■ 第十九章:赤、黒、紅。


 籠の中で 空を見る


 鳥のように 自由に


 鷲のように 強く


 蝶のように 儚く散り








 血の味がするのは、さっき唇の端を切ってしまったからだろう。左手の親指の腹で、そこから滲む血をグイ、と拭う。
 鏡死の反応も、悪くは無い。寧ろ良い方だ。そう簡単に月牙天衝をうたせてくれなかったし、隙が少しでもあらばそこをついて、何かしら一護に傷を負わせた。
 しかし、やはり卍解した一護の方が、ずっと強い。怪我も鏡死の方がところどころに深手を負っていた。
(よしっ…このままだ…このまま終わらせて……)

 ボウッ…

「!?」
 目が、おかしい。固く瞑って、ぶるぶると何度も頭を振った。そして開けてみると、すぐ前まで鏡死が迫っていたので、あわててガードする。彼は、そこに雨蝉菩薩を叩き込んだ。
「どうした?」
 斬りこみつつ尋ねる。一護は「さあな!」と言って鏡死を押し返した。
(また、か…)
 あの、突然頭が真っ白になって、目の前のものを曇りガラス越しに見ている感覚は、何度味わってもとにかく焦る。
 鏡死は深い溜息を吐き、雨蝉菩薩を寝かせるようにして構えた。
「本当は、テメェが虚化してから、力を見定めてやろうって思ってたんだけどな…」
 鏡死の霊圧が、爆発的に上昇し、彼が淡い紫の、霊圧の光に包まれ始める。
「卍解」
 自らの、霊圧上昇に伴って現れた風を打ち払い、姿を現す。
「雷我玖雨蝉如来!!!」
 卍解した鏡死の姿を見て、思わず息を飲む。
 彼の握っていた薙刀状の雨蝉菩薩は、霊圧の光で鏡死を覆い隠したたった一瞬のうちに、思いもせぬ形状に変化していた。それは、扇子というとしっくりは来るのだが、その大きさが、まるでそうではないように錯覚させる。
 鏡死の左手首に、サファイアのような色に輝く、鎖とは違う縄状のものが幾重にもなって巻きついている。そして、その縄の先には、上半身ほどの大きさの、ブルーに染まった扇子がついていた。純粋に、単なる普通の扇子が巨大化しただけなら良いのだが、明らかに鋭利な刃であろうものが扇子を形作っているので、れっきとした武器である。
「…どうしたよ?」
 彼の声に、我に返る。
 鏡死は縄の部分を右手で持ち、グルグルと回し始めた。無論、それに従い、扇子も―――雷我玖雨蝉如来も回転を始める。
 すると、強い風がおこって、一護の体は一瞬だが浮き上がった。
「くっ…!」
 飛ばされたら終わりだと思い、踏ん張る。
「飛ばされねぇよう踏ん張るので精一杯たぁ…」
 あわてて顔を上げたが、遅すぎた。鏡死による雷我玖雨蝉如来の攻撃がきまり、一護は血を吐き出しながら吹っ飛ぶ―――かと思われたが、鏡死はグンッと斬魄刀を振るって、小さな竜巻をつくり、それで彼をとらえた。
「よう。何てザマだよ。なぁ?」
「はっ………はっ………はっ………」
 浅い呼吸を繰り返しながら、鏡死を見る。
 スッと彼が目を細めると、竜巻が細くなった。つまり、一護を締め付けているのだ。
「が…ぁぁっ……あ…!」
 内臓が圧迫され、意識が遠のく。そこで一瞬緩められて、ホッと息をつけば、再び締め付けられた。意識を手放すことは許されず、苦しさは続く。もっとも、意識を失って苦しさから解放されたいなどと考えてはいないが。
「俺が何言いてぇか、分かるか?」
「っ…何、を…だよ…ぐああっ!」
 痛みに叫びを上げる一護を、冷たく見つめる。
「てめぇの無駄な生き方に、腹を立ててんだよ。何が護りたいから≠セ。死神さえやめりゃ、こんなことはなくなるんだぜ。なのに、お前は」
 鋭く睨みつけると、竜巻は今までになく細くなり、一護を締め付けた。
「ぐわあああぁぁあぁあっ!!!!!!! あっ……か………」
 ガクリ、と一護は力なく首を後ろへ傾けた。
 それから少しも動かなかったが、鏡死の、彼を見つめる目は、変わらず冷たい。
「…おい。終わりだと思うなよ?」
 左手首に巻きついた縄を、右手の人差し指と中指でポンと叩いた。すると、一護をとらえていた竜巻が、宙に留まる渦潮と化す。そして彼の体のサイズしかなかったそれが大きくなり、完全に一護を包み込む。
 しばらくして、渦潮が消え去った。中から一護が現れ、彼は崩れ落ちる。しかし、また鏡死が先程と同じように竜巻を作り、とらえた。
「どうだ? ちょっとは死神にならなきゃ良かった≠チて、後悔できてるか?」
 近くまでつれてきて、荒い呼吸をする一護の髪をつかみ、強引に顔を前に向かせた。
 ふと、一護が薄くだが、目を開く。ブラウンの瞳を鏡死は見つめ、
「死神になったことを、後悔できてるか・って、訊いてんだ」
 再度そう言った。ごく浅く息をするだけだった一護の唇が僅かに動く。

 ――――全然=Eと。

 はぁ〜、と鏡死はあからさまな溜息をする。次に一護を見たときの彼の目に、今までにない、怒りと憎しみの光が強く宿る。
「やっぱ死なねぇと、後悔できねぇか?」
 雷我玖雨蝉如来の扇子部分を直に掴み、高く振り上げる。
「じゃあ、死んで後悔しとけ!」
 そして、振り下ろそうとしたときだった。
 ヒュンッ、と何かが空気を切るような音が聞こえ、鏡死は振り下ろす予定だったそれを、右に向けて払う。すると、丁度それに当たって金属音を鳴り響かせたのは、投じられた一振りの斬魄刀だった。
「斬魄刀…!?」
 投げた主を捜そうとするが、背後に気配を感じてあわててその場から瞬歩で離れた。
「破道の三十三、蒼火墜」
 その、鏡死が気配を感じた場所に現れたのは、白哉だった。彼が言葉を紡ぐと、青白い閃光が空を奔った。しかし、それは傍から見て、明らかに威力を持たない閃光だ。それは、鏡死という「障害物」がなくなって、真っ直ぐに竜巻にとらえられた一護に向かい、ぶつかった。すると、シュウッと音を立てて、竜巻が消える。一護は支えを失って、落下した。
「…っ……!?」
 落下することで、風が自分を殴りつけ、朦朧としていた意識が覚醒する。一護は焦りながらも受身をとって、なんとか宙に再び着地した。
 白哉は、束縛から逃れた彼を呆然と見つめている鏡死に瞬歩で近づき、扇子部分に突き刺さった己の斬魄刀・千本桜を抜き取った。抜き取るついでに斬りつけたが、鏡死はすぐに逃げたので傷をつけることはできなかった。
「白哉……」
 こちらもまた驚きを隠せず、呟く。白哉は一護に目をやってから、
「……敵を視界から外すな。黒崎一護」
 言い残して、さっさと空座町の方へと下りて行く。水の巨人が、水不死鳥と戦っているルキアに、卑怯にも背後から攻撃しようとしたのを、千本桜を始解することで阻んでいた。
 鏡死の方に視線を戻すと、彼はまた先ほどよりも増して、憎悪に満ちた顔をしていた。
「くそっ…! くそ! 黒崎一護…てめぇさえいなけりゃ…てめぇさえいなけりゃ、全部の戦いに加勢して…ユリイも撫子も亞丹も、死なずに済んだのによ!!」
 急激に上昇していく彼の霊圧に、一護は「まだ上がるのか」と内心驚きつつも、彼も彼で霊圧を上げていた。
(体中の骨が、軋んでやがる………)
 スゥ、と息を吸った。
(多分、やべぇんだ、俺)
 心臓の鼓動も、心なしかいつもより早い気がする。
(やりすぎたら)
 また眩暈がした。すぐに治まったけれど。
(死ぬ、かもな)
 一人、へへ、と笑う。
 遊子が笑って、夏梨が笑って、一心も笑って。クラスの連中も、笑って。浦原も夜一も、弓親も一角も乱菊も、日番谷も白哉も恋次も、ルキアも、皆笑って。
 大事な人々が笑っていられるような世界を、壊されるのを黙って見ているくらいなら、護る為に死にたいと思うのだ。
 いつもそう思っていて、実際死ぬような場に立っても同じことを思えるかは定かでなかったが、結果、今思えているから、良かったと一人で嬉しく感じていた。
 だから、迷いなんて、今更なかった。
 きっと、死神の力を手に入れた、あのときから。
「あぁぁあぁあっっ!!!」
 鏡死が雄叫びをあげながら、一護に迫った。卍解した彼の、全力での斬りこみだ。先ほどまでの一護なら、間違いなく受け止められなかっただろう。

 ガキイィィン!!!!
「!!!??」
 天鎖斬月で受け止めた一護は、ゆっくりと顔を上げた。
 ―――――仮面を、被っていた。
「…虚化か…!!」
「ああ、そうだ」
 虚化した一護の、特殊な声。仮面の奥にある黒く染まった瞳が、鏡死を睨みつける。
 互いの刃を重ねたまま、一護は容赦なく霊力を注ぎ込んだ。
「月牙天衝!!!!」
 至近距離で放たれた月牙を、雷我玖雨蝉如来で受けるが、卍解していてもその力にはかなわず、仕方なく受け流す。しかし、あまりの霊圧の鋭さに、鏡死の頬からは切れて血が出ている。
「さ、すがに…虚化したお前の全力は、俺よりも上みてぇだが…」
「おい?」
 ブンッ、と一瞬で鏡死の目前に現れる。
 瞬歩で移動したのだろうが、今のは瞬歩というより、どちらかというと、響転(ソニード)に近かった。
(……嘘だろ…!?)
「全力って、どこがだ?」
 一護は鏡死の首を掴むと、逃げることの出来ない彼の胸のあたりを、ザンッ、と力強く切り裂いた。


 突然動きが鈍り始め、形状がどんどん崩れていく。濤目は鏡死を見て、虚化した一護の斬撃をまともに受けているのを見た。
「恋次!」
「おう!」
 そこで一足早く、動く少女。
「お、おい!? オメー、斬魄刀折れちまっただろ! 無茶すんな!!」
 傷で痛む体に顔を顰めつつも、ルキアは水不死鳥に近づくと、折れた袖白雪をバッと前に突き出した。
「参の舞、白刀!」
 大気中の水分が集まって凍り、刀身がその形を元に戻し始める。そして、刀身が補われた斬魄刀は、水不死鳥の腹を貫いていた。
「さ、参の舞……しらふね……??」
 聞いたことの無い技に、濤目が目を丸くする。
 貫かれた腹の傷口から、水不死鳥は凍りつき始めた。素早く袖白雪を引き抜くと、跳び退りながら叫んだ。
「恋次、いけ!」
「わぁってるよ!! 行くぜ、蛇尾丸!!!」
 ズタズタに傷つけられた狒狒王蛇尾丸の刃節をばらして、最後の力を振り絞る。
「狒牙絶咬!!!!」
 分かれた刃節がふわりと浮き上がり、一気に水不死鳥の方へ押し寄せた。完全に凍っていた水不死鳥は砕け散り、消えた。
「はぁっ……はぁっ…やっと、終わりか…」
 卍解を消し、折れてしまった蛇尾丸の柄を握り締める。
 悪りぃ、痛かったろ、と心の中で蛇尾丸に謝罪した。
「朽木、さっきの…」
「あれは…海燕殿がいなくなられてから、編み出した技です」
 成長したなぁ、と口許を緩めてから、ルキアと恋次に背を向けた。
「お前等、まだ体力残ってんなら、円閘扇の下行けよ」
「は? 何でだよ? どういう…」
 恋次が首を傾げるが、ルキアは不安そうに眉根を寄せる。
「何故ですか?」
 顔だけちょっと振り向かせ、目尻を下げる。
 そして空を蹴って、鏡死と一護のもとへ向かった。


 早くも虚の仮面に亀裂が奔っていた。やはり薬で無理に引き出した霊力では、元々消耗の激しい虚化の持続時間は長くないようだ。
(……終わった…?)
 鏡死はふらつき、ゆっくりと一護から離れ、片膝をつく。
「っく………! …テメェ…!」
「…お前の負けだ……」
 一護は肩で息をしながら言った。
 今もなお、仮面の亀裂は範囲を広げている。
「許さ、ねぇ…! 俺を…騙し…殺した…尸魂界も…仲間を全て殺した…テメェらも……仲間と偽って…裏切った…貴様も!!」
 鏡死は、飛び上がってきた濤目に、怒りの目を向ける。彼はそれをただ、見返した。
「何で、だ…俺は…!」
 眩暈がしたが、頭を振ってもう一度顔を挙げ、尋ねた。
「お前等さ……どうして、こんなことしたんだ?」
 バキン、と音を立てて、一護の虚の仮面が割れ、崩れ去っていく。
 スーハーと順に呼吸して、彼を見た。一護はまた、口を開いた。
「だってお前等、敵にしちゃあおかしいぜ」
 天鎖斬月を持ち上げると、柄頭についた鎖がチャラ、と鳴った。
「刀を交える度に、お前の刀から伝わってくんのは、憎しみや怒りより…悲しさが一番、でけぇから…」
 血が、止まらない。
 駄目だ。どうしたって、もう、斃せない。
 自分の負けを確信して、鏡死は悔しそうに歯噛みする。気休め程度にしかならないと分かってはいるが、傷口に手を添えた。口からも溢れ出る鮮血を鬱陶しく感じながら、やっとの思いで声を出した。
「…俺は…だいぶ前に…三席として…現世の虚の殲滅任務にあたったんだ…。調子……良かったぜ…? 貰ったのも、ちょっとした、引っ掻き傷程度……尸魂界に、戻って…また…上を、目指して…だが…!!!」


『虚…ですか…?』
 ああ、と浮竹は暗い顔つきで頷いた。
『総隊長直々の命で、お前の名を推されたんだが…』
『本当ですか!?』
 鏡死は嬉しそうに目を輝かせた。
 総隊長から直に命令が下るなど、滅多に無いことである。もしかしたら自分が、副隊長や隊長の座にのぼる未来も近いのかもしれない。そう思うだけでわくわくした。
『だが……海人風、お前は…』
『平気ですよ! 浮竹隊長!!』
 明るく笑って立ち上がり、胸を張って見せた。
『俺が体調悪かったり、斬魄刀が無かったりするのを気にしてくれてるんスよね?』
 確かに、鏡死は少し前の現世駐在任務を終えて尸魂界に戻ってきてから、体調がおかしくて、何度か吐いた。どうしてか斬魄刀・雨蝉菩薩が折れたりと不幸というか、不吉なことが続いたが、同じ三席の海燕が幾度か十三番隊隊舎を訪れて、体にいい茶等をくれたりしたので、少しずつ良くなっていった。今は、快調である。
『しかし…』
『もーう、心配性ですね! 大丈夫ですって! 俺にはまだ、鬼道も残ってますから!!!』
 そう言って、数日後に鏡死は調子よく隊舎を出発した。
 そして、十三番隊に戻ってくることは、なかった。


「へ…考えてみりゃ、おかしな話だよな…俺が、三席が、総隊長から命令? んなことあるわきゃねーよな! …知らなかったさ。俺の放つ鬼道も、今までのと比べたら、威力が弱まってるとかな。…運良く、小虚(ウーズ)に寄生された地獄蝶が来てくれたおかげで、俺は生き返った」
 ゴホゴホと噎せて、口の中に溜まった唾液と血を、ペッと吐き出す。
「…それで、気付いたぜ、さすがに。使えねぇ死神が三席を担ってちゃあ、邪魔だろ? だから…だから、総隊長が…あの、じじいが!!!」
「だけど違ったんだなぁー、これが!」
 続けようとした鏡死の言葉が、わざと大声で言われた濤目の、その言葉に遮られる。
 濤目は自分の頭をポリ、と掻くと、言った。
「なぁ、知ってたか? お前が浮竹隊長に任務のこと聞いて、数日後に隊舎を発った日、俺、十三番隊の隊舎に行ったんだぜ?」
「な…に…?」
 口許の血を拭い、初めての海燕の告白に、目を見開く。
「今度は体に良いって噂の饅頭持ってさ。そーしたら、いっつもお前がいるはずの縁側に、オメーいなくてよ。代わりに、浮竹隊長が座ってたんだ」


『浮竹隊長じゃないッスか』
『あぁ…海燕か。五番隊の仕事はどうしたんだい?』
『んなもん、終わったっつーか、正直三席じゃあそんな隊長副隊長程仕事なんかありませんよ』
 はは、と浮竹は笑う。
『そうか、まぁ、そうだな。じゃあ暇があるんだろう? 考えてくれたかい?』
『まーたその話ッスか? 前も言ったはずっスよ。俺、十三番隊の副隊長なんかやりませんからね。そろそろ諦めてください』
『だが、君には素質があるぞ?』
『俺以外にもいるでしょう。仮に、鏡死とか…そう、その鏡死ですけど、どっか行ってんですか?』
 浮竹は暫し沈黙したが、徐に口を開いた。
『海人風は…流魂街のはずれに出現した、虚の退治に向かったよ』
『なっ…!? どういうことですか!?』
 手に持っていた饅頭をボトリと落とし、相手が隊長であることも忘れて、浮竹の肩を掴んで怒鳴った。
『あいつが今、どういう状況か分かってんですか!? 霊力は薄い、斬魄刀は無い! そんな奴が行っても犬死するだけじゃ』
『分かっている! だから行かせたんだ!』
 海燕は訝しげに眉を顰めた。浮竹は目を伏せる。
『…海人風が現世で斃した虚の中に、たちの悪いのがいたのは確認している。一部でも怪我さえ負わせれば、自身が死んでもなお、その対象の霊力を衰弱させていく能力を持った虚だ。海人風の霊力は、そいつのために今は非常に弱い…』
 顔を上げ、海燕を見つめる。
『だが、海人風の誇りを汚したくなくて、俺はあいつには黙っていた。…しかし…総隊長は、無駄な死を迎える隊員を助けるために、嘘の任務で流魂街に向かわせたんだ』
『嘘の任務…? じゃあ…』
『ああ。本当は虚なんかいない。そして、あと数日で、海人風は霊力を完全に失う…。死神でなくなったら、先生はあいつを瀞霊廷に入れないとしていたんだ』
 そうすれば、鏡死に本物の危険な任務が回ることは一切無くなる。それが目的だったのだろう。
『だが、海人風にとって…それで良いのかと思うと…どうしたらいいか、分からなくてな…』
 霊力を奪う虚のことと、本人のことを言うべきか。
 それとも、黙っていて瀞霊廷から逃がしてやるべきなのか。
 浮竹は辛そうに目を伏せた。


「あの頃、虚の奇襲は度々起きてたからな…よりによって、オメーのいたところにも、偶然虚が出ちまったってことだ。俺らにとっては、想定外にな」
 信じられない事実。自分を護る為に、嘘の任務が告げられていたなど、信じられなかった。自分は現に殺されていたのだ。
「そんなこと…! 信じられるかあぁ!!!」
 叫んで、全力で雷我玖雨蝉如来を投げた。
 それは、凄まじい速さで濤目に迫る。助けなければ、と一護が足に力を込めた瞬間、
「助けんな!!!」
 と濤目が怒鳴る。
 そして雷我玖雨蝉如来は、濤目を両断した。


 恋次を支えながら、円閘扇の下におりて、彼を道の角のところに座らせた。強情で「平気だ」と言ってはいるものの、恋次の怪我はそこそこ深刻そうで、実際は立つのがやっとという状態だった。
「阿散井副隊長!」
 口々にいいながら、数人の死神が駆け寄ってくる。
 汗を拭ってルキアが立ち上がった次の瞬間、慌てて上を見た。濤目の、中身を失った義骸が降ってくる。
「うわっ!」
 辛うじてそれを受け止めてから、ルキアは呆然と呟いた。
「海燕……殿…?」
 義骸から、金色の光が現れる。
 目で追い、刹那、光は急激に強くなって、辺り一面が明るく照らされた。
「ル、ルキア!?」
 恋次がルキアに手を伸ばす。彼女は、金色の光の飲み込まれた。


 あまりの眩しさに目を瞑っていたルキアが、ようやく目を開ける。周囲は白と金の光で満たされていて、何も見えない。
「ここは…?」
「小虚(ウーズ)の中だ」
 ふいの声にビクッとしたが、後ろを振り向いてみると、そこには海燕がいた。濤目≠フ姿でなく、よく見知った死神の、長い下睫が特徴的な、海燕≠フ姿だった。ただし、微妙に半透明である。
「小虚の中…!?」
「ああ。ほら、俺、小虚の寄生した地獄蝶のおかげで生き返って…つーか、だから、俺の魂と小虚が同調して、結果的にこういう空間ができたっつーか…あぁもう、ややこしい! そーゆーことなんだよ! 分かったか!?」
「は、はぁ…分かった…ことにしておきます…」
 小首を傾げつつも、ルキアは答えた。
 海燕はフゥと息を吐くと、口許に笑みを浮かべた。
「…強くなったな、朽木」
 言って、彼女の頭の上に手を置き、ぐしゃぐしゃと撫でる。
「わっ!? お、おやめください、海燕殿!!!」
 手を離してもらい、ルキアは乱雑になってしまった自分の髪を手櫛で整えた。
 そんな彼女を見つめ、海燕は肩を竦める。
「…でもな、お前、まーた何か悩んでんだろ?」
「え…」
 図星をさされたルキアは、何も言えなくなる。
「お前って、昔っから顔に出るからよ」
 笑って、言う。
「悩む必要なんかねぇだろ。…黒崎一護は、仲間。そうだろ?」
 何について悩んでいるのかまでズバリとあてられ、ルキアは戸惑ったが、正直にコクリと頷いた。
「……あの…。海燕殿は…また、いなくなられてしまうのですか?」
 今にも泣きそうな目で見上げてくるルキアに、海燕は静かに目を閉じた。それが、彼女が言うことを肯定している意と理解し、思わず口を開く。
「で、ですが!!」
「…朽木。俺はあの日、お前に心を預けたんだ」
 自分の拳を差し出し、ルキアの手にコツンとぶつける。
「それは、今もだ。俺の心はここにはない。お前の中に、俺の心は置いてある」
 そして、海燕は優しくそっと、ルキアを抱きしめた。赤子をあやすようにして、彼女の背中を軽く、叩く。
「お前は、一人じゃないんだぜ」
 そうとだけ言い残した。
 次に目を瞬いた時には、今いた空間も、目の前にいた海燕も消えて、そこにあったのは、空っぽの濤目の義骸だけだった。
「だ、大丈夫か!? ルキア!」
 光が消え、何事も起きていない様子であるルキアに呼びかける。恋次を振り向き、義骸をその隣りに寝かせる。
「…これは……! ……死んじまった…のか………?」
 ルキアを見上げる。彼女は「いや」と首を横に振り、自分の胸に右手をあてた。
「案ずるな。…ここに、いる」
 顔を上げたルキアの瞳は、強かった。恋次も安心したように表情を緩めた。


 鏡死はガタガタと震えていた。
 信じたくない、信じたくない、信じたくない…。
「俺…だって…それからずっと…全部憎くて…! だから必死になって、仲間作ろうとした…」
 一人呟き続ける彼を、一護はただ見つめる。
「微力ながらも、色んな隊舎に忍び込んで…できるだけ沢山、地獄蝶を奪って……虚圏につれてって、強引に小虚が寄生するようにして、上手いこと不幸に死んだ撫子やユリイや濤目…いや、志波先輩の魂魄を利用して……」
 もし、殺してしまったけど、先程の海燕の話が真実なら、今まで自分がやってきたことはどうなる? 何一つ、報われないではないか。
「仲間が、もっと欲しくて……亞丹なんか、俺が…俺が手を加えて、無理矢理……」
 どう考えても、自分がやりすぎたようにしか感じない。そして、異常なほど、自分が惨めだと思った。ただ、認めたくなくて、頭で否定し続けるのが、精一杯の抵抗だった。
「…爺さんは、あんたを救おうとしてくれていた」
 一護の声に、虚ろな瞳を向ける。
「今までやっちまったことを悔いる前に……喜んでいいんじゃねぇか?」
「ふざけるな! 違う! 総隊長は、俺を殺そうと」

『総隊長は、無駄な死を迎える隊員を助けるために、嘘の任務で流魂街に向かわせたんだ』

「っ…! あぁっ…ぁぁっ…」
 一護は呆れたように溜息を吐いた。
「…テメェは俺の仲間も傷つけた。だから許さねぇ。でも、濤目…じゃねぇや、海燕は、さっき、どうしてテメェの攻撃を避けなかった? どうして俺に助けんな≠チつったと思う?」
 頭を抱えて苦悩していた鏡死が、顔を恐る恐る上げた。
「事実を伝えて、テメェを助けてやりたかったから、テメェの思いを全部受けてくれたんじゃねぇのか!?」
「―――――っ!!!」

 体調が悪いことを訴え、斬魄刀が折れたことを不満に思って怒り、重要な仕事をなかなか回してもらえないという愚痴を零したりを全て聞いてくれた、海燕を思い出す。週に何度か隊舎へ来て、縁側に座る自分を見て、笑って言うのだ。
 鏡死、調子はどうだ?≠ニ。

「まぁ…俺は、あんたのことも、海燕のことも、全然知らねぇから…何の確証もねぇけどよ…」
 自信なさげに、一護は自分の頭を掻いた。
 その仕草がなんとなく、海燕に似ているなと思った。
「……分かった…」
 力を振り絞って立ち上がり、震える手で雷我玖雨蝉如来を握りなおす。
「もう…幕としようぜ…」
 今できる最大の範囲で、霊圧上昇を試みる。
「ああ……」
 一護は頷き、左手を額の前まで持っていく。今更躊躇うことは、もうなかった。彼の顔に、再び虚の仮面が現れ、『虚化』を完了する。次いで、霊圧を上げた。
「最終奥義……」
 扇子部分を中心に水が取り巻き始め、その中でバチバチと電気のような光の球が、忙しく動き回っている。
「雨車軸雷天ッッ!!!!」
 雷を帯びた、水流の斬撃を繰り出す。
 それに真正面から立ち向かい、一護は渾身の力で天鎖斬月を振るった。
「月牙天衝―――――ッ!!!!」


 虚の大軍が突然動きを止めたので、死神達は不思議そうに見つめる。すると、彼等は天を仰ぐと、ゆるゆると消えていく。
「虚圏へ……帰っていってるのか…?」
 イヅルは、斬魄刀・侘助を鞘に収めた。


 水の巨人が、突如として消え去ったので、檜佐木達は驚いた様子で動きを止める。
「消えた…?」
 檜佐木が風死を下ろして呟く。
「けっ。終めぇか」
「あんまり楽しくなかったねぇ〜」
 剣八がやれやれと肩を回し、やちるは斬魄刀を鞘に収めると、ピトリと彼の背にくっつく。
「やりやがったか、一護…!」
「全く、僕達も少しは、あの強い奴と戦いたかったよね」
 一角は弓親の言葉を聞き、あたりめぇだと笑った。
 夜一と浦原は、無言で顔を見合わせる。


「…納得のいく……死に方、か…」
 掠れた声で呟く。
 一護は、鏡死の斬撃を受けて背中から血が沢山流れていたが、彼の天鎖斬月は、鏡死を完全に貫いていた。
「…サンキュ、黒崎一護……俺…」
 
 ――――こういう死に方で、良かった。

 黒い、蝶のような魂が義骸から抜け、淋しく散った。
 魂魄を失った義骸は、空座町へ落ちていった。
 落ちていくのを見送る一護の顔から、仮面がバキンと音を立てて崩れ去る。
 円閘扇が全て消えたかと思うと、下にいた死神達は一斉に湧いた。自分達の勝利だと、気付いたのだろう。抱き合って喜んだり、霊力の消耗で座り込んで笑ったりと、様々だ。その中で、ルキアと恋次も眩しげに一護を見上げる。
 しかし、そのとき、一護の手から天鎖斬月が滑り落ちた。
 皆が静まり、落ちていく天鎖斬月を目で追う。落ちる最中、黒い光を放って、天鎖斬月は斬月の姿に戻った。それはつまり、所持者である死神が、卍解の状態を保てなくなったということで…。
 あわてて全員が、一護に視線を戻した、瞬間。

 ブシャッ!!!
 体中から鮮血が噴出し、彼自身が紅く染まる。
「なっ…!?」
 恋次が愕然とする。
 一護はそのまま、自身の血に塗れて、空座町に落下した。ルキアはすぐにその落下地点へ急ぎ、路面に伏している一護に駆け寄る。あたりは彼の血だまりと化していた。
「一護…!? おい!? 一護、しっかりしろ! 一護!? 一護!!??」
 ルキアは彼の肩に手を添え、傷に支障が無い程度に揺り動かした。
 しかし、一護はピクリとも、動かなかった。



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