルキアに斬魄刀の切っ先の向けていた。以前の一護なら、有り得ない行動だ。
「どうしても俺を引き止めるってんなら、俺はお前等を斬っていくぜ」
 敵を見る目――――。
 ルキアは辛そうに顔を伏せた。
「お前は、もう…私達の仲間ではないのか…?」
「“もう”って…俺は初めから、テメェらの仲間じゃねーぞ?」
 当たり前のように、言い放った。
 ――――違う。
 一護は、仲間だ。仲間なのに。あんなにたくさん、共に戦ってきた。だけど。
「………忘れて、しまったのか…何もかも…」
 忘れた? 自分が? 何を?
 先ほどから何を言っているのだろう、この娘は。
 一護は首を傾げた。
「許、さぬ…!」
 許せない。
 自分達に、刀を向けてきた一護が。
 全てを忘れてしまった一護が。
 こんなに心配して、やっと会えたと思ったのに――――!!!!!!
「私は貴様を、絶対に許さぬっ!!!」
 涙が立ち込めた瞳で、怒りと悲しみと苦しみを込めた表情で、ルキアは叫んだ。そして彼女は、恋次らを追うようにして、町中へと瞬歩で去った。
 一護は、意味が分からなかった。自分はそんなに怒らせるようなことを言っただろうか。敵とはいえ、心情が全く持って理解できなかった。そんなに怒っているのなら、攻撃をしてくればいいものを、それをしようとはしない。

『――――――――さぬ…!』

「……?」
 頭に響く声。
(何だ……?)
 泣きそうな、女。苦しそうに、願うように、表情を歪める、黒髪の女が見える。
 見たこともない、映像だ。
(……見たことが、ない…?)
 ……否、ある…?

『私は貴様を、絶対に許さぬ…!』

「…っ……」
 一瞬の眩暈。
(何だ…? 今の…)
 幾度か頭を振り、一護は踵を返した。そして、空間に、先ほどと同じように人差し指を触れる。裂け目を生み出し、彼はその中に入り込む。
 馴染んだ霊圧は、現世から消え去った。




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