No matter how hard I try, I can't be saved.6



 一行は、織姫のマンションへと戻った。
 道路の中央で恋次の治療にあたるわけにはいかなかったからだ。
 鍋をテーブルごとどかして、リビングに広いスペースを作る。石田とチャドはそこに、肩を貸していた恋次をゆっくりと寝かせた。彼の肩口から大量の血が、絶えず流れ出ている。
「“双天帰盾”」
 言霊をのせると、織姫の胸ポケットにつけられたヘアピンから、舜桜とあやめが出てきて、暖かなラグビーボール状の光で彼を覆った。
 肩から腰までの大きな傷が、少しずつ閉じていくのを目にしつつ、石田が呟く。
「……さっきのは…黒崎、だね…?」
 疑問系なのは、確信がなかった故である。
 一護自ら、仲間を斬りつけたなど、俄かには信じられなかった。下にいた彼等は、ルキアや恋次が、一護とどのような話をしているかは分からなかったのだが、少なくとも普通の再会でなかったことは認識している。
 膝の上に固く握り締めていた拳を、震わせた。
「…どうしてだ………っ…」
 皆がルキアを見る。
「どうして、こんなことに………っ!!」
 疑問と悲しみばかりが、残る。
 眉一つ動かさず、恋次を斬った彼が、頭から離れない。

 ――――テメェらこそ、何者だ!?

「何故忘れているのだ……何故私達が分からぬのだ…!」
 全員、俯くしかなかった。答えは誰にも分からない。
「…い……一、護……」
 突然の声に、一斉に恋次を見下ろす。傷はふさがり、彼の意識が随分と早く浮上したらしく、僅かに顔を顰めつつも目を開いていた。
「あいつ……なんで…」
 “何で”“どうして”“何故”
 その言葉しか、今の彼等の口からは漏れない。
 身体を起こし、傷のあったところに手を添える。自分は斬られたのだ。紛れもない一護に、斬魄刀で、彼の意思で。
 唇を噛み締める。怒りより、辛さが大きい。
 魂魄が消滅してしまったのではないか、と思い、必死に捜した彼から、このような「挨拶」を受け取ることになるなんて、予想できなかった。
 ナリア・ユペ・モントーラと名乗っていたし、姿は破面だし、ひょっとすると他人の空似ではないかという気がしてくるが、会った瞬間に気付いてしまったのだ。心も魂も、彼は黒崎一護だと、叫んでいる。
「きっと…何か、あったんだよ」
 そういう織姫も、自信なさげに瞳を彷徨わせる。
 いつもなら、皆、無条件に彼を信じるだろう。だが、たとえ何があっても、一護は仲間を傷つけるようなマネはしないという確信があった。それだけに、あの現場を見てしまった彼等は、何も言えなくなる。
「…俺は…」
 チャドが、ゆっくりと言葉を紡ぐ。彼の頭にあったのは、中学時代、初めて約束を交わしたときの、あの一護だった。

 ――――俺のために殴ってくれ。俺は、オマエのために殴ってやる。

 ――――約束だぜ。

「一護を、信じたい…」
 彼が言うことは、よく分かる。皆、一護を信じたいのは同じだ。
 ルキアは小さく頷くが、片手を額にもっていき、深く俯いた。
「だが、どうすればいいのだ…! 今のあやつには、私達は分からぬ…あやつの心(なか)に私達はおらぬ…何をしてやればいいのだ…!!!」
 いくら呼びかけても、一護は表情を変えなかった。それどころか、彼は自分の名前すら、忘れている。大好きな亡き母がつけてくれたはずの名前に、今はもう反応しない。
 部屋の中は、シンと静まってしまった。

   *   *   *

 書類に筆を走らせ続ける日番谷を見て、乱菊は溜息を吐いた。彼女の向かいのソファに座っている八番隊隊長・京楽春水は、苦笑する。
「さっきから、ず〜っとあの調子なのかい?」
「そーなんですよ…話しかけても無反応で…。多分、京楽隊長が来てることにも気付いてませんよ」
 恐るべし集中力である。集中力というより、考え事をしつつ機械的に仕事をこなしている、というのが妥当なところか。
 机の下に積み重ねた書類の一枚をとり、乱菊がチェックを入れ始めた。それを見て、京楽は意外そうに眉をあげる。
「仕事するのかい?」
「もー、私だって副隊長ですよ? するに決まってるじゃないですかぁ〜!」
 彼女はただ、この多くの書類の中に、一護に関する何かがないかを調べたいだけだ。
「ていうか、京楽隊長こそ、何でここに来てるんです?」
「ん? いやね…」
 傍らに置いた編み笠を持ち、適当に触る。
「浮竹を捜してるんだけどさァ…」
 触れていた編み笠を頭にかぶった。目元が見えなくなる。
「今朝から見つからなくてね…日番谷隊長のところに来てるのかな〜と思ってたんだけど」
 立ち上がり、溜息を短くついた。
「どうも、外れみたいだねぇ…これじゃ、あのときみたいだよ……」
「あのとき?」
 乱菊が訝しげに眉を顰めるが、京楽は気付かぬように踵を返す。
「それじゃ、またね」
 そして、彼は執務室から出て行った。
 そのときに日番谷が舌打ちをした。驚いて乱菊が振り向くが、彼は相変わらず隊務をこなすだけである。
 何か、尸魂界にも起こりそうだ。
 直感的に、そう思った。

   *   *   *

「分からぬではないか………」
 ルキアはがっくりとうなだれた。
 もしかしたら、一護が記憶を失うことになった原因も、皆で話し合えば分かるかもしれない。そんなわけで、当初の予定通り(ただし織姫流闇鍋は皆の懇願によって中止になった)行われた話し合いだが、まとめられた点は、
「黒崎が死んだ日の周辺で、三日間程度の僅かな虚の増加と、携帯の数分間の不通…」
 で、ある。
 石田は参ったなとでも言うように、グシャグシャと髪を掻き乱す。
「妙なことがあったのは確かだけど、頼れる情報じゃないか…」
「俺も、あの日は大学で講義を受けていて、とくにこれといったことは感じなかった…」
 チャドは目を瞑り、考え込む。
 夜の十時で、彼等はずっと考え続けている。遅くまで外にいようと怒られもしない石田達は、こういうときは本当に自由だ。

 ズンッ………!

 現世に新たに現れた霊圧に、ルキアと恋次は呼吸をするのを忘れた。
「な…何…!?」
 織姫が狼狽しつつ呟く。
「昨日の夜感じた霊圧と、一緒だな…」
 霊圧の感知能力に長けた石田は、あくまで冷静に返す。
 ――――まずい。
 ルキアと恋次が、ベランダから空を見上げると、そこから見えるところの空中に、夜光が立っているのが確認できた。二人はベランダの柵を蹴って、マンションの屋上へ向かった。
 石田、織姫、チャドの三人も、何事かと屋上へ向かう。


 全員が屋上に着くと、空に立っていた夜光は、ゆっくりとそこへ降り立った。
「死神…?」
 見覚えのない彼女に、チャドは眉を顰める。
 隊首羽織を着ていることから隊長であることは分かったが、知らない死神だった。
「……総隊長もお怒りだよ。そろそろ本気で帰ってきてくれない? 恋次隊長、ルキア副隊長」
 その一言に、人間の彼等が顔を見合わせた。
「…隊長、副隊長…?」
 恋次とルキアは、それぞれその証である隊首羽織と副官章を尸魂界に置いてきていた。だから、三人とも、そこまでの変化はないと思っていた。少し容姿が、髪が伸びる等で変わっただけ。
「昇進してたのか…」
 チャドが呟くと、夜光は彼に頷いた。
「あなたたちが現世の子か。二人からよく話には聞いてたけど…そう、恋次もルキアも、今は三番隊隊長と九番隊副隊長なんだよ」
「んなこたぁどうでもいい」
 恋次が吐き捨てるように言った。
「昨日来てダメだったのに、また来たのかよ? ご苦労なこったな!」
「うん。だから三度目は遠慮したいかな…」
 すると、夜光が鞘から斬魄刀を引き抜いた。
「今日はもう、最初から力づくのつもりで来たよ」
 青眼は、昨日よりずっと静かに光っている。
 彼女が怒る時の、独特の冷静沈着な様は、いつ見てもある“恐れ”の感情を掻き立てる。
「そこにいる人間達」
 斬魄刀で、石田、織姫、チャドを順々に指し示す。
「あたし、はっきり言って不器用だから、そこにいられると死んじゃうかも。どこでもいいから隠れててくれない?」
「な、何を…!」
 思わず反論しようとした石田を、ルキアが手で制した。
「すまぬ、石田。…お前達は夜光殿が言うように、少し下がっていてはくれぬか」
「朽木さんっ…!」
 織姫が心配そうに声をかける。ルキアは微笑み、安心させるように頷いてみせた。
 恋次が僅かに息を吐き出すと、彼女と共に抜刀した。
「…やりたくて、やるんじゃねぇぞ」
「もち。それは、あたしも」
 ギュッ、と。刀があることを確認するように柄を握りなおすと、夜光は口を開いた。
「『希(のぞ)め、“星陰冠(せいいんかぶり)”』」
 瞬間、夜光の斬魄刀・星陰冠はパープルに輝き、その形状を変化させていった。
 パープルの光が弾け飛ぶと同時にそこにあらわれたのは、全体を薄紫で彩り、鍔に謎の文様が描かれたレイピアだった。
 二人は、斬魄刀を構えたまま夜光を窺った。
 その様を見て、織姫は息をのんでから、手を前に差し出す。
「“三天結盾”」
 盾を張り、力を集中させる。
 チャドは、前にいる三人の死神を眺め、
「…すごい霊圧だ…」
 現に、ルキアも恋次も以前より霊圧が格段に上がっていた。だが、ここは現世だ。隊長、副隊長の位である二人は、限定霊印を押してきているはずで、その霊圧の限定率は八十パーセント。全力はこの五倍だ。容易に想像することはできなかった。
「怪我しても、あたしのせいじゃないからね」
 夜光が始解した星陰冠を高く構える。それを見て、恋次はハッと目を見開いた。
「ルキアっ!!!」
「分かっておる!!!」
 すぐさま背中合わせで立ち、二人同時に叫んだ。
「「縛道の八十一! “断空”!!!」」
 間髪入れず、夜光は声を発す。
「“剣舞”」
 まるで華麗な踊りのように、彼女は斬魄刀を振るった。そこから放たれていく斬撃は、青や緑に染まり、視覚化されて二人に迫る。
 しかし、その全てが、恋次とルキアの繰り出した縛道・断空による防御壁によって、完全に阻まれる。
「す……すごい…」
 石田は自分の目を疑った。
 恋次が、たった四年の間にここまでの上級鬼道を、しかも詠唱破棄で扱えるようになっているとは。
 四年前、虚夜宮(ラス・ノーチェス)に乗り込んだとき、暗いので明かりを灯そうと、かっこつけて詠唱破棄で「破道の三十一・赤火砲」を使ったところ、上手く霊力をコントロールできなかった恋次を彼は知っている。ザエルアポロ・グランツと戦った時など、それを逆に利用したくらいだ。
 斬撃の一部が、織姫の張る“三天結盾”に直撃する。
「わっ!?」
 あまりの強さに、彼女の腕が痺れる。
「大丈夫か…?」
「う、うん…平気」
 チャドに頷きつつ、改めて“三天結盾”を張りなおした。
 今度は強く気持ちをもち、強度を上げる。
(強く、なってる…)
 ここまで、夜光の“剣舞”に威力があるとは思っていなかった。それを彼等二人は、防ぎ続けている。たったの一部を受けて怯む自分が、とても無力に思えた。
 “剣舞”が終わると、恋次は縛道を解いて飛び出した。
「『咆えろ! “蛇尾丸”』!!」
 力強く振るった蛇尾丸の刃が、七枚の刃節に分かれる。蛇のようにうねり、夜光めがけてのびていくが、彼女は目を細めると、星陰冠を反転させ、
「破道の五十八! “天嵐(てんらん)”!」※注
 竜巻が起こる。伸びていた蛇尾丸の刃が風にさらわれ、思いもよらぬ方向へと天を走った。
「うぉ!?」
 突然のことに、危うく恋次の身体もそちらへと引っ張られるが、何とか踏ん張って堪えた。
「『舞え、“袖白雪”』!」
 斬魄刀全体が純白に染まり、柄の先端からヒラリとリボンのようなものが流れる。これもまた純白である。
「初の舞・『月白』!」
 ルキアが素早く袖白雪を操り、巨大な円を数秒足らずで描く。すると、鋭い光が天へ届くまでに立ち、それらは凍りつく。氷柱の中に、竜巻を閉じ込めたのだ。
 氷柱がガラガラと音を立てて崩れる頃には、竜巻も消滅していた。
 夜光は斬魄刀を一旦おろす。
「とっさに斬魄刀の能力を応用して、鬼道をおさえる…よく思いつくね、そんなこと」
 だけど、と付け足す。瞳が剣呑に帯びる。
「ほんっっっとに、そろそろ怒るよ…?」
 限定解除をしたのではないかと錯覚させられるような、霊圧の爆発的な上昇。
 恋次とルキアはたじろぎ、顔を引き攣らせた。
「や…やっべぇな、これ…」
 ルキアが、一歩前に出る。
「ルキア?」
「恋次…我々は、まだ尸魂界に戻るわけにはいかぬ。まだ何も、分かっていないのだからな」
 その通りだ。だから夜光を退けようと、今必死に戦っている。
「良いか。霊圧は常に閉じろ。虚が出れば、井上たちに頼め。尸魂界に気付かれたらまた面倒になる」
 恋次が眉を顰める。ルキアが何を言おうとしているのか、分からない。しかし、彼女がこちらを振り向いた瞬間、気付かされた。ルキアはニッと笑ったのだ。
「頼んだぞ!」
 そして、瞬歩で夜光に近づく。
 面食らったように、彼女が目を丸くする。
「待て! ルキア!!」
「縛道の六十一! “六杖光牢”!」
 ルキアと夜光に、六つの光が胴に刺さり、向かい合った状態で固定される。こうして互いが近すぎるときに“六杖光牢”を使用すると、放たれた対象は無論だが、それを使った自身も六つの光に捕らわれてしまう。
 いつしか、村正の力によって斬魄刀が反乱を起こしたとき、ルキアは袖白雪を相手に全く同じことをやっていた。
「逃げろ、恋次!」
 ルキアの声。恋次は、動けない。
 だって、ここで逃げたら、ルキアは――――……!?
 夜光が身をよじったが、縛道を無理矢理解くのは魂魄に多大な負担を強いる。顔を顰めた。
「くっ…! ルキア…お前……こんなこと…!」
 許される行為ではない。こんなことをして欲しくはなかった。
 そこで、ルキアは怒声に近い声をあげた。
「早くしろ!!! 私の努力を無駄にする気か!!!??」
「―――――――――っ!!!」
 恋次は瞬歩で、山の方へと逃走した。勿論その最中、霊圧を消す。
 息を吐くと、ルキアは夜光と自分の間に、そっと手を差し出す。
「ちょ…ちょっと、ルキア…!?」
 この構えは、明らかに鬼道を扱うときのもの。
 だが、このような至近距離で放てば―――、
「申し訳ありません、夜光殿…ですが、私も恋次も、今回は尸魂界に従う気は…ありませぬ!」
 ポウ、と手が青白く光る。
 織姫が自分の名を叫んだ気がするが、構わず言葉をのせた。
「破道の三十三、“蒼火墜”!!!」


 ―――――――ドォン!!!!!




※注:破道の一つである「てんらん」ですが、システム上「てん」の漢字が認識されなかった関係上、「天」という当て字で代用しております。


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