■ あいつは俺を

   ***

 あいつは俺を好いている。


 織田家にいた頃、俺は普段からよく一緒にいることが多かった薬研通吉光に告白された。俺と恋仲になりたいと言われて、俺は男だと言ったら、それは細かいことだから気にしないと答えた。いや細かくねえわ、と思わず笑ってしまった。
 でも嬉しかった。俺も、同じ気持ちだったから。恋仲って、人間でいうところの[[rb:夫婦 > めおと]]と似たようなもんだろ? なら、薬研とずっと一緒にいられるってことだ。俺はお前と話すのが好きだから、優しく笑ってくれるのが好きだから。ずっと隣でそうしててくれるなら、恋仲も、良いなって。
 信長様に、蘭丸に、薬研。大事なもんが沢山だ。大事なもんに囲まれて、愛されて、俺はここに生きている。
 蘭丸も、また信長様に大変な仕事を与えられたとか、愚痴をこぼしながら、その顔が緩み切っているのが俺には見える。俺に言いながら、自慢してるくせに。蘭丸、お前がそうしてるのが、俺は嬉しいよ。ありがとうな。俺の声なんて聞こえやしないのに、話しかけてくれて。
 信長様も信長様だ。俺のことをまた、酒を飲んで、膝を叩きながら褒めて下さる。でも、ちょっと褒めすぎ。流石に、照れる。こういうときは俺が人間には見えなくて良かったって思った。
 それで、そういうことを全部薬研に話すと、薬研は全部聞いてくれる。俺の言葉に頷いてくれる。嫌なことがあって、それも言ったりすると、薬研は捉え方を変えるとか、助言をしてくれる。薬研の隣りは、息がしやすかった。
 蘭丸の愛情は。信長様の愛情は。
 ―――薬研の愛情は、分かり易くて、あったかかった。
 いつか俺も、それだけの愛を返すんだと心に決めていた。刀としてそこに存在すること。俺は心底、幸せだった。
 
 でもその幸せは、天正十年六月二日に、突然、何もかもぶっ壊れた。



 ―――だから、本丸で薬研と顔を合わせたのは、それ以来の再会だった。

 顕現した俺の目の前には、薬研がいた。口上を述べようとしたら親し気に声をかけられて吃驚したけど、本能寺で焼けて、永遠に失われてしまったはずの薬研が、そこに立って、目をきらっきらさせて、俺を見てた。
(……薬研……)
 薬研が、生きてる……! そう思いかけて、違う、と否定する自分がいた。
 薬研は死んだ。あの日。本能寺。光秀の謀反の、炎に包まれて。俺は確かに、この目で見た。……じゃあ、この薬研は?
「……何でお前がここにいんだ……」
「まあ、色々あってな。だが俺は薬研藤四郎に間違いない。あのときの、薬研だ」
 本当だ。この話している感じは、薬研のそれだ。そっか…まさか、再会するなんて。でも、あのときの薬研だってことは、やっぱりお前は、炎に包まれた薬研で、間違いないんだな。
 何の運命に導かれたのか知らねえけど、死んだはずのお前はここにいるんだな。死んだはずのお前は、俺を見て、そんなに嬉しそうに笑うんだな。そんなに目をキラキラさせて、餓鬼かよ。
 ……俺は、お前を助けてやれなかったのに。
「……あっそ」
 自責の念が、どっと押し寄せて来る。視線を逸らした。
 だからだ。だから俺は甘酒を飲んで、全部有耶無耶にしちまいたかったんだ。この感覚から、逃れるために。知らず知らずのうちに、瓶を持つ手に力が籠る。
 ……蘭丸も信長様もあそこで死んだ。薬研も。俺は、俺を愛してくれた全てを助けられなかった。なのに、俺は一口でのうのうと生き続けた。合わせる顔なんてあるわけもない。こんなダメ刀がお前の傍にいたから、きっとお前は、死んだんだ。
 なのにお前、その様子じゃあ、まだ俺のこと好きなんだな。分かり易すぎる。そんで、嬉しくて、悔しくて、情けなくて、……怖くて、泣けてくる。なあ、薬研。俺もう、お前に愛を返せる自信、ねえよ。
 でも。愛を返せなくても。俺はお前を守りたい。そう決めたら、俺がすべきことは、一つだけ。
 俺は薬研の傍にいた審神者に向き直り、口上の続きを口にした。そしたら、この審神者、本丸の道案内を薬研に任せようとしていた。でもそれは、無理だ。
「いらねえ」
 胸を張って答えようとしていた薬研の言葉を打ち消した。
 お前はもう、俺といない方が良いに決まってる。
「……は?」
「案内なんかいらねえ。どうせこれからここで暮らすんだ。嫌でも覚えんだろ」
 道順を覚えるのは別に苦手じゃない。蘭丸と何度も城の中を歩いたし、ああいう手の建物の構造は把握するのは慣れている。
「でも結構広いぞ。他の刀にもお前のこと紹介したいし……」
「紹介? お前が?」
 恋仲だった頃の俺を? ……薬研、お前の中の不動行光≠ヘ、多分、美化されすぎてるよ。お前の目見てりゃ分かるもん。きらきらさせやがって。期待し過ぎなんだよ。知ってるくせに。俺はお前に愛を返せなかったダメ刀だ。
「……行光? どうした?」
「どうした、ねぇ」
 鼻で笑ってやった。
 お前にこんな笑い方することになるなんてなぁ。でもお前、このままだと、どうせいつもみたく良い事言って、俺を落ち着かせようとしてくるだろ。一緒にずっといた頃も、俺が悩みを相談したりしたら、絶対そうしてきたもんな。
 分かってる。お前の方が言葉が上手いことくらい。お前の方が、頭が回ることくらい。
「お前が俺を紹介する? 冗談じゃねえ。お前は何も知らないじゃねえか」
「……え」
 だから、お前の頭が回らない範囲で、苦言を呈する。これしかない。お前が死んだことなんて、俺だって本当は言いたくない。ごめん。ごめん。ごめん。
 ……こんなことでしかお前を突き放せなくて、ごめん。
 でもお前は絶対に、俺の傍にいない方が、いいから。
「何もって……だってお前と俺は」
「恋仲だった≠ニでも言うつもりかよ」
 言わせない。もう恋仲なんかになっちゃいけない。あのときの俺は、浮かれてた。お前のためを思えば、俺はあのとき、お前の気持ちを受け取るべきじゃなかったんだ。もう、何百年も経っちまったけど、やっと気づいた。
「……じゃあお前が焼けた後は? あの日の、その後は? 俺はずっとずっとお前がいねえところで生きて来たんだ。あれからずっとずっとずーっと……それなのにどの口が俺を知ってる≠セなんて言えるんだよ?」
 言ってるうちに、徐々に、本気で、苛々してきた。
 ふざけんなよ。何で俺に会って、そんなに喜んでんだよ。丸分かりなんだよ。何なんだよ。俺は。俺は。
 お前は、お前自身がいなくなった後のことなんて、知らないだろ。会いたい会いたいってさめざめ泣いてた、情けねえ俺のことなんて。どうして助けられなかったんだ、どうして俺はただの刀だったんだ。そうやって泣いてたこと、お前は知らねえんだろ。
 そうだ。お前は、「何も知らない」んだ。
「あの頃もお前は俺のことなんて何も知らなかったのかもしれねえなぁ、薬研通吉光様?」
「ゆきみ、つ」
「やめろ、それ」
 だから、薬研。もう終わりにしよう。
「行光だなんて、親し気に呼ぶな」
 行光だなんて呼ばれたら、俺はきっと心の何処かで、喜んでしまうから。
 お前の傍にいたいと、いつか願ってしまうかもしれないから。
「だが」
「薬研通吉光」
 信長様のことを思い出しながら、俺は精一杯、薬研を睨んだ。
 すっげー傷ついた顔してるなぁ、薬研。そんな顔、見たくなかったよ、俺だって。でも……

「恋仲だった頃の不動行光≠ネんて、もうどこにもいやしねぇよ」

 そう、思ってくれた方が、きっとお前は楽になれる。



 それから、俺は必死に薬研を避けた。万一声をかけられそうな場面になっても全力で無視をしたし、いざ目が合ったら睨むようにした。もう、あいつに俺に対する恋心なんて芽生えさせちゃいけないと思ったから。それならとことん嫌われるしかない。
 審神者がうっかり俺と薬研を同じ内番にしようとしていたときは土下座してでもやめてもらうように頼んだ。そんなに仲が悪いのかと心配されたが、細かく説明する気にもなれなくて、審神者には「察してくれ」と頼んだ。絶対察せねえ。無理だ。俺が第三者だったら絶対無理だ。
 でも審神者は了承してくれて、その点に関しては感謝している。でもそうしたらへし切と組まされることが多くなって、何でこんな小言の多い奴と、と思いながら一緒にこなしている。せめて宗三ならまだいいのに。
 薬研は遠くからでも俺のことをよく見てる。ちゃんと気付いてる。でも俺は無視をした。俺、こんなに感じ悪りぃのに、何でお前そんなに俺のこと見るわけ。いい加減学べよ。俺なんかに時間割いても無駄なんだって。

 でも薬研は死ぬほど諦めが悪かった。
 さっき、部屋から出て来た薬研とばったり鉢合わせて、慌てて逃げたら後ろから凄い勢いで追いかけられた。はっきり言って、ずんずん近づいてくる足音は恐怖以外の何物でもなかった。すげえ怖い。でも一瞬、追いかけてくれることが嬉しい、と…思った自分に、嫌気がさした。薬研を諦められてないのは、俺も同じじゃねえか。
 そこで肩を掴まれて強引に止められたもんだから、勢いよく振り払ってしまった。ああ、流石に今のは痛かったよなぁ、ごめんな。そう思いながらも、謝罪を口にしたらそこからずるずる喋ってしまう気がして、必死に口を結んで黙り、睨んだ。
 悪い、と謝られた。触ったことを謝ってんだろう。……本当は謝らなきゃいけないのは、俺の方なのに。
 何で。何で、こんなことになってんだろうな。俺達。
 こんなことなら、出会わなければ良かった。
 うっかり泣きそうになって、喉に力を込めて堪えた。このまま薬研を見てたら俺は、間違いなく泣く。ゆるゆるの自分の涙腺が憎らしい。急いで踵を返して、無視を決め込んで歩き出そうとした。が、
「頼むから待ってくれ!!」
 そう叫んだ薬研の声が、聞いたことないくらい悲痛で、涙で濡れていて、思わず足が止まった。……見捨てなきゃ。無視しなきゃ。そうしないとこいつはまだ、望みがあるなんて、思っちまう。
 頭では理解しながらも、震えた声で叫んだ薬研を置いていくことなんてできなかった。振り向くと、深く俯いている薬研がそこにいた。ぎゅっと胸を抑えている。苦しいのか。何でだよ。そんなに苦しいならさっさと俺のことなんて嫌えよ。楽だろ、その方が、絶対。
「……なあ……俺の何がそんなに、ダメなんだ……」
 か細い声が耳に届く。
 ダメじゃねえよ。ダメなのは俺なんだ。ダメ刀がお前みたいな良い刀の傍にいていいわけないだろ。心の中で言い返す。
「……俺はお前に、何かしたのか」
 何もしてねえ。……いや、何もしてねえってのは語弊があるかもしれねえけど。
 お前は俺に愛をくれすぎた。俺はその愛に報いることができなかった。だから、何かしたとしたらそれもまた、俺の方だ。
「……俺が消えたら、お前は笑ってくれんのか」
 ―――は?
 何だ、それ。
 思わず、何気なく逸らしていた目を、薬研に向ける。顔を下に向けている薬研がどんな表情をしているのかなんて分からなかったけど、今こいつは、何て言った?
 ……薬研が消えたら俺が笑う? そう言ったのか?
 お前は、お前がいないときに、俺が笑ってると、そう言ってんのか。本気で? 馬鹿じゃねえのか?
 脳裏に、薬研がいなくなった後の自分が甦る。ぐちゃぐちゃになって、泣いても泣いても止まらなくて。身体の震えが止まらなくて。届くことはないのに、お前の名前を呼んでいた、あのときの自分。
 ……なのに、お前は、そのときの俺が、笑ってたって言うのか。
「……お前がいなくなった後は俺が笑って生きてたと?」
 何を聞かれても答えないと決めていたのに、口をついて出た。思った以上に低い声が出た。それに驚いたのか、薬研が顔を上げた。ひっでぇ顔してんなと思った。薬研と目を合わせたのは、顕現したとき以来だ。相変わらず綺麗な目をしてた。こんなに辛そうにしてても、お前ってやっぱりかっこいいよな。
 拳を握り締める。爪が掌に食い込んで少し痛いが、気にならなかった。
 ……お前がいなくなった後の俺は散々だったよ。寧ろ笑い方なんか忘れた。
 ……笑えるわけ、ねえだろ。
 ―――薬研通吉光のことが、好きなんだから。
「……もういいか、行って」
 胸中で波のように荒れ狂う自分の感情に、蓋をした。言ったら意味がない。俺は決めたんだ。こいつを突き放すって。そうじゃないとこいつのためにならない。
 俺が傍にいたところで、俺はこいつを守れない。突き放した方がきっと守れる。
 薬研に背中を向けて、歩き始めた。そしたら後ろから、「最後に一つだけ」とまた声がかかる。お前、諦め悪すぎるだろ。何なんだよ。
「行光は、」
 少し躊躇ってる薬研に、そっと息を吐く。
 嫌だな。何か、何訊かれるか、分かっちまったよ。俺。
「……俺のことが、嫌いか」
「嫌いだよ」
 即答した。迷っちゃいけない。俺が気持ちを残しちゃいけない。お前が、俺を嫌いになるには。
 ほとんど自己暗示のようなもんだったけど、大丈夫、その内忘れるさ。俺を慕う恋心なんざ。
「……大嫌いだ」
 でも、改めて口にすると、胸の奥がぎゅっと痛くなった。我慢できなくて、俺は走り出す。薬研がどんな顔をしていたかなんて、見てられなかった。



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