■ あいつは俺を

 あいつは俺を嫌っている。


 別に何をしたわけじゃない。ただ、幾千もの戦いを経てたどり着いた先で、それこそ死ぬほど探し求めていた短刀を見つけたのは俺だった。一目で、それが「不動行光」であるに気付いた。
 普段は粟田口派の中でも、頼れる「兄貴」としてちゃんとしているつもりだが、あいつを見つけたときばかりは浮かれた。だって、本丸に顕現したときから、ずっと、捜していた刀だったから。

 織田の刀として、存在していた頃。俺と行光は、特別な関係だった。早い話が恋仲だ。
 信長さんがお蘭のことを気に入っていたように、俺も行光のことが気に入っていた。無邪気でよく笑う奴で、今日は信長さんに何処を褒められただとか、下町を歩いていたときにお蘭が刀の自分に親し気に話しかけてくれたとか、そういう話を沢山していた。初めは楽しい奴だなと思っていただけだったが、その内、行光のことをもっとよく知りたい以上に、傍にいたいと思うようになった。
 想いを伝えたら、
『お前、まるで人間みてえなこと言うんだなぁ』
 吃驚した顔で俺を見返す、丸くて大きい紫の瞳が、純粋で綺麗だと思った。
『でも、本気だ。俺はお前と恋仲になりたい』
『俺、女じゃねえけど?』
『関係ない。細かい事は気にすんな』
『細かくねえよ』
 驚きで見開かれた目が三日月型になり、ころころと笑いを零す。この笑顔を守りたいと思う俺は、やっぱり、行光のことを恋い慕っていたんだろう。
 じっと、反応を待った。そしたら、行光は恭しく頭を下げて言った。「末永く宜しくお願い申し上げる、薬研通吉光様」と。それは、俺の想いを是として受け取った証だった。
 幸せだった。あいつと過ごす時間は。
 でもその時間は、天正十年六月二日に、突然、終わりを告げた。



 ―――だから、本丸で行光と顔を合わせたのは、それ以来の再会だった。

 審神者の……大将の力を受けて、短刀から人型が形成される。姿を現したそいつは、あの頃とはまた違う服を着ていたりしていたが、綺麗な長い髪もそのままで、綺麗な顔もそのままだった。甘酒を片手に、何だか赤ら顔ではあるが、些細な事だ。
「……俺は不動行光。織田信長公が最も愛した刀なん」
「行光!」
「っ!」
 口上の途中だったが、俺は我慢できなかった。隣りで大将が苦笑を零していたが、知ったことか。探し続けた恋仲の不動行光が、俺の目の前に、いる。感極まって、身体が震えた。
 行光は驚いた様子で目を見開いて俺を見た。そういう、綺麗な目を丸くするところが、行光らしくて、やっぱりお前は行光なんだと再認識する。
 そして、行光の目が今度は種類の違う驚きの色に染まったことに気付く。俺が誰か、気付いたらしい。やっとだ、やっと、お前に会えた―――そう思った矢先だった。行光が酷く、顔を歪めたのは。
「……何でお前がここにいんだ……」
 嗚呼、何だ。俺がいることに疑問を持ってるだけか。
「まあ、色々あってな。だが俺は薬研藤四郎に間違いない。あのときの、薬研だ」
「……あっそ」
 視線を逸らされた。何だ? 照れてんのか?
 行光は改めて大将に向き直り、口上の続きを口にした。大将も自分がこの本丸の審神者だと説明をしてから、じゃあ本丸の道案内を俺に任せる、と言ってきた。ああ、任せとけ、大将! ……そう答えようとしたのもまた、行光に遮られた。
「いらねえ」
「……は?」
「案内なんかいらねえ。どうせこれからここで暮らすんだ。嫌でも覚えんだろ」
「でも結構広いぞ。他の刀にもお前のこと紹介したいし……」
「紹介? お前が?」
 苛立ちが滲む声であるのが分かった。
 …そして俺は、やっと気づく。
「……行光? どうした?」
「どうした、ねぇ」
 鼻で笑われる。俺はこんな行光を知らなかった。
「お前が俺を紹介する? 冗談じゃねえ。お前は何も知らないじゃねえか」
「……え」
 赤ら顔のくせに、流暢に喋る行光は、はっきりと俺に敵意を向けていた。殺気と言っても差し支えないかもしれない。でも俺には、どうして顕現したばかりの行光にそんなものを向けられなければならないのか、分からなかった。
「何もって……だってお前と俺は」
「恋仲だった≠ニでも言うつもりかよ」
 言葉を取られて、喉が詰まる。
 行光は呆れた風に首を振った。
「……じゃあお前が焼けた後は? あの日の、その後は? 俺はずっとずっとお前がいねえところで生きて来たんだ。あれからずっとずっとずーっと……それなのにどの口が俺を知ってる≠セなんて言えるんだよ?」
 いや、と言葉が続けられる。
「あの頃もお前は俺のことなんて何も知らなかったのかもしれねえなぁ、薬研通吉光様?」
 息がしづらかった。
 よく笑い、よくはにかみ、無邪気だった行光の面影がない。はっきりとした蔑みの視線が、俺に注がれる。でも、話している内容は、行光でないと知らない事ばかりで、だからこいつは行光であるのに違いないし、俺があいつを見間違えるわけがないと思った。
 だから余計に、混乱した。
「ゆきみ、つ」
「やめろ、それ」
 さっきまでの言葉も充分強めだったのに、更に強い声音で言われる。
「行光だなんて、親し気に呼ぶな」
「だが」
「薬研通吉光」
 鋭く睨まれ、一言。

「恋仲だった頃の不動行光≠ネんて、もうどこにもいやしねぇよ」




 それから、行光と俺との距離は開くばかりだった。
 言葉を交わさないわけじゃないが、事務的なこと以外はない。必要のない会話を始めようとすると、容赦なく「興味がない」と言われ、畳まれる。
「貴様、何を休憩しているんだ! まだ始めて数刻も経ってないだろう!?」
「うるせえなぁ、へし切なら、一人でも楽勝だろぉ」
「長谷部と呼べと何度言えば分かる!?」
「へいへい、すいませんでしたねーっと……」
 本能寺でのことが、辛すぎたのか。織田の刀には皆俺と同じ感じに接するのか。そう思っていたが、行光は存外よく喋る。長谷部とは前にひと悶着あったらしくて、それからは顔を合わせるたびに喧嘩になっているし、宴会のときには酒を飲みながら「へし切なんか嫌いだ」と管を巻いていた。酔っ払っても尚あの言い方なんだから、本当に嫌いなんだろう。

 でも。

「あ」
「うぉ、………!」
 部屋を出たところで、丁度行光と鉢合わせる。
 俺の口からは間の抜けた声が出て、行光の方も吃驚して背筋を伸ばしていたが、俺だと分かると酷く顔を歪めて、踵を返した。

 ……行光は俺と、喧嘩すらもしてくれない。

「行光!」
 長い黒髪を揺らしながら去って行く背中に、たまらなくなって俺は声を掛ける。
 当然のように、行光は振り向くどころか、足を止める気配すら見せない。
「行光、待ってくれ!」
 早歩きで背中を追う。行光の歩き方が早くなる。そうすると俺も早める。
 待ってくれ、待ってくれ。頼む。頼む……
「……っ、行光!」
 大きく一歩を踏み出して距離を詰め、行光の肩を掴んだ、瞬間。
「触るなっ!!!」
 勢いよく、弾かれた。パァン、と手と手がぶつかる音が廊下に響く。ひりひりと手が痛む代わりに、やっと行光は振り向いた。
 また、歪んだ顔だった。
「……悪い……」
「……」
 兎に角、触ってしまったことを謝罪した。
 眉間にこれでもかと言うほど皺を刻む行光は、隠しもせずに舌打ちをしてまた、歩き出そうとした。だめだ、これじゃあ呼び止めた意味がなくなっちまう。
「頼むから待ってくれ!!」
 必死に叫んだ声が思った以上に揺れていて、自分で焦った。と思ったら視界がぐにゃりと歪んで、ぼやけて、ああ情けないと思いながら喉に力を込めて、漏れそうになる声を必死に堪える。
 足音がしない。行光の足先がこっちに向いているのだけが見える。深く俯いているせいで、肝心のあいつの顔が見られない。でも、だめだった。顔は、上げられない。ぎゅっと目を瞑って、震える胸を抑えながら深呼吸する。
「……なあ……俺の何がそんなに、ダメなんだ……」
 声を堪えながら、でも必死に絞り出す。か細い声になる。何て女々しいんだと自分で苦笑が漏れそうになった。行光から返事はない。
「……俺はお前に、何かしたのか」
 恋仲だったときに、余程何か気に障るようなことをしていたのか。それが積もりに積もって、ここで爆発したのか。でもお前はよく笑っていたのに。俺を気遣って笑っていたのか。やっぱり行光から返事はない。
「……俺が消えたら、お前は笑ってくれんのか」
 嗚咽が漏れそうになって、また喉に力を込めた。
 そう、俺は本丸に顕現した行光が、昔みたいに笑っている事を見たことがほとんどない。昔は自分のことをダメ刀だなんて言わなかったのに、今は最早口癖だ。全部が俺の責任のように思えて、潰れそうだった。
 行光が俺を拒絶しても、遠くから笑顔が見られたらまだ良かったかもしれない。でもそれすらない。嘆いている姿ばかり見かける。怒っていたり、苛立っていたりする姿ばかり見かける。行光が幸せに見えない。
 ―――もしかして、俺がいるからなんじゃ。
 そう何度思ったか、知れない。でも俺はお前に笑ってほしいのに。幸せになって欲しいのに。
「……お前がいなくなった後は俺が笑って生きてたと?」
 低い声が聞こえた。思わぬところで返事が来たので、俺は慌てて顔を上げる。行光は、やはり顔を歪めていた。歪めていたが……いつもと、違った。でも何が違うのか、分からない。
「……もういいか、行って」
 深い溜息を吐いて、さっきまでの表情が一瞬で消え、無関心そうに俺を見つめる。俺に背を向けて、さっさと歩き始める行光に、だめだと思いながら、「最後に一つだけ」と叫んだ。そうしたら、行光は止まってくれた。
「行光は、」
 聞くな、聞くな、と俺の頭の中が警鐘を鳴らす。でも、聞かずにはいられなかった。
「……俺のことが、嫌いか」
「嫌いだよ」
 即答だった。息をするのも忘れる。
「……大嫌いだ」
 繰り返した行光の背中が遠ざかり始め、やがて走り出し、一気に遠くなる。廊下の角を曲がって、見えなくなった。



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