No matter how hard I try, I can't be saved.4



 翌日の昼。太陽が一番高いところにある時間帯に、織姫は自宅のマンションへと戻ってきた。階段を上がりきったところで動きが止まったのは、まさか昨日の今日で来るとは思っていなかったからだろう。403号室の前に、恋次が胡坐をかいて座っていた。
 彼はこちらに気付くと、顔だけ向けて僅かに口角を吊り上げた。


 鞄の中をあさり、大学に提出するものであるレポートをテーブルの上に出す。
 恋次は部屋の中を見回してから、腰帯から斬魄刀を抜き取って脇に置き、座った。
「帰ってくんのは、昨日みてぇに夜だと思ってたがな」
 何となくレポートを見ると、そこに“カウンセリング”という文字が印刷されているのが分かった。
聞いた事もない言葉に、恋次は眉を顰めて首を傾げる。
「あはは…今日は、午前中しか授業いれてないの」
「へ〜…その“だいがく”ってのは、人間は行く奴が多いって聞いたが…そんないい加減でいいんだな」
 真央霊術院では、時々やってくる長期休み以外は朝から夜まで授業だった。現世学や魂魄の輪廻といったものを初めとする知識から、剣術・白打・鬼道の戦闘術と、死神になるためにはやることが呆れるほど沢山ある。
「じゃあ、午後はどうするんだ?」
 携帯を取り出して、カチカチと操作する。
「バイトだよ! 高校のときにパン屋行ってたんだけど、それを継続してるの」
「……ばい、と…?」
 携帯をパタンと閉じて、テーブルの上に置く。
 織姫は苦笑した。
「えーっと…お金を貰うために、とりあえず仮で店員にしてもらってるの」
「へぇ。じゃ、あんまりのんびりしてっと、時間になっちまうな」
 レポートの束をトントンと揃え、クリップで端を止める。それをクリアファイルに入れて、鞄の中に戻して顔を上げた。
「それなら、大丈夫。今、店長さんにメールしたから!」
「………は?」
 よいしょ、と正座し直して、テーブルを挟んで恋次を真っ直ぐに見つめた。
「今日、お休みします・って」
 織姫の雰囲気がさっきまでとは打って変わって、真剣そのものであることに気付く。
 恋次も座りなおした。
「………昨日はごめんね」
「俺じゃなくて、ルキアに言えよ」
 殴られたのは、俺じゃあなくてあいつだ。
 最もな発言に、少し笑った。考えてみれば、たしかにそうである。
「…それで、朽木さんは?」
「あいつは、クロサキ医院に行った」
 家族から、一護の話を聞くために、ルキアは一人でクロサキ医院へと向かった。昨日と同様にまた共に行動しようかとも思ったのだが、現世で死神二人がうろつくのはかなり目立つ。もう尸魂界でも、二人の行動に関しては問題視されているとみて、間違いないだろう。そうすると、現世ではあまり目立つ行動は控え、かつあまり動かないようにするしかなかった。
 本当はもっと派手に動き回って情報を収集したいのだが、尸魂界に連れ戻されては元も子もない。だから、恋次は帰りが遅いだろうと思われた織姫の家に早くから来ていた。
(俺が行くと、親父の方はともかく、妹達から無理矢理一護のことを聞き出しそうだから自分が行くっつってもなぁ…)
 
――――貴様のその顔で、悲しみに暮れている一護の妹のところへ行くつもりか?
 
 今更だが、あんまりな言葉ではないだろうか。全てを否定された気分である。というか、多分、全てを否定された。
 ルキアも辛いくせに、彼女は自分が一番辛くないと考えているところが、強がりな彼女の欠点だ。
 クロサキ医院、と聞いて、織姫も表情を曇らせた。たしか、一護が死んで割とすぐそこに訪れたのは、石田とチャドと、そして織姫だ。“自分達のせいで兄が死んだ”ことを聞いたのは彼等だ。一番悲惨な状態の双子の妹を目にしているだけあって、心配なのだろう。
「酷かもしれねぇが、俺達にも時間がない」
 眉を顰める織姫から一瞬視線を外し、息を吸う。
「…一護のことは、昨日言ったとおりだ。あいつは今、どこにもいねぇ」
「…うん」
「それで俺達が聞きてぇのは、一護が死んだ日の周辺で、何か妙なこととかなかったかだ」
「妙なこと…?」
 瞳を彷徨わせ、一護が死んだ頃の記憶を必死に手繰り寄せる。そういえば、高校時代の皆で集まっておしゃべりをしたが、それはもっと前の話し。織姫と一護が会ったのは、二、三週間も前だ。大学の方向が正反対で、会うような機会がなかった。気が向いたら遊びに行ってみて、いれば話すし、いなければ諦めて帰った。
 ふと、虚のことが頭に浮かぶ。丁度一護が死ぬ数日前から、少し襲われる回数が増えていたような…。だが、いや前からあんなものかと思いなおし、結局振り出しに戻る。
「…井上、無理しなくていいぞ…?」
 恋次の言葉に、泣きそうになりつつ俯く。
「うぅ……ごめんね…」
 そこで、テーブルの上に無造作に置いた携帯が目に入る。そして、ハッとした。
「携帯!」
「は!?」
「うん! 黒崎くんが…っ…」
 まだ、言うのは抵抗があるようだ。
「…死んだとき、か?」
「あ、う、うん、そう……ごめんね…」
「気にすんな。それで?」
「そのときに、携帯が数分だったけど、通じないときがあったの」
「本当か!?」
 携帯が通じない。それは、今までの情報には一切ない、新しいものだった。情報を聞き出すことで精一杯の彼等にとって、どんなものでも新しい情報が入ってくると気持ちが高ぶる。
「たつきちゃんと話してるときだったから、間違いないと思う」
 これはあとでたつきにも確認したほうが良さそうだな、と一人頷いて、それから寒気がした。何せ昨日、彼女の力の強さを目の当たりにしているのだ。死神の恋次は、“いんたーはい”が一体どういうものなのか知らないが、少なくともルキアの吹っ飛び方を見れば、相当痛いのは言うまでもなかった。
「阿散井くん、こういうのはどうかな?」
「何だ?」
「一回、石田くんと茶渡くんも呼んで、もう一度話し合うの。何か出てくるかもしれないよ!」
 恋次は、暫し言葉を失う。たしかに、それならきっと思い出す事もあるだろうし、全員の話を整理しやすいからいい案ではある。どうせルキアとも夜には例の廃ビルで合流する予定だったから、そこから最短距離でここへ来ればいい。
しかし、彼女は大丈夫なのだろうか。ずっと一護の話をするのは、辛いだろうに。
「…いいのか?」
「うん! じゃあ、二人にはあとでメールするから、朽木さんと夜に来てよ! 早速今から、買出しに行ってくるから!」
 最後に、妙な言葉が続いたことに気付く。
「買出しぃ? なんでまた」
「も〜、何言ってるの? みんなで集まったときこそ、お鍋でしょ!」
 それを聞いて、恋次は顔を歪ませた。
 たしか日番谷と乱菊が彼女の家に泊まったとき、乱菊は美味しそうに織姫の作った手料理を堪能したらしいのだが、哀れなるその上司は、最初に口にして以来、クロサキ医院にご飯時だけ転がり込んでいた。夏梨がしばしば誘っていたし、遊子も彼が来るのを楽しみにしていたので、あまり不自然には思われなかったものの、その真実は乱菊と織姫、夏梨、遊子以外の全員が知っている。
 彼女の鍋、ときくと、とんでもなくグロテスクなものを創造してしまう。実物もきっと、当たらずとも遠からずだ。
「な……鍋…」
 思わず呟くと、織姫は満面の笑顔で頷いた。
「で…でもよ、あの…みんな、好みとか、あるんじゃ…」
 だから食事はなくていいのではないか。
 恋次は必死にそれを伝えようとするのが、「大丈夫!」という言葉が飛んでくる。
「闇鍋だから!」
 危険度倍増。
「ようかんとか〜、ドーナッツとか〜、卵焼きとか入れるの!」
 何をどうしたら、そんなものを入れようと思うのか。
 今から考えるだけで、胃が痛いような気がしてくる。
「あ! 鯛焼きも入れてみたらどうかな!?」

 プツン。

「鯛焼きは鍋に入れるもんじゃねぇエエェェェ!!!!!」
 鯛焼きファンとして、一思いに叫んだのだった。


 ルキアは、夏梨と共に一護の部屋にいた。双子揃って霊力が高まっていたので、遊子も死神である彼女のことは見えるのだが、堪えられなくなって自分の部屋へと戻ってしまったのだ。
「…すまぬ。あやつのことがあって、まだ日が浅いのに……」
「いいよ、別に。ルキアちゃんは一兄の恩人だし」
 そう言う彼女の声も涙で濡れていて、瞳は充血していた。しかし、どんなに辛くても話を聞く覚悟があるところは、兄とそっくりだ。
「それで、一兄の魂の行方、まだ掴めてないの?」
「ああ…手がかりもなくてな。…事故に遭った日、何か違和感があったりしなかったか?」
「違和感、か…」
 あの日のことを思い起こす。
 日曜日で、久しぶりに家族で何処かに行こうということになった。だが、急患が入ってきたので、一心は来れなくなった。いつもなら手伝う為に、クロサキ医院へと戻るのだが、一心はついでの仕事もあるから、三人で行って来いと言ってくれたのだ。
 ――――そして…。
「っ…」
 哀しげに顔をゆがめた夏梨を見て、ルキアは慌てた。
「す…すまぬ! やはり、早すぎたな…」
 小さく頷く。
 ゆっくりと立ち上がると、ふらついた様子でルキアに近寄り、抱きついた。
「ひっ……うっ……うぅっ………!」
 しゃくりあげる夏梨。小さい背を、ルキアはあやすように叩いてやった。
 彼女も、今ではもう高校生だ。だが、兄と違い、何だかとても脆い。
(……莫迦者が……)
 泣きじゃくる夏梨を抱きしめてやりながらも、ルキアも泣きそうになっていた。
 殺しても死にそうにないのに。そういう人間なのに。あんなに強かったのに。
(…莫迦者が……!)
 まだ、人間の一生としても、時間はあったはずなのに。
(皆を残して…死におって…!)
 責めても仕方がないのだけれど、責めずにはいられなかった。
 いくら考えても、彼はまだ、死ぬべきではなかったから。
 黒崎一護は、まだこの世界で、必要とされているのを痛感したから。
 自分が壊れてしまわないように、夏梨のことを、もっと強く抱き締めた。

   *   *   *

 一番隊隊首会場。山本元柳斎重國総隊長の正面に、二人の死神がいた。女性の、少々長い茶髪を二つ結びにした五番隊隊長――――瑠璃谷夜光と、男性の、銀髪で、四年前とは異なり前髪をおろした十番隊隊長――――日番谷冬獅郎である。ちなみに、本日は隊首会ではなく、彼等二人が個人的に元柳斎から呼び出しを受けたのだ。
「では、阿散井恋次三番隊隊長、朽木ルキア九番隊副隊長は、抵抗し刀も抜いた、と?」
「はい。尸魂界に戻る気はなさそうで、恋次隊長は処刑も覚悟しているとのことでした」
 夜光の言葉を聞き、元柳斎は唸る。日番谷に目を向けた。
「瑠璃谷の応援へ向かったと聞いたが、五番隊隊長が言っているのは真か」
「間違いないですね」
 淡々とした物言いに、夜光は激昂しそうになるのを何とか堪えた。
 その代わり、彼女は肩を竦める。
「日番谷隊長のおかげで、取り逃がしたんですけどね」
「ぬ…?」
 一度視線を外されていたが、こちらに改めて向けられた。日番谷は一切動じることなく、こちらもまた肩を竦めてみせた。
「俺のミスです。申し訳ありません」
「おぬしが失態を犯すとは。強く反抗されたとみてよいのかな?」
 頭を振った。
「逃げ足が速かったんです。俺も焦ることはあります」
 夜光が睨んできていることに気付いてはいたが、彼は気付かない振りをした。
「…しかし……隊長、副隊長が揃ってこのような身勝手な行動をすることは許しがたい」
「総隊長、もう一度あたしに行かせてください」
 間髪入れず言った。
「それなら、俺も」
「あたし一人で、行ってきます」
 日番谷が夜光を見ると、彼女もこちらをじっと見ていた。
 目が合ったのを確認すると、夜光は改めて口を開く。
「日番谷隊長は、十番隊の隊務で忙しいと思いますので」
 ここで下手に反論すると、後で立場が悪くなる――――。
 それを悟った日番谷は、腕組みをして目を閉じる。
「じゃ、その言葉に甘えて、今回はお前に任せるぜ、瑠璃谷」
 ニッと笑う。
 元柳斎は二人を見比べ、静かに頷いた。
「では、阿散井恋次三番隊隊長及び朽木ルキア九番隊副隊長の帰還を、瑠璃谷夜光五番隊隊長より要請するものとする!」
 コォン、と、隊首会場の中に、元柳斎の叩いた杖の音が響いた。




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